太田述正コラム#9631(2018.2.7)
<キリスト教の原罪(その10)>(2018.5.24公開)
著者は、伝統的な語り口では、キリスト教、とりわけ、欧米の修道院制度、が古典文明の保持したものと描写するけれど、この語り口は誤っている、と主張する。
というのは、キリスト教会は、まず、古典文献(literature)の約「90パーセント」を破壊し<、残りの10パーセントを保持したに過ぎなかっ>たのだから、というのだ。
<確かに、>著者は、銘記されるべき主張を行っているが、よい歴史書を書くことには失敗している。・・・
著者は、キリスト教の正統、異端の諸部門の間の区別を行わず、キリスト教徒達が一律かつ意図的に古典的異教主義を消し去ることを追求した、と措定している<からだ>。・・・
歴史書の目的は、過去を判断・・ズバリ言えば、弾劾(condemn)する・・のではなく、過去を理解することである<、という点を忘れてはならないというのに・・>。・・・
バターフィールド(Butterfield)<(注22)>は歴史学者は自分の対象を理解するよう促したのに対し、著者は、古典末期のキリスト教が、21世紀の文化相対主義を実践していなかったとして、それを弾劾している。・・・
(注22)ハーバート・バターフィールド(Herbert Butterfield。1900~79年)。「1949年の著作『近代科学の誕生』The Origins of Modern Science において、近代を画する時代区分点として、従来のルネサンスや宗教改革よりも、17世紀の近代科学の成立という事象をあて、これを産業革命にならって「科学革命」と呼称した。・・・また、1931年の『ウィッグ史観批判』The Whig Interpretation of Historyにおいて、現代、歴史の後知恵的解釈が横行していることを批判した。・・・ケンブリッジ大学卒業。ケンブリッジ大学教授」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89
著者は、キリスト教徒達が、どうして、異教徒達を攻撃したり、諸神殿を破壊したり、性的所規範(mores)を変えようとしたり、したのかを理解しようとしていない。」(D)
⇒バターフィールドが対象としたのはそれまでの欧米の歴史学ないし歴史学者達であったのに対し、著者が対象としたのは古典末期のキリスト教ないしキリスト教徒達である、という違いこそあれ、私には、両者が対置されるべきものだとは思いません。
両者とも、対象を、批判的(弾劾的)に理解しようとしている点では同じでしょう。
(そもそも、批判(弾劾)的な動機がない歴史書は、一般的に面白くないものです。)
もとより、バターフィールドは歴史学者であったのに対し、著者はジャーナリストなのですから、それぞれが書いたものの、歴史書としての、体裁、バランス、典拠付け、等の質に差があって当然でしょう。(太田)
・・・著者は、数頁を、ケルソス(Celsus)<(注23)>に対する諸攻撃<の紹介>に費やす。
(注23)2世紀のギリシャ人哲学者。『真実の世界(The True Word )』を書いたが失われ、それに対する反論書であるオリゲネス(Origen)の『ケルソス駁論(Contra Celsum)』(177年)の中の前者の引用部分のみが残っている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Celsus
オリゲネス(Origenes Adamantius。185?~254?年)。「アレクサンドリアの裕福なキリスト教徒の家庭で・・・生まれた・・・古代キリスト教最大の神学者。いわゆるギリシア教父とよばれる神学者群の一人で、アレクサンドリア学派といわれるグループの代表的存在。『諸原理について』(De Principiis)など膨大な著作を著したが、死<の300年>後異端の疑惑をかけられたため、多くの著作が処分された。キリスト教の教義学を初めて確立し、その後の西欧思想史に大きな影響を与えたと評される。・・・
新プラトン主義(ネオプラトニズム)の影響を強く受け・・・プラトンの『ティマイオス』と旧約聖書の『創世記』の世界創造の記述を融合しようとし<た。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%8D%E3%82%B9
彼は、キリスト教とキリスト教徒達・・子供達、靴修理屋達、洗濯作業員達、田舎っぺ達・・が大嫌いだったが、「このキリスト教に対する最初の偉大な批判者の著作の純正な巻は一つたりとも生き残ることはなかった」・・・と、著者は我々に伝える。
しかし、そのわずか1頁後で、著者は、「文献的運命のいたずらによって、ケルソフの諸言葉の大部分は生き残った」ことを認めている。
1世紀近く後の、オリゲネスによる反論が彼の敵(opponent)<の諸言葉>を詳細に引用しており、彼らにとって最も鋭い批判者のまさにその諸言葉を含めることを欲し、除去することを欲しなかったところの、<『ケルソス駁論』の>写本筆写者達によって、ケルソスの<諸言葉の>恐らくは70%は保持された、と、著者は、正しくも説明しているのだ!
(続く)