太田述正コラム#0557(2004.12.8)
<胡錦涛時代の中国(その3)>
4 反日ナショナリズム政策
(1)反日ナショナリズム政策とその帰結
ア 反日ナショナリズム政策の採用
フルシチョフによる1956年のスターリン批判を契機に始まった中ソ対立は、1991年のソ連崩壊によって終わりを告げ、中国は主要な「敵」を失いました。
この間、1978年から中国は開放政策(=市場経済化)へと舵を切っており、中国共産党のイデオロギーであった共産主義(毛沢東主義)の権威は大いに損なわれました。そのことを如実に示したのが1989年の天安門事件です。(そうとらえた勢力が権力闘争に勝利し、趙紫陽共産党総書記が失脚しました。)
このような背景の下で、中国共産党は、一党独裁制を引き続き維持していくための新たな敵とイデオロギーを創出する必要にせまられます。
こうして天安門事件後、中国共産党総書記となった江沢民によって、熟慮の上新たに採用されたイデオロギーがナショナリズムであり、選ばれた「敵」が日本だったのです。
これは共産主義から典型的なファシズムへの転換であり、中国共産党の(かつての)中国国民党化を意味しました。
すなわち、中国共産党は1994年4月6日付の人民日報に「愛国主義教育実施綱要」を発表し、その第3項で「愛国主義教育は人民全体の教育であるが、その重点は広範な青少年にある」とし、「党の基本路線を教え、中国近代史、現代史、そして基本的な国の状況を教え、中華民族の伝統美徳と優秀伝統文化を教えるように努める」と説き、その翌年からテレビで連日抗日映画が放映され、各地で抗日記念館の建設が進められたのです(http://www.history.gr.jp/news/040807_10.html。12月7日アクセス)。
注意すべきは、「敵」である日本は、あくまでも戦前の日本であって現在の日本ではないことです。
現在の日本を全面的に「敵」に仕立て上げてしまっては、開放政策の引き続いての成功にとって、米国に次いで不可欠な日本からの投資や日本への輸出が妨げられてしまうからです。さりとて、過去の日本は「敵」だったけれど現在の日本は友人だ、というのでは、日本は現在の中国共産党支配を正当化する「敵」としての役割を果たせません。
現在の日本の政治家等の歴史認識や靖国参拝を中国が執拗にとりあげてきたのは、中国の敵であった「悪い」戦前の日本にノスタルジアを抱くかのように見える「悪い」日本の政治家等「だけ」を敵視するために好適であるからです。
イ 反日ナショナリズム政策の「成功」
中国の綱渡り的な上記反日ナショナリズム政策は、これまでのところ「見事なまでの成功」を収めていると言ってよいのではないでしょうか。
2001年秋以来の日中両国首脳の相互訪問は中断したままですし、昨年8月の黒竜江省チチハルにおける旧日本軍遺棄毒ガス事故、9月の広東省における日本人団体旅行客による集団買春疑惑、今年に入ってからは、3月の中国人活動家7名の尖閣諸島上陸事件、5月に浮上した東シナ海のガス田開発問題、8月の重慶での日中サッカー戦の時の中国サポーターによる騒擾事件、11月の原子力潜水艦の日本の領海侵犯事件、等日中関係は「悪化」の一途を辿っているように見えます(www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20040806k0000m040165000c.html、http://www.asahi.com/special/senkaku/OSK200403240036.html、http://news.searchina.ne.jp/2004/0805/national_0805_008.shtml(いずれも12月7日アクセス)等)。
にもかかわらず、日中双方にとって最も重要な経済関係にはこのような日中関係の「悪化」は全く悪影響を及ぼしていません。
これは一体全体どうしてなのでしょうか。
中国国民の反日感情が実は決して悪くないからだと考えざるをえません。
中国社会科学院日本研究所が先月明らかにした「中日世論調査」の結果によれば、53.6%が反日的傾向を示し、2年前の43,3%に比べても大幅に増加しました。反日の理由は、「侵略の歴史を反省していない」が61.7%と最も多く、「過去に中国を侵略した」が26%であったのに対し、「日米軍事同盟によって中国の脅威になっている」が6.9%、「個人的に日本人との間で不愉快なことが起きた」が0.7%でした。ちなみに、日本の首相による靖国神社参拝については42%が「いかなる状況でも参拝すべきではない」とし、「日本の内政であり参拝してもよい」は5%でした。また、日本の国連安保理常任理事国就任に対しては「絶対反対」と「反対」が計56.7%で「支持」は2.1%でした(http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20041125/mng_____kok_____000.shtml。11月25日アクセス)。
しかし、このような中国国民の反日感情の「悪化」はタテマエの世界の話であって、彼らのホンネは違うのではないでしょうか。
一例だけ挙げれば、現在の中国における、日本のベストセラー作家である村上春樹のブームです。
1989年に村上作品として初めて翻訳出版された「ノルウェーの森」は100万部以上が売れ、そのほかにも26万部売れた「海辺のカフカ」等、計27作品が出版されています。
10万部売れたら奇跡と言われる中国の出版界にあって、これは大変なことであり、村上作品は、中国の都市部の比較的豊かな青年層の必読書になったとまで言われているといいます。
(以上、http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20041120i105.htm(11月21日アクセス)による。)
現在日本では「韓流」が中年以上の男女を席巻しており、これは(日本から見た)日韓関係の新たな時代の到来を示すものであると私は考えていますが、村上ブームは、(中国から見た)日中関係の本当の実態を示す現象である、と私は考えているのです。
(続く)
<読者M>
<胡錦涛時代の中国>シリーズ、大変おもしろいですね。
私の周りにいる20代から30代の中国人学生と話していると、村上春樹を知っている、または読んだことある、という人が結構いるのが不思議だったんですが、そんな大きなブームだったとは知りませんでした。(ちなみに村上春樹の次には、たいてい源氏物語が出てきます)
私は村上春樹を読んだことはないのですが、彼の作品のどういうところがそんなにも中国で受けるのか興味があります。どなたかご解説いただけませんか。(コラムで引用されている読売新聞の記事に書いてあったのかもしれませんが、アクセスが出来なくなっていますので…。)
<太田>
それでは、読売の記事の関連箇所をご紹介しておきましょう。
・・・「村上作品の魅力は、簡潔で美しいユーモアあふれる文体はもちろん、孤独や空虚さ、退屈さを楽しむライフスタイルを読者に提供してくれる点にある」・・上海訳文出版社が刊行した「村上春樹全集」の翻訳を担当した林少華・中国海洋大学教授(52)(日本文学)は、「欧米でも翻訳されているが、中国での人気は世界一だ」と断言する。・・・林教授によると、読者層は、高校生や大学生の学生層と、30歳前後の"中産階層"。林教授が2002年6月に大学で外国語を専攻する100人余りの学生を対象にアンケート(複数回答)をした結果、「世界や社会生活を認識する視点・方法を提供してくれた」が47・4%、「孤独や寂寥(せきりょう)感への共鳴」が36%と多数を占めた。上海訳文出版社の編集者、沈維藩氏は「今や村上作品を読んでいなければ『小資』ではないとまでいわれる。大都市の若者の好みに合っている」という。改革・開放政策から25年、都市部の経済発展が一定水準に達し、新たな階層が村上作品を支える市場になり始めたことを示している。「孤独や寂寥感への共鳴」は、「一人っ子政策」で育った若者に受け入れられる理由の一つだ。林教授は「他の日本文学と異なって、主人公と読み手との距離感のなさが、作品の中に自分の姿を求める孤独な『一人っ子世代』の若者に受けるのだろう」と分析する。・・・北京市内で出版企画会社に勤める王立さん(30)は「非常村上」(すっごく村上)といわれる自他ともに認める熱烈な「村上ファン」だ。王さんは「あふれるほどの清潔感と透明感が大好き。国際化したところも受け入れやすい」という。伝統的な日本文学に特有の悲壮感や圧迫感がないことから、日本を意識せずに読み進められることが大きな理由だ。村上氏以外では、渡辺淳一氏も同様の理由で人気が高い。・・・