太田述正コラム#0558(2004.12.9)
<陸幕製憲法改正案?(その2)>
結局、私は時間をかけて防衛局長を「教育」し、共同作戦計画(注2)は、おおむね原案通り、米側との調印を経て正式文書となりました。
(注2)共同作戦計画というと、「敵」をどんな兵力でどのような作戦で撃破するか、といったことが書かれていると思われるかもしれないが、違う。米軍と自衛隊、そしてこの両者を支援する諸機関、がいかなる態勢をとるのか、が書かれているだけだ。
日本側から見た共同作戦計画作成の意義の一つは、(米本土に配備されているものも含め、)米軍のどの部隊が日本に増援のために派遣されるのか、そしてその部隊が日本のどこ(既存の米軍基地や自衛隊施設とは限らない)に配備されるのかが分かることだ。
なお、共同作戦計画は、状況の変化に応じて次々に改訂が加えられていくし、実際に発動する事態になった場合にも、最新状況を踏まえて緊急改訂が施される。
4 状況の変化:その2
その後にできた極東有事の共同作戦計画を含め、現在日米共同作戦計画はいくつか存在しているものの、これらが実際に発動されたことは、今までのところ一度もありません。
つまり自衛隊は引き続き、有事において実際に「使われる」ことはなかったわけです。
ところが、自衛隊が一層「使われる」状況に近づいたのが、今年の陸上自衛隊のイラク派遣です。
有事(注3)の環境下に自衛隊が実際に置かれることになったからです。
(注3)イラクは、日本政府がどう取り繕うと、客観的に見て戦争状態にある(コラム#227)。
ところが日本政府は、無責任極まることに、このようなイラクに、憲法上必要な措置を全く講じないだけでなく、法律上必要な措置すら十分講じないまま、自衛隊を追いやったのです(コラム#227、243、244)。
5 自衛隊の運用に係る憲法・法律問題研究の必要性
有事において行動する場が、それぞれ海と空である海上自衛隊と航空自衛隊にとって、憲法問題や法律問題はそれほど頭を悩ます問題ではありません。集団的自衛権行使を禁じる政府憲法解釈さえ変更されれば、基本的には問題が解消する、と言ってよいでしょう。
しかし、行動する場が陸である陸上自衛隊にとっては、これは深刻な問題です。
陸上自衛隊は、「使われる」にあたって、足かせとなる無数の法律や憲法解釈に取り囲まれている、と言っても過言ではありません。
最近の有事法制の整備によって少しは是正されたとは言っても、憲法問題とそれにからむ法律問題が残っている以上、基本的には何も変わってはいません。
現状では、陸上自衛隊は有事において、憲法や法律を守って隊員や米軍人や日本国民等の犠牲者を出し、その上場合によっては国際法違反に問われるか、それとも憲法や法律を超越して行動するという規律違反を犯して処罰されることを覚悟するか、という究極の選択を繰り返し迫られるのは必至です。
そうである以上、陸幕が色々な状況を想定し、行動指針を作成し、個々の部隊長が上記のような究極の選択を迫られた場合に適切な結論をすみやかに下すことができるようにしておこうとするのは、「プロとしての職業倫理」或いは「プロとしての合理性と倫理」(毎日新聞前掲)に照らせば、当然のことでしょう。
すなわち、陸幕の担当部局である防衛部防衛課防衛班が、業務として自衛隊の運用に係る憲法問題・法律問題に取り組むこと、従ってその班員の中に自衛隊の運用に係る憲法問題・法律問題のエキスパートがいること、は当たり前なのです。
となれば、日本の政治家等が第9条を含む憲法改正を考えるに当たって、この問題に日本で最も通暁している陸幕防衛班に組織としての、或いは担当の防衛班員に個人としての、意見を徴するのは当然でしょう。逆に意見を徴しないとすれば、それは憲法問題に真面目に取り組む意思がないからだ、とさえ言えるのではないでしょうか。
「憲法改正という高度な政治的課題に「制服組」が関与」することは許されない(東京新聞前掲)と言うのであれば、「制服組」に「プロとしての職業倫理」を持つことを禁ずるか、自衛隊が有事において「使われる」ことを禁止するか、あるいは自衛隊を廃止するか、の三つしか選択肢はありません。
この選択肢のうちのどれをとろうと、それは早晩日米安保条約の解消をもたらし、日本は単独で、かつ丸裸の状態で国際場裏に投げ出されることになるでしょう。
冒頭で引用した記事を書いた記者諸君よ。
もはや可塑性に乏しく、絶望的に近いとは思うけれど、頭を丸め、一から安全保障問題を勉強したいという殊勝な人はいないか。家庭教師をしてさしあげることはやぶさかではないが、月謝は高いよ。
(完)