太田述正コラム#9517(2017.12.12)
<渡辺克義『物語 ポーランドの歴史』を読む(その9)>(2018.3.28公開)
「ポーランド人の画家の名前を挙げられる日本人は極めて少ない。
一部の人は思うかもしれない。
ポーランド美術なるものがそもそも存在するのかと。
ポーランド人が生んだ最大の詩人アダム・ミツキェヴィチ<(注19)>も、1844年に次のように述べていたほどである。
(注19)Adam Bernard Mickiewicz(1798~1855年)。「国民的ロマン派詩人であり、政治活動家。「ミツキェヴィチの母語はポーランド語で、彼自身も基本的にポーランド語で創作活動を行ったが、元々はリトアニア人の家系で、住んでいたのはベラルーシだった」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%84%E3%82%AD%E3%82%A7%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81
「なぜスラヴ人がこれまで造形美術に携わってこなかったのか・・・。
スラヴ人には造形美術の適性がないようなのだ。
自分たちには本物を堪能できる器官が備わっているというのに、なぜ複製を求めて奔走する必要があろうか。
他民族ならば、目に見えぬ世界の追憶が消え去ってしまうことを恐れて、石を切り刻み、鋳型をつくり、カンヴァスに留めおこうとする。
しかしスラヴ人はその追憶をありのままのかたちで、心にしまっているのだ。
スラヴ人にとっては、これは追憶などではない」。
ミツキェヴィチに言わせれば、造形美術は創造的な営みではなく、コピーでしかないということになる。」(32~33)
⇒これは居直り強盗的なリクツですね。
というのも、美術だけでなく、文学でも、そして、音楽においてさえ、ポーランド人は「適性がな」さそうだからです。
詩人のミツキェヴィチは横に置いておきます・・いずれにせよ、彼はリトアニア系です・・が、日本でさえよく知られている作家が、ジョセフ・コンラッド、シェンキェヴィチ、スタニスワフ・レム
https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E5%AE%B6
と3人もいることから、一見、文学に関しては美術よりはマシなようですが、コンラッドは21歳から英語環境に生き、その全作品は英語で書かれており、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89
イギリスの作家と言うべきですし、『クォ・ヴァディス』で有名なノーベル文学賞受賞者のシェンキェヴィチはタタール系
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%82%A7%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81
ですし、スタニスワフ・レムはユダヤ系
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%A0
ですからね。
口の悪い人からは、ポーランド人、一人も誰もいないじゃないか、と冷笑される余地があります。
この2分野に比べれば、音楽では問題なく胸を張れるように思えます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%A0
余りにも偉大なショパンの他に、オギンスキ、モシュコフスキ、シマノフスキ、ペンデレツキ、が有名ですからね。
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Polish_composers
もっとも、外交官にして政治家であったオギンスキ(コラム#3827)にとって作曲は余技でしかありませんでした
https://en.wikipedia.org/wiki/Micha%C5%82_Kleofas_Ogi%C5%84ski
し、モシュコフスキ(コラム#4303、7989、9090、9384)はユダヤ系で少年時代以降ドイツに移っているのでドイツの作曲家とされていますし、
https://en.wikipedia.org/wiki/Moritz_Moszkowski
シマノフスキ(コラム#5321、5323)はスウェーデン系ですから、、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%83%8E%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD
ポーランド人は、ショパン以外には、わずかにペンデレツキ
https://en.wikipedia.org/wiki/Krzysztof_Penderecki
のみとも言えます。
となると、ショパンとペンデレツキは突然変異だったのかも、という感なきにしもあらずです。
結局、ポーランドは、芸術に関しては、ほぼ暗黒地帯である、とも言えそうですね。
ロシアは、音楽と文学に関しては、世界的な巨匠を輩出してきたというのに、ポーランドは、同じスラヴ人の国で人口も結構多かったのに、どうしてこうも違うのでしょうか。
私のとりあえずの仮説は、欧州で、音楽においては傑出し、文学においてもフランスと覇を競い、美術でも健闘してきたところの、ドイツ(ドイツ語圏を含む)に近すぎたことでポーランド人達は委縮してしまった一方、ドイツと適度に距離があったロシア人達は自由闊達さを失わなかったからだ、というものですが、確信はありません。
ところで、こと美術に関しては、ポーランド人だけではなく、ロシア人も全くふるわなさそうですから、その限りにおいては、「スラヴ人」一般に「美術の適性がない」としたミツキュヴィチの指摘は正しそうです。
もとより、彼の説明は説明になっていませんが、もっとまともな形でどう説明すべきかは、今後の検討課題にしたいと思います。(太田)
(続く)