太田述正コラム#0490(2004.10.2)
<宗教とエントロピー>
1 問題意識
私は、このコラムでイスラム教やキリスト教の原理主義化に強い懸念を表明(多すぎるのでいちいち引用しない)する一方で、世俗主義の強制にも反対(コラム#172)してきました。また、仏教就中座禅に対する好意的見解も明らかにしてきた(コラム#337)ところです。
その仏教について、かねてから疑問に思っていることがありました。
釈迦が生、老、病、死の四苦を唱えた中の最初の「生」の苦とは何か、或いはこの四苦と「愛別離苦」、「怨憎会苦」(おんぞうえく)、「求不得苦」(ぐふとっく)、「五陰盛苦」(ごおんじょうく。人間生存自身の苦)からなる八苦のうちの最後の「五陰盛苦」とは何か、という疑問です(注1)。
(注1)四苦ないし八苦については、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%AB%A6(10月1日アクセス)による。厳密に言えば、「生」の苦は生誕という一瞬に係る苦を、そして「五陰盛苦」は人生という長期に係る苦しみをさすのだろうが、この際、両者を一括りにして考えてみたい。
以前、それは釈迦が生まれたインドの酷暑のせいではないかと述べたことがあります(コラム#287)が、もとより冗談にほかなりません。
ところが最近、この疑問を解く手がかりを与えてくれそうな、エントロピーの考え方に基づく生命システム論を発見しました。
2 エントロピーと人生の意味
ハーバード大学公衆衛生学科助教授のシュナイダー(Eric Schneider)と米国の生命科学評論家のサガン(Dorion Sagan)は、物理学と生物学との間の矛盾に悩まされてきました。
すなわち、物理学では秩序がどんどん崩れていく(エントロピーが増えていく)という熱力学の第二法則(the second law of thermodynamics)が貫徹しているのに、生物学ではより複雑なシステム(構造・秩序)へと生物が進化して行く・・人間社会においても、歴史とともにより複雑な社会システムが構築されてきた・・、という矛盾です。
彼らが共同で下した結論は、これは見かけの上での矛盾なのであって、実は人間を含め、生命はエントロピー増大に貢献している、というものです。
例えば、ビールの栓を開けて逆さにすると、中に入っているビールは落ちるには落ちるのですが、ゴボゴボ言って円滑には出てきません。ところが、人間がこのビールの瓶を回転させて中に渦をつくると、滑らかに速く中身が出てきます。渦という構造がビールという液体にできることで、液体が持っていた位置のエネルギーの散逸が促進されたわけです。
もう一つの例もご紹介しましょう。
暑い日、森の中の方が原っぱより涼しいですが、これは森という生命システム(の木)の蒸発・発散作用のためです。熱のエネルギーの散逸が、生命システムによって促進されたわけです。
そして、複雑な構造がつくられればつくられるほど、エネルギーの散逸、すなわちエントロピーの増大は効果的に行われるのです。一人の人間より複数の人間、それより社会、そして更にその社会が高度になればなるほど、そうなのです(注2)。
(以上、特に断っていない限りhttp://www.taipeitimes.com/News/edit/archives/2004/09/30/2003204990(10月1日アクセス)による。)
(注2)日本の永井俊哉氏は、同じ矛盾を踏まえつつも、「生物<は>、太陽や地球といった低エントロピー資源の散逸(エントロピーの増大)を通して自らのエントロピーを減少させている」と述べるにとどまっている(http://www.nagaitosiya.com/lecture/0032.htm。10月1日アクセス)。なお、熱力学の第二法則については、同氏のhttp://www.nagaitosiya.com/lecture/0102.htm(10月1日アクセス)参照。
3 解題
釈迦が生きることが苦である、と指摘したのは、生きることが自然の法則(熱力学の第二法則)に逆らう行為であることを直感したためだと考えると合点がいきます。
釈迦は、座禅(禅定。コラム#337)等によって解脱し、涅槃の境地・・苦の原因であった一切の煩悩の繋縛(けばく)から解放された世界・・に到達すべきと説いています(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93。10月1日アクセス)。
これは、生きることは、一見自然の法則に反することから苦に見えるかもしれないが、実は大きく自然法則に沿った営みであることを自覚さえすれば、生きることに充実感を覚えることができ、この自覚に到達する方法は座禅等であると説いた、と考えることができるのではないでしょうか。