太田述正コラム#0588(2005.1.8)
<米国のキリスト教原理主義化再論(その1)>

1 米国のとめどのないキリスト教原理主義化

(1)反進化論的風潮
米ジョージア州の二番目に大きい教育委員会は、三年前に2,300人の署名入りの、進化論を記述した教科書を攻撃する請願を受けて、その教科書に「進化論は事実ではなく理論である」というステッカーを貼っていたところ、昨年、今度はこのステッカーに反対する父兄6人から訴えられてしまいました。
米国では、1925年に、テネシー州の教師が進化論を学校で教えた廉で訴えられ、有罪ととされました(Scopes trial)が、再び進化論教育の是非が法廷の場で議論されることになったわけです。
(以上、http://books.guardian.co.uk/news/articles/0,6109,1346851,00.html(2004年11月10日アクセス)による。)
これは進化論者の方が反撃したケースですが、このところ、反進化論者の側からの攻勢が強まっています。
1987年に米最高裁が学校において(旧約聖書の記述に従い、世界が6000年の歴史しかないとか神が一斉に生きとし生けるものを創造したといった)創造説を教えることを禁じた判決を行って以来、反進化論者は神を直接持ち出さず、すなわちいわゆる(神による)創造説を持ち出さず、進化は突然変異や自然淘汰だけで起こってきたのではなく知的意図(intelligent design)が働いているとする、いわゆる知的意図説を援用する形で進化論教育への攻撃が行われてきました。
ペンシルバニアのヨーク郡では、「パンダと人類について」という副読本が採択されました。
この副読本では、創造説ならぬ、知的意図説に沿った記述がなされています。(ただし、この副読本の使用は教師の裁量に委ねられています。)
科学者は一致して創造説はもとより、知的意図説も誤謬であり、科学の名の下に学校で教えることに反対していますが、米国で2001年に実施された世論調査によれば、創造説を信じる者48%、創造説に傾いている者9%、進化論を信じる者28%、進化論に傾いている者5%、分からない者10%であり、米国民の間では進化論の分が圧倒的に悪いのが事実です。
(以上、http://www.csmonitor.com/2004/1123/p11s02-legn.html(2004年11月23日アクセス)による。)

(2)デジャヴの世界
南北戦争を経た後の1863年までは米国は人種差別を是とする社会でした。何せ米国憲法で、連邦下院議員数の配分に関し黒人は白人の三分の二の存在に過ぎないとしていたのですから。
最終的にこの状況に法的決着をつけたのは、1965年のジョンソン大統領の時の、黒人に完全な市民権を与えた公民権法によってでした。
それ以降、敗れた側は捲土重来を期して雌伏してきました。
そして公民権法から40年が経った現在、公民権法の廃止を口にしている者こそまだいませんが、かつて敗れた側を代表するブッシュ政権の下で、身体障害者・移民・非キリスト教徒・同性愛者等に対する差別を真のねらいとする諸施策が公然と語られるようになりました。
それが年金制度や医療制度の市場化への動きであり、公的資金投入のなかった時代への回帰です。1913年の憲法改正までは個人に対して適用される税率に差をつけることは認められていませんでしたが、既に所得税率は基本的に単一化されています。それにあきたらず、固定資産税や所得税全廃の声が次第に強まっています。
(以上、http://www.guardian.co.uk/uselections2004/comment/story/0,14259,1346207,00.html(2004年11月9日アクセス)による。)

 (3)終焉を迎えた政教分離
昨年の大統領選挙の際に、ブッシュ大統領の選挙参謀のカール・ローブ(Karl Rove)は毎週のようにホワイトハウスでキリスト教指導者達と会議を行いました。
また、昨年6月にブッシュはバチカンで法王に会いましたが、別途国務担当枢機卿にも会い、米国のカトリック司祭達のブッシュ支援が不十分なので、もっとバチカンから発破をかけてくれと頼んだが断られた、と報じられました。
しかし、全米の保守的な司祭40人がブッシュの選対に協力しました。彼らはカトリック教徒たるケリー上院議員の妊娠中絶やクローン技術に対する姿勢を攻撃し、教会での礼拝を拒絶するとか、あげくの果てには破門するとか言い出したものです。おかげでケリーは、南部バプティスト信徒のゴアより、カトリック票を5%も減らしてしまいました。
米国の、憲法に基づく政教分離の伝統は危機に瀕しているのです。
(以上、http://www.guardian.co.uk/usa/story/0,12271,1348261,00.html(2004年11月11日アクセス)による。)

(続く)