太田述正コラム#0546(2004.11.27)
<プロト欧州文明について(その3)>
(前回のコラム#545について、フレデリックは英語表示なのでドイツ語表示のフリードリッヒに改め、かつフリードリッヒのドイツ王及び両シチリア王就任年を訂正する等を行った上で、ホームページの時事コラム欄に再掲載してあります。)
父ハインリッヒ6世が達成したもの、目指したものを殆ど無に帰せしめたのがフリードリッヒ2世でした。
フリードリッヒ2世は、両シチリア王国を拠点として、イタリアにおいて、自分自身及び自らの一族であるホーエンシュタウフェン(Hohenstaufen)家の財産を維持し増大させることしか眼中にありませんでした。ですから、彼はドイツ王たる皇帝として本来最大の関心を抱くべきドイツにほとんどに関心を示しませんでした。皇帝位ですら、彼のイタリア中部及び北部への勢力伸張に好都合な錦の御旗としか受け止めていませんでした。すなわち、権力も信仰も彼にとってはこのような矮小な目的・・イタリアにおける財産の維持増大・・を追求するための手段でしかなかったのです。
父ハインリッヒが亡くなったのは彼が3歳の時であり、幼児をドイツ王に就任させるわけにはいかないとして、彼のドイツ王への選出が取り消されたのは彼の責任ではありませんし、両シチリア王にやはり幼少の、しかも「ドイツ人」が引き続き就くことに両シチリア王国のノルマン貴族達が反対したため、母親が時の法王に両シチリア王国の宗主権を献呈することにより、法王の後ろ盾でやっとフリードリッヒが両シチリア王に就くことができたのもフリードリッヒの責任ではありません。しかし、成人してからも、彼は法王からこの宗主権の奪還を図ろうとはしませんでした。
いわんや彼は、神聖ローマ帝国による旧ローマ帝国全版図を回復しようとする考えなどさらさらありませんでした(注5)。
(注5)ただし、彼は父親の果たせなかったエルサレム遠征を行い、エルサレム王に就任している(後述)。
それどころか彼は、自らのイタリア「統治」に法王を利用する目的で、法王の歓心を買うべく、皇帝が叙任権紛争(Conflict of the Investitures。注6)を経つつも依然として保持し続けていたカトリック聖職者の叙任権を完全に返上してしまいます。また、ドイツの聖俗諸侯の反抗の芽をつむべく、彼らに特権を惜しみなく与えてしまいます(注6-2)。この叙任権の放棄と特権の供与により皇帝の地位は形骸化し、神聖ローマ帝国のドイツ内の聖俗領邦は独立傾向を強め、ドイツの小国分立状態、ひいては欧州における国家分立が永続化する原因をつくってしまうのです。このことが後にドイツひいては欧州全体にいかなる悲劇をもたらしたか(注7)はご存じのとおりです。
(注6)1075年から1122年にかけて、皇帝ハインリッヒ4世及び5世と代々の法王との間で、カトリック聖職者の任命権を皇帝と法王のどちらが持つかをめぐって生じた紛争。その本質は、皇帝と法王のいずれが至上権を持っているのかをめぐる争いだった。法王グレゴリウス7世(Gregory??)が本件をめぐって皇帝ハインリッヒ4世を破門し、皇帝が冬に門前で立ちつくし、法王に許しを請うた1076年のカノッサ(Castle of Canossa)の屈辱は有名。(http://www.newadvent.org/cathen/08084c.htm。11月26日アクセス)
(注6-2)Statuum in favorem principium (statute in favor of princes)により下級貴族や平民の犠牲の下に諸侯に特権を与えた。諸侯は司法権と貨幣鋳造権を与えられ、皇帝は新しく都市や城をつくる権利を失った。
(注7)30年戦争・第一次世界大戦・第二次世界大戦、等
それだけではありません。
彼はその30年近い皇帝在位中、イタリア中の町を戦乱に巻き込み、イタリアの民衆を苦しめ続けました。彼のためにどれだけの町が破壊され、その住民が奴隷に売られたか分からないほどです。(特に女性はイスラム教徒に奴隷として売りとばされました。)彼によって修道院が襲われ、多数の修道士達が虐殺され、焼殺されたこともあります。
このため彼は、一度ならず法王によって破門されています。
(以上、特に断っていない限りhttp://www.newadvent.org/cathen/06255a.htm(11月24日アクセス)、トマス・アクィナス(Thomas Aquinas)に関するhttp://www.firstthings.com/ftissues/ft9512/articles/novak.html(11月23日アクセス)、及び法王インノケンティウス3世(Innocent III)に関する(http://www.newadvent.org/cathen/08013a.htm(11月24日アクセス)による。)
一体フリードリッヒはどんな人間であり、なにゆえこのような行動をとったのでしょうか。
(続く)