太田述正コラム#9633(2018.2.8)
<キリスト教の原罪(その11)>(2018.5.25公開)
ここが、著者のキリスト教に対する攻撃の一番弱い部分なのだが、思うに、彼女は、意図的にそれをはぐらかしている。
彼女は、勝者が歴史を書くという、よく確立された原理を強く主張し、キリスト教はあらゆる反対の声を悪意の下で抑圧した、とする。
しかし、古典世界由来の殆ど全ての書かれたものはキリスト教徒たる写本筆耕人達のおかげで我々に届けられた、という真実を、著者は、十分認識したり認めたりしていないと思う。
<もとより、欧州が>キリスト教<世界になってから>の諸世紀を通して、我々の写本筆写者達が自分達の関心の大部分を聖書と宗教的なものに向けていたことは争う余地がない。
しかし、キリスト教にあっては、常に、聖アウグスティヌスの諸言葉によるところの、「エジプト人達から略奪(spoil)する」傾向(strain)、すなわち、それがキリスト教信仰と倫理的に適合的である場合、異教の世界から最良のものを採用したり、聖霊がキリストの再臨のために世界を準備することに資するべく異教の思想家達を活用することができることを認めたりする、傾向がずっと存在した。
著者は、古代のラテン語文献のわずか1%<・・あれ、10%じゃなかったの?(太田)・・>しか生き残らなかった、と主張し、このような、諸本のひどい喪失は、全て、キリスト教の頑迷固陋さによる、と示唆している。
<しかし、>彼女がどうやってこんな数字をひねり出したのか、理解に苦しむ。
<むろん、>正しいかもしれないのだが、確かめようがないではないか。・・・
恐らく、こんな諸数字のもっともらしさを検証する最善の方法は、キリスト教の現代の諸社会に対する、計測可能で証拠が十分存在するところの、影響、を見つめることだ。
例えば、ヴェトナムで、5年間(1857~1862年)にわたって、215人の男性及び女性の聖職者達、と、平信徒達少なくとも5,000人、が殺され、更に大勢の人々が財産を没収されたり亡命に追い込まれたりした、と推定されている。
ギボンの諸数字を見る限り、<ヴェトナム人達に比べれば、>ローマ人達など<、キリスト教徒迫害にしても異教徒迫害にしても>、借りてきた猫(pussycat)達みたいなものだ。
著者の数字は本当に正しいのだろうか<、と疑いを持たざるをえない>。」(E)
⇒これは、とんでもない言いがかりというものです。
ベトナム人キリスト教徒達が、ずっと後の第二次世界大戦後の南ベトナム当時に、キリスト教国たるフランスや米国に積極的に協力したことからして、(本来、別途、改めて調べるべきではあるけれど、)1847年から、フランスによる露骨なベトナム侵略が始まっていたところ、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
当時も、ベトナム人キリスト教徒達はキリスト教国フランスにシンパシーを抱いていた可能性が大です。
かかる、国の存亡がかかった大有事において、敵性と目された自国民達を無害化しようとしたのは、当局として、当然のことだからです。(太田)
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[「(3)野蛮の時代」への追補]
「初期のキリスト教徒達は弱々しく穏やかで、愛と讃嘆の諸讃美歌を唱和しながら自らの殉教へと赴いた、という長く抱かれてきた観念にもかかわらず、著者が顕現したように、真実は大いに異っていた。
弱々しく穏やかなどころか、彼らは、暴力的で容赦なく、かつ、基本的に非寛容だった。
新しい一つの宗教など、古い諸宗教に基本的な差異をもたらすことはない、という多神教的世界とは違って、この<キリスト教という>新しいイデオロギーは、それこそが流儀(way)であって、真実であって、光である、のみならず、その伝で行くと、他のあらゆる流儀は間違いであり破壊されなければならない、と宣明した。
1世紀から6世紀にかけて、この<キリスト教>諸信条(beliefs)に沿おうとしない者達は、社会的、法的、金銭的、かつ、物理的、な考え得るあらゆる形で追及された。
彼ら<異教徒達>の諸祭壇はひっくり返され、彼らの諸神殿は取り壊され、彼らの神像群は粉みじんにされ、彼らの神官達は殺された。
それは、絶滅行為だったのだ。」(F)
(続く)