太田述正コラム#9637(2018.2.10)
<キリスト教の原罪(その13)>(2018.5.27公開)
これら全てから何かを感得するとすればそれは何か。
第一に、修道士になる前に、慎重に考えなければならない。
修道院がどんなところかが<自分には>分かっているかどうか確認すべきなのだ。
第二に、キリスト教は、基本的に被虐性欲的な宗教なのだ。
そして第三に、被虐的(self-punishing)諸特徴は、時間と場所の特産物であることだ。
それは、ローマ的退廃に対する反応(reaction)であるだけではなく、著者が、この、巧妙で(clever)注目せざるを得ない本の中で指摘するように、皇帝による迫害が終焉したことに対する対応(response)でもあるのだ。
この理屈によれば、それだけではなく、ローマ帝国がキリスト教を<国教として>採用した後、若干の人々は、爽快であったところの、殉教の恐怖、への郷愁を覚え、比喩的な方法で自分達自身を殉教せしめる、という形の代償行為を行った、というのだ。
これぞすなわち、苦行主義(asceticism)の本質なのだ。
それは、聖ヒエロニムス(Jerome)<(注27)>が、吠え立てている、カネを払った群衆の前で殺されるところの、赤い殉教の類とは区別される、「白い殉教(white martyrdom)」、という、吹き替えを行ったところの、症状群だったのだ。
(注27)エウセビウス・ソポロニウス・ヒエローニュムス(Eusebius Sophronius Hieronymus。347?~420年)。「キリスト教の聖職者・神学者。<旧新約両>聖書のラテン語訳・・・者として知られる。四大ラテン教父のひとり<。彼は、>・・・ダルマティアで生まれ・・・ローマに留学し・・・ギリシア語を習得し、・・・神学の研究に生涯をささげることを決意<し、>・・・ヘブライ語を学んだ。・・・<そして、>聖書の翻訳事業にとりかか<り、>・・・ベツレヘムに落ち着くと、著述のかたわら聖書の翻訳を続け、405年ごろ完成させた。この聖書こそが中世から20世紀の第2バチカン公会議にいたるまでカトリックのスタンダードであり続けた「ウルガータ」訳聖書であった。ウルガータ(Vulgata)はラテン語で「公布されたもの」という意味である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%83%A0%E3%82%B9
皇帝ネロが彼らを焚刑に処すかもしれないという、善き古き日々、への復帰を希求する迫害中毒者達がいる一方で、復讐する天使達もまたいた。
そのタイトルが示唆しているように、著者のこの本は、軍事的な意味での凱旋行進の形での勝利として、キリスト教の進展を提示する。
文化的には、それはジェノサイド、すなわち、一種の反啓蒙主義、だった。
すなわち、古い諸宗教を絶滅させつつ、猛り狂う天使主義者達が、「人類史上空前の、美術品の最大の破壊」、を実行したところの、暗黒化だったのだ。
これは、確かに、我々が日曜学校で教わった歴史ではない。
曖昧模糊とした(milky)英国教的宗教観(tradition)の下で育てられた<イギリス人>読者達は、初期の聖人達と彼らの大槌を振り回す追従者達、の野蛮さ(savagery)のことを学んで吃驚することだろう。
ここに、若干の暗黒化年号群を掲げておこう。
312年:皇帝コンスタンティヌス(Constantine)、キリスト教が彼が諸敵を打ち破るのを助けた後にキリスト教に改宗。
330年:キリスト教徒達、異教の諸神殿の涜神を開始。
385年:キリスト教徒達、パルミラのアテーナ神殿を略奪、この女神の像の首を落とす。
392年:司教のテオフィロス(Theophilus)<(注28)>、アレキサンドリアのセラピス(Serapis)<(コラム#5132)>神殿を破壊。
(注28)アレキサンドリアの法王テオフィロス(Pope Theophilus of Alexandria。~412年)。
https://en.wikipedia.org/wiki/Pope_Theophilus_of_Alexandria
415年:ギリシャ人数学者のヒュパティア、キリスト教徒達によって殺害。
529年:皇帝ユスティニアヌス(Justinian)、非キリスト教徒達が教職に就くことを禁止。
529年:アテネの学院が閉鎖され、900年にわたる哲学的営み(tradition)が終焉。
以上は、著者のこの本の首尾(merit)と付託(remit)について、若干の感覚(idea)を<我々に>与えてくれる。
そして、その不首尾(demerit)についても・・。
推測(conjecture)として提示されるべきものが事実として佇立させられている(styled)。
こうして、推測を<事実として>認めてしまっているため、それが不確かである諸理由が与えられていないし、検証されてもいないのだ。」(G)
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(続く)