太田述正コラム#9627(2018.2.5)
<キリスト教の原罪(その9)>(2018.5.22公開)
<また、>「最近の研究(work)の結果、自信を持って、古代末期に、諸神殿は広範に諸教会に変えられたり、広範に取り壊されたり、はしていない、と<私は>言うことができる…。
その、ローマ帝国全域についての研究(study)の中で、ベイリス(Bayliss)<(注20)>は、[諸神殿の涜神ないし積極的な建築学的破壊について]、わずか43事例群しか見出す(locate)に至らず、しかも、そのうち、ほんの4例しか考古学的に確認されていない、としている。」(ラヴァン(Ravan)<(注21)>・・・)・・・
(注20)Alex Bayliss。ロンドン大ユニヴァーシティ校卒、同校博士。ベイズ統計学を用いた考古学的遺跡の年代測定の実務専門家。英スターリング大教授を兼ねる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Alex_Bayliss
(注21)Luke Lavan。英国のダーラム、オックスフォード、ノッティンガム、の各大学で学び、博士号取得し、ベルギーの大学等を経て、現在、英ケント大考古学講師。
https://www.kent.ac.uk/secl/classics/staff/lavan.html
<つまり、>広範に行われた、一律の(systematic)破壊と涜神なるものは、修辞的に作り上げられたものであって、確固たる考古学的証拠を反映したものではないのだ。・・・
この原則(rule)に対する例外が<あり、それが>、レヴァント(Lavant)の諸州(provinces)であったように見える。
皇帝による不承認と若干の一部キリスト教徒達の暴力、が、古典的宗教の活動停止を実際助長したけれど、古典的宗教は、全般的には、大部分の宗教同様、無関心と人々の諸優先順位の変化から、自然死を遂げたのだ。・・・
⇒この書評子が、「レヴァントの諸州」の例外性について、具体的に件数等を記していないので困ってしまうのですが、仮に例外性が事実だとすると、前述したように、当時、既に、ローマ帝国全体の中心が東方に移っていたことから、皇帝の統制権がより維持されていたところの、具体的には、キリスト諸教会、ひいてはキリスト教徒達、に対する法的・事実的統制権がより維持されていたところの、東方のほぼ中心部たるレヴァントで起こったことこそ、例外どころか、典型例であった、と言うべきでしょう。(太田)
確かに、著者は、キリスト教徒によるいくつかの暴力、そして、キリスト教徒による、より多くの破壊、の詳細を描いているけれど、問題なのは、彼女が、自分にとっての英雄達であるところの、異教徒達が実行した、類似の諸事案については、無視するか軽く触れるにとどめていることだ。・・・
⇒そんな批判を投げかけるだけでなく、その批判の根拠を持ち合わせているはずのこの書評子は、自ら、(当時より前のローマ帝国における、)異教徒達によるキリスト教会破壊ないしキリスト教徒への暴力、の件数等を示すべきでした。(太田)
<それに、>「ギリシャの学問(learning)が、手段として<適していると>の観念(concept)は広く受け入れられ、キリスト教徒による世俗的学問への標準的姿勢となった。…
4世紀末には、キリスト教が完全な勝利を収めたことに伴い、キリスト教会は、異教の学問一般、とりわけギリシャ哲学、に対して、後者の中に、受容できないもの、或いは、恐らくは不快(offensive)でさえあるものがある、として敵対的に行動しても不思議ではなかった。
彼らは、異教の学問を教会及びその諸教義に対する危険として抑圧する大いなる努力に着手しても不思議はなかった。
しかし、彼らはそうはしなかった。」
((The Foundations of Modern Science in the Middle Ages), Cambridge, 1996・・・より。)・・・
<また、>「[アウグスティヌス(Augustine)<(コラム#471、1020、1169、1761、3618、3663、3908、5061、5100、5298、6024、6171、6302、6727、7149、7257、7448、7534、7536、7538、7704、7706、7708、7710、7724、7726、7900、7966、8749)>]は、異教のプラトン主義(Platonism)は全てそれ自体が多神教と分かち難く結びついていると容易に決定しても不思議はなかったが、彼は、隠されているものの、本質的に腐敗はしていないところの、異教の書き物の中に見出されることとなる、厳密に一神教的な、前キリスト教的な黄金<のようなもの>、が存在する、と結論付けたのだ。」
(Pagans and Philosophers: The Problem of Paganism from Augustine to Leibniz , Princeton, 2015・・・より)」(B)
⇒この書評子によるこの二つの引用の内容は、著者に対する批判には全くなっていません。
ローマ後の地理的意味での西欧世界が世俗的な学問にギリシャ哲学を活用するのをキリスト教会が認めたというのは、同世界の世俗部門がギリシャやローマ由来のハードな諸技術を活用したことと同じであって、不思議でも何でもありませんし、アウグスティヌスがプラトン主義、遡ればプラトン、を、また、その後のカトリック教会がアリストテレスを、教義の論理的体系化に活用したのは、キリスト教を含むいかなる一神教的教義宗教の教義も、(公理群的なものから出発する)合理的・演繹的な性格を持っているところ、プラトンやアリストテレスの哲学が基本的に合理的・演繹的な哲学だったからであり、これらの哲学のいわば犀利な道具としての側面に着目したからに過ぎないからです。(太田)
(続く)