太田述正コラム#0572(2004.12.23)
<マキアヴェッリとヒットラー(その4)>
(2)ヒットラーは「君主」合格か?
さて、その後ヒットラーがたどった軌跡は皆さんよくご存じのとおりです。
ヒトラーは1945年4月30日に自殺し、ナチスドイツはその一週間後に連合国に降伏します。
このような結末は、ヒットラーの「君主」としての限界を示すものなのでしょうか。
私は必ずしもそうは思いません。
ヒットラーは、マキアヴェッリの思い描いた理想の「君主」としてその生涯を見事に全うしたと言えるのではないでしょうか。
なぜなら第一にヒットラーは、一切「戦争と軍事組織、軍事訓練以外に目的を持ったり、これら以外の事柄に考慮を払ったり、なにか他の事柄を自らの業と」(コラム#568)することがなかったからです。
ヒットラーは、彼の「自己の軍隊」たるナチスドイツ軍(Wehrmacht)を世界再精強に鍛え上げました。
それはナチスドイツ軍が、ノモンハン事件において旧日本軍に自らより大きい損害を与えて勝利したソ連軍に対し、米英軍と戦ってナチスドイツ軍が出した戦死者を併せても、なお戦死者比率で4倍以上の損害を与えた(注5)ことだけとっても分かります。
(注5)第二次世界大戦におけるソ連軍の戦死者1,360万人、ナチスドイツ軍の戦死者325万人(http://ww2bodycount.netfirms.com/。12月21日アクセス(以下同じ))
更につけ加えれば、ナチスドイツ軍は、ナチスドイツ降伏に至る第二次世界大戦の最後の一年間という圧倒的に不利な時期に、米英軍に対して依然15万2,000人もの戦死者をもたらしています(注6)(注7)。
(注6)旧日本軍は、先の大戦の全期間を通じ、米軍にわずか9万2,000人の戦死者をもたらしたにすぎない(http://www.dvd-ichiba.com/document/DKLB5007.html)ことを思い起こして欲しい。
(注7)1944年9月には会戦に勝利し(Operation Market Garden=Battle of Arnhem。コラム#523。http://www.nntk.net/arnhem_1944/arnhem_1944.html以下)、1944年12月から翌年1月にかけてなお、米英軍と互角に戦った(Ardennes Offensive(独)=Battle of the Bulge(米英)。http://www.mm.com/user/jpk/battle.htm)。この点も、開戦初期を除き、米英軍に負け続けた旧日本軍とは対照的だ。
私がヒットラーは「君主」として合格だと考える第二の理由は、彼があくことなく「領土獲得」を追求した(コラム#568)点です。
確かにヒットラーは、欧州統一に成功せずして斃れましたが、それは彼が、イギリス(後に米国がこれに加わる)と戦いながら更にソ連(ロシア)を攻撃するという、たった一つの致命的なミスを犯したからにほかなりません。
振り返って見れば、マキアヴェッリはイギリスを訪問したことがなく、そもそもイギリスは彼の関心の外にありましたし、ロシアに至っては彼の視界には全く入っていませんでした。
余りにも遅い時代にヒットラーが登場し、そこにマキアヴェッリの想定外の世界が待ち受けていたことがヒットラーの挫折を運命づけたのです。
(以上、特に断っていない限りhttp://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A6301-2004Dec16?language=printer(12月18日アクセス)による。)
4 終わりに
ソ連軍がベルリンの郊外に達し、英米軍がエルベ川に達した1945年3月19日、ヒットラーは、ドイツの(戦禍を免れて生き残っていた)すべての工場及び輸送通信システムの破壊を命じます。(jewishvirtuallibrary前掲)
「臣民もまた君主の手段に過ぎない」(コラム#568)以上、「君主」亡き後に「臣民」が生き残っても何の意味もありません。ヒットラーは、だから「臣民」たるドイツ人の生存手段を奪おうとしたのです。
彼が最期の最期まで、「君主」らしくあったことに、驚異の念を抱くのは私だけでしょうか。
プロイセンのフリードリッヒ大王(Frederick the Great=Frederick??。1712??86年)が1739年に「反マキアヴェッリ論:マキアヴェッリの君主論吟味(Antimachiavel, ou Examen du Prince de Machiavel)」を匿名で著し、当時もてはやされていた『君主論』を真っ向から否定した(http://en.wikipedia.org/wiki/Frederick_the_Great)のは、あたかも200年後にこの書を実践する者がドイツに破滅をもたらすことを予感していたかのようですね。
(完)