太田述正コラム#0596(2005.1.16)
<ハリー事件と英独関係>
1 始めに
英国のヘンリー王子(以下、愛称を用い、「ハリー」と呼ぶ)がパーティーでナチスドイツ軍の格好をして、イスラエルのシャロン首相を始めとする世界のユダヤ人関係者等から顰蹙を買った事件が日本のメディアでも報じられました。
毎日新聞は、「BBCが昨年12月に公表した世論調査(16歳以上の男女4000人対象)によると、アウシュビッツについて「聞いたことがない」と答えた人は45%もおり、35歳以下の世代では60%にのぼった。「聞いたことがある」人のうちの70%も、何が起きたか十分に知らないと答えている」ことを紹介し、現在の英国の若者の歴史知識不足が事件の背景にある、としています。
(以上、http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050115k0000e030014000c.html(1月15日アクセス。以下同じ)による。)
この記事の内容は、決して間違っているわけではありません。
しかし、これだけで記事を終えてしまっているところに、日本のマスコミの取材力の乏しさとジャーナリストとしてのセンスの欠如が典型的に現れています(注1)。
(注1)以上は、あくまでもインターネット版を見た限りでの話であることをお断りしておく。
2 英国民にコケにされ続けるドイツ
1974??76年の米国留学時も感じたことですが、1988年の英国留学中、テレビを見るとドジなナチスドイツ軍が連合軍にこてんぱんにやっつけられるというドラマが手を変え品を変えて幾度となく放映されていることに気付き、ドイツ人はたまったものではないだろうな、と感じたものです。
この英国留学時に、ドイツ人同僚(ドイツからは陸軍と海軍からそれぞれ一名ずつでしたが、陸軍の方)がいかにも軍人らしい勇ましい議論をまくしたてた際、大学校の英国人同僚の軍人の一人が、「ナチスドイツの時とドイツ人は全く変わってないと思わないか」と私にささやきました。私は相づちをうちつつも、いささか後味が悪い思いがしたものです。
(以下、http://blogs.guardian.co.uk/news/archives/uk_news/2005/01/14/meanwhile_in_germany.html、http://www.guardian.co.uk/germany/article/0,2763,1231329,00.html、http://www.guardian.co.uk/germany/article/0,2763,1202028,00.html、http://www.guardian.co.uk/germany/article/0,2763,1336072,00.html、http://www.guardian.co.uk/germany/article/0,2763,1331974,00.html、http://media.guardian.co.uk/site/story/0,14173,1200881,00.htmlを参照しつつ、私見を交えた。)
当時の私の想像通り、ドイツ人は英国人がナチスドイツへのあてこすりを執拗に続けてきたことに対し、極めて不愉快な思いをしてきたようです。
ハリー事件が起こってから、ガーディアンに、最近、ドイツの学校で働いていたドイツ人女性が、生徒達に「あなたはナチですか」とか「ヒットラーは叔父さんですか」とか言われて落ち込んだという話が紹介されていました。
また、昨年の4月には、英エキスプレス(Express)紙のデズモンド(Richard Desmond)社主がテレグラフ(Telegraph)紙の経営陣との会議の席上、(自分がエキスプレス紙を買収した時の資金をドイツの銀行が提供したことを棚に上げて)ドイツの新聞グループがテレグラフ紙の買収に名乗りを上げていることをあてこすって、ドイツ語で挨拶をし、「ドイツ人は皆ナチだ」と言った挙げ句、怒って退席しようとしたテレグラフ紙経営陣に対し、エキスプレス紙の他の経営陣にナチス時代のドイツ国家を歌わせ、自らはナチスドイツ流の最敬礼をした、と報じられました。
このような背景の下、昨年の10月、ドイツのフィッシャー(Joschka Fischer)外相が、英国のメディアがいまだにドイツを「プロイセン式鵞鳥行進」の国として描き続けていることに苦情を述べました。
英国の学校が、かつて西欧をリードしたドイツ文化や、民主化し、西側防衛の第一線の役割を果たし、同時に東西の緊張緩和に尽力した戦後のドイツについて何も教えていないことに対する不満もドイツ政府から聞こえてくるようになりました。
ドイツ政府の気持ちには同情を禁じ得ません。よくもまあ今まで何も言わずに我慢してきたな、と言いたいくらいです。
その10月にドイツ政府は、英国の歴史の教師達を(五つ星ホテルに泊める等52,000ユーロも使った)ドイツ視察旅行に招待するという試みを初めて行ったのですが、「成果」は今一つだったようです。
3 ハリー事件の本質
そろそろ毎日新聞の記事のどこが物足らないのか、種明かしをしましょう。
英国人は、アウシュビッツの名前こそ知らないかもしれませんが、ナチスドイツが先の大戦において四方八方に侵略を行い、その間にユダヤ人を虐殺し、最終的に英国等の連合国に敗れたことは熟知しているのです。
問題なのは、フツーの英国人のドイツに関する知識がそれだけだということです。
そもそも英国の歴史教育においては、(われわれからするとちょっと信じがたいことですが、)欧州はほとんど登場しないのだそうです。実際、11世紀におけるフランスのノルマン人によるイギリス征服以降、欧州の話は20世紀になるまで全く出てこないといいます。
その20世紀の欧州の話は、「面白くかつ単純明快な」ナチスドイツの話だけと相場が決まっているようです。英国の大学資格検定試験(GSCE)で歴史を選択する生徒が選ぶテーマの60%が「ヒットラーとナチスドイツ」であるほどです。
ですから、ハリーはナチスドイツによるユダヤ人虐殺は十分承知しつつ、クールだと考えて、海賊やマフィアの格好をするノリで、「悪漢」ナチスドイツ兵のコスチュームをまとった、と推察されるのです。
このように見てくると、ハリー事件にユダヤ人関係者が抗議したのは、理解はできるけれど、的はずれであり、むしろドイツ関係者こそ、「いいかげんにしてくれ」と抗議すべきだった、と言いたくなってきます。
しかし、どうしてそんなに英国人はナチスドイツにこだわるのでしょうか。
ドイツ人は、どうして英国人は、その大部分が生まれる前の第二次世界大戦にいつまでもこだわるのか、と問を再構成するのですが、解答を探しあぐね、途方に暮れています。
日本人の私には分かります。
第二次世界大戦によって英国は帝国を喪失したからです。
その直接的原因をつくったのは日本であってナチスドイツではありません。
ところが、帝国を喪失したこと、つまりは植民地を失ったこと、をあからさまに嘆くわけにはいきません。旧植民地の反発と米国等の嘲笑を買うだけだからです。しかも、日本は捕虜の虐待は若干したし、また支那等で民間人を若干は虐殺したけれども、自分達だってその程度のことは戦時中にしている。となると、あからさまに鬱憤をぶつけられるのは、ホロコーストという、文字通りの人類に対する罪を犯したナチスドイツだけだ、ということになるのです(注2)。
(注2)英国人は、ドイツ人に対してはHun(フン族)、日本人に対しては(米国同様)Japsという蔑称を使うことがあるが、前者の蔑称の方がはるかに陰湿だ。日英同盟を引き合いに出すまでもなく、英国人は、アングロサクソン以外では例外的に、日本人に対し敬意と親近感を抱いている、と私はかねてから考えている。
4 エピローグ
(以下は、上記典拠を離れる。)
最後に二つのことを申し上げます。
一つは、イラク戦争を契機として、ドイツがフランスと足並みをそろえて、英米非難を行うに至ったのは、戦後一貫してドイツ人をコケにし続けてきた英国と米国に対する憤懣の爆発だ、ということです。冷戦が終わり、東西ドイツの統一も果たし、フランスという僚友もでき、EUという城もできた以上、これい以上辱めに耐え続ける必要はない、とドイツが考えたとしても誰がこれを非難できるでしょうか。
申し上げたいもう一つは、英国王室の存続の可否が問われている(http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,5673,1391124,00.html)、ということです。
チャールス皇太子は、ダイアナという、血筋は高いけれど高卒の平凡な女性を、愛人がいながらめとり、ダイアナを離婚と「不倫」、更には悲劇的な死に追いやり、自らは言わでもがなのきわどい評論家的発言を繰り返してたまの尊敬と頻繁なる失笑を買い、かつ今回息子達に王族としての矜恃と判断能力を与えることにも失敗したことが明らかになったことで、英国王室の権威は墜ちるところまで堕ちた、と思うですが、いかがでしょうか。
<一井>
私は英国の大学で使われている英国史教科書のようなものを未だ通読したことがないので,以下のコメントが正鵠を得ているかどうかわかりませんが,コラム#596で触れられていた英国人のドイツに対する複雑な感情の遠因の一つには,1840年,ドイツはDuchy of Saxe-Coburg and Gotha(サクス・コウバーグ・ゴータ公国)のエルンスト3世の次男アルバート公とヴィクトリア女王との婚姻があるのではないでしょうか?
(当公国領の位置はこちらから:http://www.thomasgraz.net/map-D-1871.htm)
(同家の歴史・系図はこちらから:http://www.sachsen-coburg-gotha.org/english/chronologie.html)
数年前,米公共放送局のPBSでヴィクトリア女王治世下の大英帝国史という趣の4話構成の番組が放映されました.
Queen Victoria’s Empire
http://www.pbs.org/empires/victoria/text.html
当番組によると,ヴィクトリア女王治世下の大英帝国発展の基礎固めに貢献したのがアルバート公でしたが,公の御飾り的役割を超えた積極的な内政・外交関与に当時の英国人はあからさまに嫌悪して個人攻撃を繰り返し,ドイツから送り込まれたスパイという見方を常に抱いていた模様です.女王の署名のインク吸い取り役に徹して,求められたことのみ無難にこなす人畜無害的存在であったならば,このような個人攻撃を受けずに済んだのかもしれません.当時の英国の国威発揚に非常に貢献した1851年の世界初万国博覧会を取り仕切り,成功に導いたのが同公であったことも,産業革命発祥の地の英国人としては御株を奪われ内心忸怩たる思いではなかったかと想像されます.この番組の視座は,1861年の同公の死により,同女王は糸の切れた凧状態になり,同公存命中は封印状態にあった彼女生来の帝国伸張性向が保守党の党首ディズレーリという触媒を得て満開になった,というもので,その伸張に当時の福音主義が重要な役割を演じていたとしています.
ところで,同番組の第4話の前半部では(http://www.pbs.org/empires/victoria/text/historyscramble.html),コラム#590で触れられていたゴードン将軍とマーディの一件が扱われていました.当時の英国人にとって,カルトゥーム陥落でのゴードン将軍の死は,米国人(特にテキサス人)にとっての1836年のアラモ砦陥落におけるディビー・クロケットのそれと同じように(http://www.pbs.org/wgbh/amex/alamo/index.html),事実よりも伝説の方が人々の脳裏に強く焼きついたようすね.
<太田>
アルバートについては、コラム#309でちょっととりあげており、続く#310も併せてお読みになれば、私が当時の英独関係を、(少なくとも英仏関係に比べれば)良好なものとしてとらえていることがお分かりになると思います。
しかし、一井さんご紹介のPBSの番組のようなとらえ方もできるのかもしれませんね。