太田述正コラム#0561(2004.12.12)
<新生アフガニスタン>
1 5月末時点での情勢分析
今年6月にForeign Affairs誌に掲載された論考(執筆は5月末)は、アフガニスタンの絶望的な状況を描き出しました。
第一に、この頃のアフガニスタンは、タリバン政権打倒に米軍の先兵となって戦った北方同盟の中核であったタジク系軍閥関係者が、パシュトン人であるカルザイ(Hamid Karzai。当時暫定大統領)の政権の主要三ポストである外務・国防・内務大臣を独占しており、カルザイは彼らの傀儡に過ぎないように見えていました。
6??7万人のアフガニスタン軍は、タジク・ウズベク・ハザラ・パシュトン系の各地の軍閥隷下の民兵部隊をそのまま国軍に編入しただけのことであり、しかも編入されない民兵が多数残っており、11,000人の米軍は軍閥の協力の下、タリバンとアルカーイダの残党狩りだけで手一杯であり、またNATO軍(International Security Assistance Force=ISAF)6,000人もカブールに閉じこもっているだけであり、カルザイ自身が用いることができる兵力はほとんどありませんでした。
しかも、財政難に苦しむ中央政府とは違って、各軍閥は(厳しく取り締まったタリバンとは違って)麻薬の原料であるケシの栽培を「奨励」し、年ベースで260億ドル以上の荒稼ぎをしている上、密輸貿易でも数十億ドル稼いでいると見られており、一層自立化の道を歩んでいるように見えていました。
国連事務総長のアフガニスタン特別代表のブラヒミ(Lakhdar Brahimi)は、この状況は、ソ連の「傀儡」政権が倒れて軍閥連合政権ができた1992年の状況・・その後タリバンが勃興した・・にそっくりだ、と評したものです。
各国はアフガニスタンへの援助の大盤振る舞いを約束したものの、約束通り実行した国はほとんどありませんでしたし、治安状況が回復しないため、国際援助団体の活動も滞りがちでした。
大統領選挙を8月に控えていたというのに、この時点では有権者登録を終えた国民はまだ10%にとどまっていました。
そして結局、タリバンは選挙を妨害すると宣言してゲリラ活動を活発化しており、このため8月に予定されていた大統領選挙は10月まで延期されるのです。
(以上、http://www.nytimes.com/cfr/international/20040501faessay_v83n3_gannon.html(6月10日アクセス)及びhttp://news.bbc.co.uk/1/hi/world/south_asia/1569826.stm(12月11日アクセス)による。)
2 選挙の成功
ところが、その10月の大統領選挙は、選挙戦の過程でカルザイが乗ったヘリコプターがロケット攻撃されたり政府高官が暗殺されたりはしましたが、全体としてはおおむね平穏に実施され、軍閥関係者ではない副大統領候補と組んだカルザイが55.4%の得票で大統領に当選したのです。
米国のブッシュ政権のイスラム世界における自由・民主主義への体制変革の試みが、つい三年前までタリバンの宗教原理主義的統治の下にあったアフガニスタンで、自由な選挙の実施という形でとりあえず成功を収めたことは、画期的なことだと言っていいでしょう。
(以上、http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/3733454.stm(10月12日アクセス)及びhttp://news.bbc.co.uk/1/hi/world/south_asia/3979801.stm(12月11日アクセス)による)。
3 終わりに代えて・・アフガニスタンとイラク
アフガニスタンもイラクも専制的統治の下にあったイスラム国ですが、イラクよりも、人的・産業的インフラが未整備で、より部族社会であり、自由・民主主義に係る経験にもより乏しいアフガニスタンで、自由・民主主義化の重要なステップとしての選挙が成功裏に実施できたのですから、イラクにおいては、選挙はもちろんのこと、自由・民主主義化そのものも、うまくいかないはずがない、と思いたいところです。しかも、イラクではバース党一党独裁下で、世俗化が推進され、かつファシズムの下で(女性を含む)国民の政治・社会参加が奨励された、という自由・民主主義化にとってプラスの材料もあります(コラム#65)。
ただし、イラクにはアフガニスタンに比べてマイナスの材料もないわけではありません。
一つは、アフガニスタンが1973年の王制崩壊以来の長い長い内戦に疲れ切り、大部分の国民が平和を待望しているのに対し、イラクではまだ国民の間に内戦を行うエネルギーが残っていることです。
もう一つのマイナス材料は、アフガニスタンの周辺国には、米国とともに対テロ戦を戦うに至っているパキスタンを始め、アフガニスタンの自由・民主主義化を妨げる動きがほとんど見られないのに対し、イラクの不穏分子にはスンニ派諸国に存在する広汎なシンパからカネや要員が提供されており、またシーア派の過激派にはイランが梃子入れしている、ことです。
(以上、http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A53781-2004Dec9?language=printer(12月11日アクセス)による。なお、このワシントンポストのコラムでは、バース党支配下の世俗化とファシズムの経験をイラクの自由・民主主義化にとってのマイナス材料としているが、到底同意しがたい。)
イラクの議会選挙は1月末と目前に迫っており、成功裏に終わるかどうか、結果がまもなく出ますが、私は何度も申し上げてきているように、この選挙はおおむね平穏に実施されると信じています。