太田述正コラム#9503(2017.12.5)
<渡辺克義『物語 ポーランドの歴史』を読む(その5)>(2018.3.21公開)

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[シュラフタ]

 「ポーランド王国で法的特権参政権を持つ社会階級、ないしそこに所属する<個人>。・・・
 各シュラフタは貧富の差や職業上の上下関係はあるものの、平等な政治的権利を持って<おり、>・・・古代ローマにお<ける>・・・ローマ市民と類似する。<或いは、>社会階級ではなく、どちらかといえばヒンドゥー社会のカースト制度におけるクシャトリヤのような世襲身分だった<とも言える>。・・・16世紀に成立したポーランド・リトアニア共和国では、ポーランド語を母語とする者の実に25%がシュラフタだったというが、同国はさまざまな言葉が飛び交う多民族多言語国家だったことを勘案すると、国全体におけるシュラフタの比率は10%ほどだったと推定<できるところ、それでも、そ>・・・の数は西欧の貴族と比較すると多いため、時に日本の武士との対比で「士族」と訳されることもある。・・・また、西欧貴族の多くが自らの荘園で労働者を雇う大地主だったのに対し、シュラフタの多くは自ら就労して俸禄を得ていた点でも日本の武士の姿と重なるものがある。・・・
 <とはいえ、彼らは、>便宜的に「ポーランド貴族」と呼ばれることもある。・・・
 シュラフタの起源は、中世の西スラヴ人がキリスト教を受容する前から存在していたレフ人で、戦士階級<であった>とも考えられる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%BF
 「レフ (Lech) <は、>・・・ポーランドの西スラヴ人の祖先であるとされる」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%92%E3%83%88%E8%AB%B8%E8%AA%9E
 なお、シュラフタがらみの私のとりあえずの仮説を一つご披露しておこう。
 ポーランドで、シュラフタ達の間で「レフ人=戦士」伝説が作られる過程で、箔付けのためにサルマティズム伝説までもが援用された、というものであり、その背後にあるのは、戦士中の戦士たるゲルマン人に対する、スラヴ人、就中、西スラヴ人の著しい劣等感である、という仮説なのだが、いかが。
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[ポーランドでの議会の起源]

広義の議会に係る関係英語ウィキペディア群相互には、下掲群に限らず、微妙な食い違いがあるのが珍しくないところ、ポーランドがらみで、改めて私なりに再整理すれば、次のような感じになろうか。
 すなわち、ゲルマン人社会は戦士共同体であるところ、その軍事最高指揮官を選出する場が、当該共同体内の紛争処理の場、更には、当該共同体の法創造の場、へと発展していったのであり、それが、北ゲルマン人の東スラヴ人征服(ノヴゴロド公国、そして、キエフ大公国、等、の成立)を契機に東スラヴにおいて強制継受がなされ、やがてそれが、更に西スラヴの北部でも継受されることとなり、ポーランドでは、それが、セイム(sejm)と称されることとなった、と。
https://en.wikipedia.org/wiki/Sejm_of_the_Kingdom_of_Poland
https://en.wikipedia.org/wiki/Veche
https://en.wikipedia.org/wiki/Thing_(assembly)#Viking_and_medieval_society
 以下、これを踏まえた、私のとりあえずの仮説だが、かかる、近代議会の原型の淵源(α)は、やがて、地理的意味での欧州(この場合はロシアを含む)において、三種類の異なった歴史を辿ることになる。
 第一は、軍事最高指揮官によるαの形骸化、究極的には廃止であり、大部分の国・地域においてそうなった。
 第二は、αによる軍事最高指揮官の権限の形骸化、究極的には廃止であり、わずかに、ポーランドのほか、スイスやヴェネティア、等、だけがそうなったと見る。
 第三は、αが軍事最高指揮官を取り込み、前者の優位の下で両者を一体化・・King in Parliament化/議会主権化・・させていく、というものであり、これは、唯一、イギリスにおいてのみ生じた。
 この第一~第三の転轍手となったものが何か、を解明するのは、今後の課題にさせていただきたい。
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(続く)