太田述正コラム#0590(2005.1.10)
<米国のキリスト教原理主義化再論(その3)>
2 米国のキリスト教原理主義化の外部効果
現在の世界の覇権国である米国がキリスト教原理主義化しつつあること自体が恐怖ですが、その最高指導者であるブッシュその人がキリスト教原理主義者であることには慄然たる思いを禁じ得ません。
英デーリー・テレグラフ紙の前編集長のヘースティング(Max Hastings)の論説に私見を織り交ぜると次のような感じになります。
政治と宗教原理主義とは、本来相容れない間柄です。
例えば、IRAとアルカーイダはどちらも反民主主義的テロリスト団体ですが、前者は政治的目的を追求しているのに対し、後者は宗教的目的を追求しており、だからこそ前者とは交渉が成り立ち得ますが、後者とは成り立ち得ません。
同様、宗教原理主義者たるブッシュが総指揮をとってイラク戦争が行われたことは、この戦争そのものには意義があったとしても、人類にとって不幸なことでした。
「われわれの神こそ真の神であり、奴ら(イスラム教徒)の神は偽物の神だ」と語った米国の現役の将軍をブッシュは処分しませんでした。これでどれだけイラク戦争における米国(及び英国)の意図がイスラム教徒に誤解されたことでしょうか。
また、イラク戦争を行うに当たってお父さんと相談したかと問われたブッシュは、「相談していない。もっとエライお父さん(=神)とは相談したが・・。」と答えましたが、これは衆知を結集することなく、独断でイラク戦争や戦争後のイラク経営のあり方を決めた、と言っているに等しいのであって、ブッシュの受けた欠陥教育(コラム#507、509)を持ち出すまでもなく、イラクで米国が失態を繰り返すことになったのは当然でしょう。
英国の歴代首相には、ブッシュのような宗教原理主義者は一人もいません。
第二次大戦の時のチャーチルやフォークランド戦争の時のサッチャーでさえ、神に言及することなど殆どありませんでした。
宗教心の特に篤い首相としてはブレア(コラム#113、114)とグラッドストーンが挙げられますが、ブレアとブッシュの違いは歴然としています。
グラッドストーンがいかにブッシュと違うかについても、前(コラム#312)に少し触れたことがありますが、この際付け加えておきましょう。
1884年にスーダンにおもむき、マーディ(Mahdi。本名Mohammed Ahmed)を頭目とするエジプト領スーダンのイスラム反乱勢力に対して英国にことを構えさせようとしたキリスト教原理主義者ゴードン(Charles Gordon。1833??1885)将軍(注3)の画策に、首相のグラッドストーンは決して乗ろうとしませんでした。この頃、ゴードンらによって、独裁者だ、支配下の人々を苛んでいる、地域の安定にとって脅威だ、といった、イラクのフセインに対して投げかけられたのと同工異曲の悪罵がマーディに対して投げかけられたものです。
(注3)ゴードンは、1860年から64年にかけて、支那で太平天国軍に対し清朝側に立って仏英米「士官」と農民兵からなる常勝軍(Ever Victorious Army)を率いて対決し、支那及び英国の英雄となった。
グラッドストーンが1885年にやむなくスーダン出兵を行ったのは、ゴードンがカルトゥーム(Khartoum)において、本国からの撤退命令を無視してあえて自分と自分の部隊をマーディ軍の包囲下に陥らしめ、英国の世論を扇動したためです。
英軍部隊の派遣が遅すぎたため、カルトゥームに着いたときには(マーディの命に反して)ゴードンは既に殺害されていました。グラッドストーンは再び世論に逆らって、すみやかにスーダンからの撤兵を敢行するのですが、ゴードンの死の責任を問われてグラッドストーンは首相を辞任します。
しかし、当時は帝国主義時代の真っ最中でした。(湾岸戦争の後に米国がイラク戦争を行い、ついにフセインを「成敗」したように、)英国は1898年にキッチナー(Kitchener)将軍率いる英軍部隊を再びスーダンに出兵し、マーディ死去に伴い後継者となっていたハリーファ(Khalifa。本名Abdullah Ibn Mohammed)率いるイスラム勢力をオムダーマン(Omdurman)の戦いで撃破し、スーダン全域を占領し、爾後半世紀にわたってスーダンを領有することになります。ただしこの時、オムダーマンの勝利をキリスト教の勝利だなどと言う者が英国に一人もいなかったことは銘記すべきでしょう。
(以上、http://www.taipeitimes.com/News/edit/archives/2004/12/10/2003214518(2004年12月11日アクセス)による。なお、http://www.mpmbooks.com/amelia/GORDON.HTM及びhttp://www.bbc.co.uk/history/historic_figures/gordon_general_charles.shtml(いずれも1月8日アクセス)も参照した。)
(続く)