太田述正コラム#0573(2004.12.24)
<いかんともし難いロシア>

1 ウクライナの選挙への介入

 ウクライナの大統領候補のユシュチェンコ氏が毒(ダイオキシン)を盛られて危うく一名をとりとめたけれど、顔が吹き出物だらけになったことが大いに話題になっています。
 しかし、この話を帝政ロシア以来の歴史の文脈の中に置いてみると、これがめずらしくも何ともない事件であることが分かります。
 有名なのは、帝政ロシア末期の宮廷を牛耳った怪僧ラスプーチン(Rasputin)が1916年に暗殺された事件です。念の入ったことに、青酸カリ入り菓子、青酸カリ入りワイン、拳銃、ナイフでの暗殺にことごとく失敗した犯人は、最終的におぼれさせることによって暗殺に成功しています。
 ソ連時代には例えば、作家のゴーリキー(Maxim Gorky)が1936年にKGBに毒殺されています。
 また1978年には、KGBがブルガリアの諜報機関に毒針を仕込んだ柄のついた傘を渡し、ロンドンに亡命していたブルガリアの反体制派を殺害させています。
 新生ロシアでもこの種の謀略は頻繁に起こっています。
 今年初めのロシアの大統領選挙では、プーチン大統領に対抗して立候補した元国会議長が選挙期間中に5日間行方不明になり、後にFSB(KGBの後継機関)によって薬を飲まされて拉致されていたと告白しました。
 また、先般のベスラン事件の際、恐らくFSBによって二人のジャーナリストが一人は薬を飲まされ、一人は拉致され、ベスランに行けなくされた話しを以前ご紹介しました(コラム#465)。
 そして、ユシュチェンコ氏の事件の背後にもロシアのFSBがいる可能性が高いと考えられています。というのは、ロシアではかねてからダイオキシンを毒殺に用いる研究がなされてきたと言われているからです。
 (以上、http://www.csmonitor.com/2004/1213/p01s02-woeu.html(12月13日アクセス)及びhttp://www.nytimes.com/2004/12/15/international/europe/15poison.html?pagewanted=print&position=(12月16日アクセス)による。)

 このように、ロシアには毒を用いることをおぞましいと感じない伝統があります。

2 チェチェン独立運動の弾圧

 英ファイナンシャルタイムスの元記者のサッターは、最近上梓した本(David Satter, Darkness at Dawn, Yale UP)の中で、プーチン首相(当時)の陰謀だと囁かれてきた、チェチェン独立派によるとされている、数百人の死者を出したモスクワを含む三都市における連続アパート爆破事件(コラム#464)について、FSB関与を裏付ける状況証拠をつきつけています。
 状況証拠とは、第一に、用いられた爆薬がFSB特有のものであること、第二に、爆破されたアパートが一般労働者向けのものであり、ターゲットとして意味をなさないこと、第三に、四つ目の都市リャザン(Ryazan)では爆破が未遂に終わったところ、住民が上記と同じ爆薬を点火させようとしていたFSB要員を捕まえ、最初は関わりを否定していたFSBが後に爆薬を仕掛ける訓練を行っていたと苦しい言い訳をしたこと、です。
サッターに言わせれば、第三については、訓練に実爆弾を用いる訳がないので、FSBがウソをついていることは明らかなのです。

 (以上、http://books.guardian.co.uk/reviews/politicsphilosophyandsociety/0,6121,1376088,00.html(12月18日アクセス)による。)

3 生まれ変わるべきロシア

 ロシアが謀略の限りを尽くしてウクライナの大統領選挙に介入したりチェチェンの分離独立運動を弾圧したりするのは、ロシアの国民が、かつての帝国時代への郷愁を捨てておらず、これに代わる新しい価値を見出せないでいるからです。
彼らにしてみれば、ロシアの版図が縮小しただけでも耐え難いというのに、その上かつて版図であった国々の中にはNATOやEU加盟を希望しているものが少なくなく、このままでは緩衝地帯が奪われロシアは丸裸にされてしまう、と不安が募るばかりなのです。
 今では、かつてソ連に属していた諸国の中で、NATOやEUを安定と繁栄に資する存在とみなさないのはロシアたった一カ国だけになってしまいました。
 このように追いつめられたロシアの国民の心理が、ロシア人口の減少をもたらしています。
 現在のロシアの出生率は世界で最も低い国の一つであり、死亡率は戦時中の国並です。死亡の直接の原因は酒の飲み過ぎであり、資本主義化に伴う貧困ですが、本当の原因は帝国の崩壊による価値観の喪失なのです。
 いいかげんにロシアの国民は、アナクロ以外のなにものでもない、過去の帝国への郷愁を捨て、ロシアとしての新たな価値観を樹立した上で、自由・民主主義諸国の仲間入りをめざすべきしょう。
(以上、ガーディアン前掲及びhttp://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A130-2004Dec14?language=printer(12月16日アクセス)による。)
 それにしても、イラク情勢もこれあり、石油価格が高止まりしているため、大産油国ロシアのプーチン政権の財政は潤沢であり、このことがロシアの国民の意識改革をむしろ妨げていることは、ロシアにとって不幸なことです。

<読者>
コラムの端緒に取り上げられた諜報組織はわざわざ入手元が限られている毒物を何故採用したのだろうか。診断したウィーンの医師は分析結果を公表していないらしい。イラク戦開始時の大量破壊兵器の情報開示。古くは真珠湾攻撃の隠蔽。めぐみさんの鑑定結果も多分,公表しないだろうと思う。隣国も大量の化学兵器を保有している筈。制裁へ世論を誘導していくにはマスコミも目をつぶっているのなかと思う。

<太田>
ダイオキシンそのものはどこにもあるのではないでしょうか。
 ですから、FSBを犯人だと断定することは容易ではないでしょう。
 いずれにせよ、ダイオキシン使用の最大のメリットは、それが遅効性の毒物であることです。つまり、いつ毒を盛られたか、つきとめにくいわけです。ユシュチェンコ(ユシチェンコ?ユーチェンコ?)候補のように連日色んな場所で色んな人と会食しているような人の場合、なおさらです。