太田述正コラム#9305(2017.8.28)
<進化論と米北部(その4)>(2017.12.11公開)
 (2)改めて序
 「しかし、著者がこの本の中で示すように、これは、ダーウィンの諸教えが米国人の生活や思想に吸収(assimilate)された唯一の形ではなかった。」(B)
 「この本は、近傍のハーヴァード大学の科学クラスと緊密な関係のあった、マサチューセッツ州コンコード(Concord)<(注3)>居住の米国の知的選良を主として扱っている。
 (注3)19世紀央における、米国の文学のセンターであり、エマーソン、ホーソーン、アルコット兄妹、ソローが当時居住。独立戦争の口火を切ったレキシントン・コンコードの戦い(1775年)で有名。
https://en.wikipedia.org/wiki/Concord,_Massachusetts
 ところで、マサチューセッツ州(Commonwealth of Massachusetts)が、StateではなくCommonwealthである、とは知らなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%84%E5%B7%9E
 それには、・・・ソロー(David Thoreau)<(コラム#3683、4161、4886、5883、8485)>、・・・エマーソン(Ralph Waldo Emerson)<(コラム#3683、4034、4040、4161、4334、4412、4334、4860、5043、7898)>、オルコット<父娘>(Bronson Alcott and his daughter Louisa May)<(注4)>、そして、この本において最も銘記されるべき米国のチャンピオンとされたところの、ハーヴァード大の植物学者のエイサ・グレイ(Asa Gray)<(注5)>、等の、米国の哲学的、文学的、そして、科学的思想家、が含まれていた。
 (注4)エイモス・ブロンソン・オルコット(Amos Bronson Alcott。1799~1888年)。米国の教師、著述家、哲学者、改革者。奴隷廃止論者にしてフェミニスト。学歴なし。
https://en.wikipedia.org/wiki/Amos_Bronson_Alcott
 ルイーザ・メイ・オルコット(Louisa May Alcott。1832~88年)。「<米国>の小説家。1868年に書かれた『若草物語』(Little Women)で知られる。・・・奴隷制廃止論者、フェミニスト」無学歴だが、家族の友人であるホーソーン等から教育を受けた。生涯独身。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88
 (注5)1810~88年。「<医師資格>を取得したが、植物学のために医学を捨て、1842年にハーバード大学の自然史教授に任命された。・・・北アメリカの植物分類学の知識を統一するのに尽力した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A4
 <この他、>恐らくは当時の超一流の科学者であり、ダーウィンの諸理論を受け入れなかった者達のうちの一つの声であった、ハーヴァード大のルイ・アガシー(Louis Agassiz)<(注6)>も含まれる。・・・
 (注6)1807~73年。「スイス生まれの<米>国の海洋学者、地質学者、古生物学者。ハーバード大学教授。一般には氷河期の発見者と知られている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%82%B7%E3%83%BC
 ダーウィンの本が、意図的に人間の出自(descent)扱わなかったことを銘記することは重要だ。
 (ダーウィンは、彼の後の本で扱うことになる。)
 しかし、これらの諸含意は、読者達によってすぐに読み解かれた(drawn)のだ。」(D)
(続く)