太田述正コラム#9565(2018.1.5)
<映画評論51:ユダヤ人を救った動物園 ~アントニーナが愛した命~(その9)>(2018.4.21公開)

 「・・・この穏やかなお行儀のホロコースト映画は、恐らくは、家族向け作品として考えられたものではないのだろうが、あまりにも臆病で無害化されていることから、殆ど、子供達にとっても安全な感じがする。・・・

⇒「かつては性的シーンの有無が重要な判断要素とされていた。しかし、神戸連続児童殺傷事件などの猟奇的な犯罪事件の発生を踏まえ、1990年代以降は暴力や殺人などの反社会的行為に関する描写も重要な判断要素の1つとなってきている。・・・<しかし、>『仮面ライダー THE NEXT』 / 『ボーイズ・ドント・クライ』 / 『バイオハザード』 / 『フレイルティー 妄執』などは、ほとんどの国でR15+またはR18+相当に指定されたが、日本ではPG12指定となった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%AE%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0#日本
と、日本は、映画等における暴力描写には甘いけれど、日本における暴力的犯罪の発生率は極めて低い(典拠省略)ところ、米国のような生来的に暴力的な社会では、イチジクの葉っぱ的に、強い暴力描写規制をしているだけだ、ということではないでしょうか。(太田)

 人は、動物達は信頼できるが人間達は信頼できない、とアントニーナは宣言する。

⇒明らかに、この映画評論家は、この「宣言」を批判的に取り上げているわけですが、動物はホロコースト的なことはやらかさない、という、私が前述したことからすれば、おかしいのは、この映画評論家の方でしょうね。(太田)

 彼女に愛されている預かりもの達には、このカップルがその命を救う、ユダヤ人達よりも多くの上映時間を与えられている。
 ユダヤ人達は、概ね、名前が明かされないままだし、彼らの個人的な諸物語も語られないままだ。・・・

⇒動物達だって、「概ね、名前が明かされないままだし、彼らの個人的な諸物語も語られないまま」なんですがねえ。(太田)

 <この映画の>わき筋は、アントニーナが、のぼせ上ったルッツを誑し込みつつ、彼女の嫉妬深い夫が遠くから神経質そうに眺めている中で、どんどん攻撃的になる、ルッツの諸行動に身を任せてしまうことに抗う、アブナイ(precarious)バランスをとる、というものだ。
 脚本が本件について、極めて恐れ戦慄いているため、彼女が<ルッツに>屈してしまったのかどうか、必ずしも判然としない。
 しかし、ルッツは、誘惑者から悪い悪いナチへと変貌する(evolve)ところ、彼女が屈したかどうかは、道徳的複雑性を甚だしく必要としているドラマに恋愛的感興(romantic excitement)を一添え(pump)しようとする、覚束ない試みであるかのように見える。

⇒ここだけは、かなり同意です。
 私的に言えば、上記わき筋は、ルッツのアントニーナに対する強姦未遂で一つのクライマックスを迎えますが、それを必然たらしめるためには、二人の間の恋愛ゲームがなければならず、これに加えて、アントニーナ夫妻のセックス画面も出てくる(映画)ところ、こちらは、二人が夫婦なのだからそれに至るもう一つのわき筋はいらない、というだけのことであって、どちらも、描く必然性はないけれど、映画のエンターテインメント性を高めるための香辛料としての役割を果たしているわけです。(太田)

 チャスティンの、目配りの利いた、重構造、の演技は、この映画を安定させるのを助けているが、それは、我々に元気を与える可愛い生き物達でもって、この映画が、ホロコーストのディズニー版のような気持にさせることを妨げるには十分ではない。」(Ε)

⇒少なくとも、アントニーナ夫妻が救出にあたったユダヤ人達の大部分は生き延びられたのですし、ワルシャワ動物園だって復興するのですから、その限りにおいては、この映画はハッピーエンドなのであり、この映画評論家、何がお気に召さないのか、私にはよく分かりません。(太田)

(続く)