太田述正コラム#9569(2018.1.7)
<映画評論51:ユダヤ人を救った動物園 ~アントニーナが愛した命~(その11)>(2018.4.23公開)

 <これは程度問題であって、>視聴者を惹きつけるという観点からは、仮に映画制作者が二人の救出者達・・・・のどちらかを選ばなければならないとすれば、それが動物達であれ人間達であれ、生きとし生けるもの全てとの尋常ならざる近親感から、脅威を受けているユダヤ人達を救うために自身と彼女の家族の命を危険へと誘う者、か、それとも、ワルシャワ・ゲットーからのユダヤ人の子供達何百人を救ったけれど、その単純な動機はキリスト教慈善であり、自身はフランシスコ修道会の修道女であったところの、マティルダ・ゲッター(Matylda Getter)<(注16)>・・もっと有名なイレナ・センドラー(Irena Sendler)<(注17)>の協力者・・、か、ということになれば、聖人のごとき、この世の存在とは想像できない、修道女、よりは、働く妻にして母親、の方に、より心を通わせる者達の方が多いはずだ。

 (注16)1870~1968年。ポーランドの修道女で社会福祉事業家。聖母マリア一家フランシスコ修道女団(Franciscan Sisters of the Family of Mary)のワルシャワ地区責任者として、同会で、戦時中、250~550人のユダヤ人の子供達を匿った。
https://en.wikipedia.org/wiki/Matylda_Getter
 (注17)1910~2008年。ポーランドの看護婦、人道主義者、社会福祉事業家。戦時中、ワルシャワ・ゲットーの2500人のユダヤ人の子供達に偽造身分証明書群を与え、ゲットーの外で匿った。貧しい人々からは診療費を取らずに診た医師の子供として生まれワルシャワ大(ポーランド文学)で学び、ポーランド社会党入党し、戦時中はドイツ軍に対する抵抗運動に加わり、戦後は、共産党政府の下で迫害、無視され続けた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Irena_Sendler

 しかし、<ユダヤ人達の艱難>を見てキリスト教徒としての義務として<救出を>行った謙虚な修道女であるゲッターは、ジャビンスキ夫人から百万マイルも離れた存在であるわけではない。
 というのも、ジャビンスキ夫人の動機は宗教的なものでは必ずしもなかったかもしれないが、彼女は、間違いなく人道主義者であり、かつ、彼女の備忘録から判断すると、自然、及び、全ての生きとし生けるもの達との繋がり、という、原始的な感覚を伴っていたからだ。

⇒英語には、というか、印欧語系には「人間主義」に相当する言葉が存在しない・・もとより、日本語にも、逆に、当たり前過ぎて、やはり相当する言葉があってなきが如しではあっても、「人間主義」という言葉こそ私の造語ですが、遡れば「もののあはれをしる」という18世紀の本居宣長の造語がありますし、その核心たる「あはれ」という言葉は12世紀の西行由来です(注18)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E3%81%82%E3%81%AF%E3%82%8C
・・ため、この映画評論家は、「自然、及び、全ての生きとし生けるもの達との繋がり、という、原始的な感覚」という長ったらしい表現を用いています。(太田)

 (注18)「人間(じんかん)」は和辻哲郎由来の言葉で、私が援用しているところ、和辻自身は、私には、「もののあはれ」の意味を誤解していた(上掲)ように思え、興味深い。
 
 この映画が動物園の動物達を取り上げたこともまた、この物語の核心に、影を投げかけている、ないしは、些末化している、という諸非難を誘ってきた。
 若干の人々にとっては、この映画は戦慄性が不足している、ということらしい。
 連中は、本件が無害化されてしまっていると呼ばわっているわけだ。
 他方、他者達にとっては、戦慄的に過ぎるのだ。
 なぜなら、若干の映画評論家達は、この映画の格付け・・米国ではPG-13、英国では12A・・では、感化され易い若者達が暴力と殺害を目にすることができるからだ。・・・
 <いずれにせよ、>この夫と妻が、二人とも、青酸カリ錠群を常に持ち歩いていた<ことは、覚えておいてよかろう。>」(γ)

9 終わりに代えて

 『物語 ポーランドの歴史』シリーズの囲み記事的な感覚でこの映画評論シリーズを書き始めたのですが、思ったよりも長編になってしまったので、このあたりで中締めにしたいと思います。

(完)