太田述正コラム#0517(2004.10.29)
<米国反仏「理論」あれこれ(その2)>
(前回のコラム#516の「てにをは」を二カ所直してホームページに再掲載してあります。
かれこれ10日間以上、メーリングリスト登録者数が増えていません。なにとぞ本コラムの普及宣伝をお願いします。)
前から私のコラムを読んできた読者は、「何だ。ヒンメルファルブがフランスについて言っていることは、太田さんの言ってきたことと殆ど同じじゃないか」と思われることでしょう。
そのとおりなのですが、波風を立てることを嫌う英国人が胸の中にしまってきたことを忖度して、それを日本人である私ではなく、同じアングロサクソンである米国人があえてはっきり口に出したことは評価されてしかるべきでしょう。
米国においては、独立戦争をフランスが支援してくれた恩義もこれあり、今までフランスの「理論的」批判はタブーだったことを考えればなおさらです(注1)。
(注1)このヒンメルファルブの著書は米「守旧派」リベラルの大きな感情的反発を呼んでいるが、彼らは論理的な反論はできていないように見受けられる(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A10193-2004Sep9?language=printer。10月26日アクセス)。
では次ぎに、ヒンメルファルブが英国の「啓蒙思想」について語るところに耳を傾けましょう。
英国の18世紀の「啓蒙思想」家であるシャフツベリ(the Earl of Shaftesbury。1671??1713年。イギリス)・ハッチソン(Francis Hutcheson。1694??1746年。スコットランド)・ウェズレイ(John Wesley。1703??91年。イギリス)(注2)・レイド(Thomas Reid。1710??96年。スコットランド)・ヒューム(David Hume。1711??76年。スコットランド)・スミス(Adam Smith。1723??90年。スコットランド)(注3)・プライス(Richard Price。1723??91年。イギリス)・バーク(Edmund Burke。1729??97年。アイルランド)(注4)・ギボン(Edward Gibbon。1737??94年。イギリス)・ゴドウィン(William Godwin。1756??1836年。イギリス)らに共通するのは、ホッブス譲りの原始論的個人主義哲学者であるロック(John Locke。1632??1704年。イギリス)やマンデヴィル(Bernard Mandeville。1670??1733年。オランダ出身だがイギリスに移住)への違和感であり、正邪の感覚と惻隠の情(compassion・sympathy・benevolence)(注5)という道徳的感情(moral sentiment)ないしコモンセンス(common sense)の重視だ。
(注2)メソジスト教会の創始者。自助と博愛を説いた。
(注3)ヒュームとスミスはどちらも人間の生来的平等を唱えるとともに、商業の文明化作用に着目した。
(注4)もっとも、プライスはフランス革命に賛成であり、バークはこれを論駁する、有名な「フランス革命の省察」を出版した。プライスの教え子であったウォルストーンクラフトは、今度はこのバークの本を批判する冊子を出している(http://www.spartacus.schoolnet.co.uk/PRprice.htm(10月28日アクセス)。コラム#71)
(注5)イギリスは公的・世俗的・全国的(ただし地域が管理)な救貧制度が生まれた最初の国であり、長い間このような救貧制度を持つ唯一の国だった。イギリスは同時に、欧米世界の中では最初に動物虐待防止・奴隷制廃止・監獄制度改善の狼煙を上げた国でもある。
老若貴賤を問わず英国人誰もが自然に身につけているこの感情ないしコモンセンスを重視するからこそ、スミスらの思想は、フランス啓蒙思想とは異なり、イデオロギーを厭い経験を重視し、破壊志向ではなくて改革志向であり、より良い未来に期待しつつも過去と現在を尊重し、非エリート主義的にして実際的かつ自発的であり、そしてまた宗教と親和性を有するのだ。
ヒンメルファルブのこのような英国の「啓蒙思想」のとらえ方は面白いのですが、私としては、大きな留保をつけざるをえません。
しかし、この点についてご説明する前に、ヒンメルファルブが米国の「啓蒙思想」についてどんなことを言っているかをご紹介しておきたいと思います。この部分についての彼女の説が、何ともできが悪いことは、誰にでもすぐ分かるからです。
(続く)