太田述正コラム#0600(2005.1.20)
<男女平等問題をめぐって>
1 始めに
男女平等を求める運動(Feminism、Women’s Equality Movement)は、英国のメアリー・アステル(Mary Astell。1668-1731年)(注)らが先駆けとなり、18世紀末に英国のウォルストーンクラフト(コラム#71。1759-97年)が始めたものです。
(注)結婚生活における女性の差別的地位を指摘した上で、女性にも高等教育を受ける権利があるとし、女性が高等教育を受ければ、結婚した女性が子供をよりよく教育できるし、何よりも女性が妻や母親以外の役割を果たすことができるようになり、社会全体が裨益する、と主張した(http://www.litencyc.com/php/speople.php?rec=true&UID=168。1月19日アクセス)。
彼女達と彼女達の後に続いたフェミニスト達の血のにじむような戦いのおかげで、今日においては、先進諸国を始めとしてほとんどの国で、法的には男女平等が保障されるに至っています。
しかし残念ながら、実態として男女平等が確立している国はまだ存在しない、と言っても過言ではありません。
ただし分野によっては、例えば、人間社会を研究対象とせず、だからこそ論文の質だけがモノを言う理工系の学者の世界では、実態としての男女平等が確立している、としても不思議はありません。
ところが、米国においてさえ、女性の理工系の研究者の多くはそうは考えていないようなのです。
だからでしょう。米ハーバード大学のサマーズ学長が、理工系の学者の世界において男女差別は存在しない、という趣旨の発言をしたところ、大騒ぎになりました。
(以下、http://www.nytimes.com/aponline/national/AP-Harvard-President.html?ei=5094&en=fa5a0e57c4fb66e5&hp=&ex=1106024400&partner=homepage&pagewanted=print&position=(1月18日アクセス)、http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/education/4183495.stm(1月19日アクセス)、http://www.nytimes.com/2005/01/18/national/18harvard.html?ei=5094&en=bf850d692ab7cba9&hp=&ex=1106110800&partner=homepage&pagewanted=print&position=(1月19日アクセス)、http://www.guardian.co.uk/gender/story/0,11812,1392804,00.html(1月19日アクセス)による。)
2 サマーズ発言
サマーズ(Lawrence H. Summers。経済学者。クリントン政権で財務長官を務める)発言は、1月7日に、「女性や黒人等と科学・工学」をテーマとして開催された会議で飛び出したものです。
発言の要旨は次のとおりです。
本日はあえて挑発的な話をさせてもらう。
大学の数学や工学の教員で上をめざすのであれば、活躍している弁護士・銀行家・経営者並に週80時間は仕事に時間とエネルギーを投入しなければならない。しかし、結婚していて子供のいる女性の教員には、そこまでの犠牲を払う意思のある人は少ない。
大学の教員の昇任に関し男女差別はない。差別があるように見えるとしたら、それは男女それぞれの候補者の数が違うからだ。差別があるから男女の候補者数の違いが生じているとも思わない。
高校の科学や数学の試験では、男子生徒の方が女子生徒に比べて、非常に高い得点をとる者と非常に低い得点をとる者の割合が多い。この違いは、男女の社会化過程の違いに由来するのではなく生物学的差異に由来するという研究がある。私自身、自分の娘をジェンダーフリーに育てようとして二台の玩具のトラックを与えたところ、彼女がトラックを走らせて遊ぶと思いきや、トラックにマミートラックとダディトラックという名前をつけて家族ごっこを始めた、という経験がある。
研究者ばかりの約50人の聴衆のうち女性が半分を占めていましたが、そのまたほぼ半数はサマーズ発言に批判的であり、サマーズ氏の発言中に怒って席を蹴って会場を後にした人も何人かいました。そして英米のマスコミが本件を大きく採り上げるところとなりました。
そもそもサマーズ氏は、同氏が学長に就任した2001年以降、ハーバード大学で女性の研究者が生涯教授資格(tenure)を付与される割合が36%から13%に減り、昨年は32人中女性は4人に過ぎなかったことから、女性研究者達から批判されてきた人物です。
とまれ、サマーズ氏がこれまで受けてきた批判も、今回受けた批判も、いずれも女性サイドからのものであり、男性サイドからは批判の声があがっていないことは、当然のことなのかもしれませんが、興味深いところです。
3 感想など
私は、サマーズ発言は基本的に正しい、と思います。
しかし、同時にサマーズ発言に批判的な女性研究者達の気持ちもよく分かります。
女性にとびきり優秀な人は少ないのだからお前もとびきり優秀ではないのではないかという偏見と闘い、更に、女性は結婚して子供ができると仕事より家庭を優先しがちなのでお前もそうなるのではないかという偏見と闘ってきた女性からすれば、サマーズ発言はこれら偏見を助長しかねない余計な発言、ということになるからです。
さて、目を先進国の行政官の世界に転じると、キャリア高級官僚の世界でもポリティカル・アポインティーの世界でも、女性が逆差別されている、つまりは優遇されている、ことが前から気になっています。
優遇されて当然です。任免権者が選挙で選ばれる政治家だからであり、有権者の半分は女性だからです。(これは政治家同士の話だけれど、適不適はそっちのけで女性閣僚の数にこだわる小泉首相を思い起こして下さい。)
日本の場合で言えば、元厚生官僚で(あのいわくつきの)社会保険庁長官を経てアイルランド大使となり、現在は最高裁判事をしているY女史とか、上智大学教授からジュネーブの国連軍縮委員会担当大使に任命され、勤め上げて再び古巣に戻ったI女史がすぐ念頭に浮かびます。
このお二方が極めて優秀であることは私自身、よく承知していますが、任命されたポストに適任であるかどうかまでは私には分かりません。大使ポストについて言えば、私は外務官僚以外の人をもっともっと増やすべきだと思っているので、外務省以外の人が登用された、という意味では大賛成なのだけれど、果たして男性を含めれば極めて多数おられるはずの適任者の中でお二人がそれぞれ最もふさわしい人材であるのかどうかは疑問なしとしない、ということです。
Y女史の最高裁判事就任については、もっと大きな疑問符が付きます。
率直に言って、お二人は女性なるがゆえに優遇された可能性が高い、と思うのです。
米国の場合で言えば、クリントン政権の時のオルブライト国務長官も女性、第二次ブッシュ政権の国務長官も女性のライス(Condoleezza Rice)大統領補佐官、というのもそうです。
前任のパウエル氏は黒人でしたが、ライスは女性でありかつ黒人なので、二重に優遇された面があることは否定できないでしょう。
そもそも、第一次ブッシュ政権で大統領補佐官に抜擢されるまではライスはスタンフォードの副学長でしたが、女史を副学長に抜擢した当時の学長が、ライスが女性で黒人でありかつ若年であることを抜擢の際に考慮しなかったと言えばウソになる、と正直に語っています。
(ライスについてはhttp://www.latimes.com/news/politics/la-me-rice16jan16,0,7216096,print.story?coll=la-home-headlines(1月17日アクセス)による。)
男女平等問題は悩ましい、とつくづく思うのは私だけでしょうか。
<A>
太田述正様、こんにちは。
常々、上司から太田様のコラムを紹介してもらい、毎々の力作に膝を打ったり感銘を受けたり溜飲が下がる思いをしたりしております。
一度メールを差し上げようと思いつつ今日まで経ってしまいました。
だというのにいきなり長文となり申し訳ございません。
簡単な自己紹介ですが、私は大学卒業後何度も転職して現在の会社に入って今年で10年となります。(その間も他の会社に出入りしたりしてます)
結婚後も仕事を続け現在は小学4年と年中さんの男の子二人を抱え、夫と義父母と同居しており、いわば仕事人、妻、母、嫁、主婦といった世の女性の積集合を生きていると申しましょうか…
また働きながら子育てをしている世帯を中心にした地域活動グループを運営しております。
このような活動をするに至ったきっかけは私自身働きながら子育てをする過程でたくさんの障壁に遭遇したからであります。
第一子出産時に育休を取得しようとしたら当時の上司に怒鳴られ退職を迫られたり、保育園探しに大変苦労したり(ウチの市では、公立保育園でゼロ歳児保育を一切実施していません)「こんなに小さいうちから預けて可哀想」だの「女は家庭を守って一人前」だの「自己実現のために子どもを犠牲にするのか」だの口は出すくせに手を出さない無責任な連中の不用意な言葉を浴びせられ「これじゃー誰も子ども産まない!というか産めない!自分だけの問題ではない」と一念発起し、平成11年に地域活動グループを設立。現在に至ります。
「働くカーチャンの用心棒・必殺仕置き人」を自負しており働くカーチャンの広告塔?として行政および各方面に働きかけたり個別の相談に乗ったりしてきました。
そうして、やがて私が遭遇してきた問題(保育問題女性の雇用問題)の根元は一つの枝葉の現象に過ぎない、日本が抱えている問題そのものを解決しなければ対症療法にしかならないと気づきました。
大局的に結果をジワジワと、でも確実に出していくために何か効率的な行動をしたいと無い知恵をしぼってのたうちまわった結果たどりついたのが「ニッポンのカーチャンの民度をあげる!」ということでした。
民度の高い国でないと国と家族と家庭をまもりお互いを尊重しあって幸せに暮らせないから!です。
そしてその国の民度はその国のカーチャンで決まると私は思っています。
働き者で賢く強く美しく優しい、それが正しいカーチャン。
トーチャン一大事の時それを支えずして女がすたる!ひいてはカーチャンが良き母であり美しく賢い妻であるということはその国のトーチャンがいい男だから!いい男に育てるのは…やっぱりカーチャン!!
ということで、
> ◆太田述正コラム#0600(2005.1.20)
> <男女平等問題をめぐって>
大変興味深く拝察しました。
私も様々な活動を通じフェミニスト活動家とお会いすることがあります。
彼女たちを敵に回すつもりもないし、多くの部分で共感するのですが常に言語化できない違和感がありました。
その小骨を太田さんのコラムが取り除いてくれたように思います。
> 大学の数学や工学の教員で上をめざすのであれば、活躍している弁護士・
> 銀行家・経営者並に週80時間は仕事に時間とエネルギーを投入しなければな
> らない。しかし、結婚していて子供のいる女性の教員には、そこまでの犠牲
> を払う意思のある人は少ない。
現在私はウチの市の男女共同参画推進委員を担っておりますが世界的に決定権を持つ立場の女性の割合を3割にという動きがあります。ウチの市においてもまず職員からこの数値目標をあげるべきだという意見が他の委員から出ました。
そこで、事務局側は「我々は公務員であるから本人が希望すれば昇進はできる。
女性の役職へのチャレンジを全く阻害していない。数値目標を上げる意味がない」とこの提言に難色を示しました。
私は数値目標を上げる上げないはこっち(委員側)の勝手で事務局には拒否権はないんだから拒否権がないくせに拒否をする事務局側を指摘しましたが、数値目標については声高に賛成することができませんでした。まさしく!!この「そこまでの犠牲を払う意志のある人が少ない」という事実です。逆から言うと「そこまでの犠牲を払いたくないという意志」があるのです。
これをうっかりフェミニストの方に言おうものなら「幼い頃からの刷り込みのせい!本人の意志ではない!男性社会のご都合主義の犠牲」とか始まっちゃうんですよね。それに違和感があったんです。
といって、意志のある女性も中にはいて実際にそういう仲間が機会を奪われひどいめに遭っていることも痛いほど知っているから機会を広げる手段としての「数値目標」があってもいいかもしれませんが。
「数値目標」それ自体が目標となっては本末転倒です。
> 高校の科学や数学の試験では、男子生徒の方が女子生徒に比べて、非常に
> 高い得点をとる者と非常に低い得点をとる者の割合が多い。この違いは、男
> 女の社会化過程の違いに由来するのではなく生物学的差異に由来するという
> 研究がある。私自身、自分の娘をジェンダーフリーに育てようとして二台の
> 玩具のトラックを与えたところ、彼女がトラックを走らせて遊ぶと思いき
> や、トラックにマミートラックとダディトラックという名前をつけて家族ご
> っこを始めた、という経験がある。
自分が女で結婚妊娠出産で就労の継続に苦労した経験があってもいや、あってこそサマーズの見解を納得せざるを得ません。
私自身女で、男と恋をし結婚をして男を二人産んでしかも育ててみますと、まったくもって別の生き物とであると日々実感するからです。
動物のメスをみればわかるようにメスはつねに自分の遺伝子をひく子どもをコンスタントに産み出すある意味平均的な存在で、選り好みをしなければ必ずつがえます。一方のオスは優秀な卓抜した者にメスが集中、ほかのハズレのオスは一生メスとご縁がないことも珍しくありません。なぜなら、メスが常に優秀な遺伝子を求め、持ちうるオスはさらに持ちそーでないのはさらにハズレになっていく。(疫病が流行ったりなんか環境の変化が起こったときに生き残る遺伝子があるのかもしれませんが。)
しかも動物界には一夫一婦制度みたいなもてないオスの救済策(と、私は思っています)がなかったわけですからできるオスとできないオスの差が開いて真ん中が居なかったということがが容易に想像ができます。
一方メスは少々オカチメンコでもなんでも子宮という貴重な遺伝子再生産マシーンを有しており、常に一定以上のニーズがあるわけですから(選り好みしなければオスは市場に有り余っている)他のメスと比べことのほか優れる必要もないわけです。だから良い意味でも悪い意味でも平均的。
人間だってご先祖はお猿さんで、200万年前くらいにやっと人になったわけですから動物界と本当はあまり変わらないと思うのです。
私も地域活動グループ発足以来女性学的な見地やらなにやらで男女平等とか少子化対策など考えてきましたが、袋小路に入るばかり。
動物だったらどうだったんだ?と考えると答えが妙にスッキリするのです。
子どもを育む特性をもったメスが命をかけて(異性にもてるために)全てを犠牲にして狩り(仕事)や戦争(異性を奪うための闘争)に打ち込むでしょうか?
やっぱり打ち込まないよなぁと思うのです。
ただし、動物界のメスはすべて自前でエサを運んで来ますから、最低限子どもと自分が食べられるエサくらいは確保しようとは思います。
私もこの程度のエサで正直十分です。
その僅かなエサすら取り上げようとしたから噛みついたのであって、女性役職3割数値が達成しない=男女平等じゃないとは思えないのです。
教員や弁護士にはなるかもしれない。
でも校長や裁判官まではどうか?
オスのように命はってまではチョットね。というのがメスの本心なのではなでしょうか?
それで、がんばったところでオスにもてて?生活が変わる?
いやそこまでしなくてもオスは確保できるんだからやっぱりメスはしないでしょう…
これこそがサマーズが指摘する「そこまでの犠牲を払う意志」がない原因だと考えます。「犠牲を払わない」崇高な意志があるとメス代表としてはせめて言いたいですが。(笑)
これが男女の仕事への意識の差に関する私の見解です。
> 男女平等問題は悩ましい、とつくづく思うのは私だけでしょうか。
お互いの特性と求めるものを客観的に理解していつも機会は平等にして、チャンスのドアを開けておく、あとは神の見えざる手に委ねて言いたいヤツには言わしておけということですかね。
女性はキャリア向上(社会的地位優位向上)に関しての労働意識が低いとしても代わりに環境を良くするための活動にはタダでもなんでも身を粉にして働いたりする。(エコ活動などなど)あれ、単純に子どもを育てる巣の回りを安全にしたいという母鳥と同じ本能的な動きだと思います。
金子みすずでもないですが男も女も男的な生き方も女的な生き方もどちらも選べるという前提が確約されているのであれば(先進国では実際そうなっていますが…)様々なリスクを分散、分担するという意味で生きてい上で健全でどっちも必要どっちも違っていてどっちもいいのではないでしょうか。
最近は第三号被保険者の男性も増えておりますし
ちょっと横道にそれますが男女の話が出たので。
例えば少子化対策を例に取りますと、すでにフランスの例にもあるように非婚未婚で子どもが産めれば女は産みます。これ断言できます。
生活が安定しない風采のあがらない男の本妻より生活を保障された上にいい男のキムタクの2号さんの方が断然いいからです。
「卓抜したオスに一極集中」が実は女にとって良いオス(及び遺伝子)を平等に分かち合えるこれぞ遺伝子レースの平等参画!なんて思ったりしてしまいます。(各方面に叱られそうですが)
いずれにせよ、結婚制度はあってもいいかもしれませんが好きなような婚姻スタイルを選びそれを責められない世の中の意識があればよろしいのかと思います。
まぁ戦前はそうだったようです。私の祖母もお妾さんで一生困らず豊かに暮らしていますし、本家の本妻一族とも普通の身内として今でも私自身つきあってますから…。
祖母曰く「親に決められた隣町の農家の息子なんかとは絶対に結婚したくなかった。絶対にサラリーマンでかっこいい、あなたのおじいちゃんと一緒になりたかった。いろいろあったけど、農家の奥さんになって田畑に出る生活にならずこうして広い家に住めて、ひ孫にも恵まれ幸せだ」とのことです。
祖母が祖父と結婚してくれたお陰で私の母は就職し大都会で結婚叔父も叔母も大学を出られましたし…
農家の本妻でここまでできたのか…。
というか私生まれてないですね。
婚姻関係が流動的であり一極集中が責められなければ男女ともに切磋琢磨し自分を磨き魅力的になる→これまた民度があがる!&少子化問題解消と私は思っているのです。