太田述正コラム#0609(2005.1.29)
<英国現代史の恥部(その1)>

1 始めに

 会田雄次の「アーロン収容所」を読んだことがある方は、先の大戦後の英国管理下の日本兵収容所におけるイギリス人の陰湿な残忍さについての記述を覚えておられることでしょう。
 英国は戦勝国であり、この本に描かれたような日本軍捕虜虐待を行ったイギリス人が咎められることはありませんでした。第一、イギリス人が日本軍捕虜に対して行ったのは、もっぱら心理的拷問であって、厳密に言うとジュネーブ条約違反かどうか微妙なところです(注1)。

 (注1)先般、駐イラク英軍が、駐イラク米軍のアブグレイブ収容所での拷問そっくりの心理的拷問を、軽い犯罪を犯して収監されていたイラク人に対して行っていたことが明るみに出て、独シュピーゲル誌が鬼の首をとったかのような論考を掲載した(http://www.nytimes.com/2005/01/24/international/europe/24spiegel.html?pagewanted=print&position=。1月26日アクセス)。戦後これだけ時間が経ってようやくドイツ人が、先の大戦ではなく、現在進行中のイラク占領統治に係る英軍の「悪どさ」を追及できた、というところにも、戦後ドイツが置かれてきた厳しい状況が伺われる。

 先の大戦末期における英国による一般住民殺戮を目的とするドイツの都市に対する絨毯爆撃も、英国の都市に対するドイツの無差別爆撃や史上最初の巡航ミサイルであったV-1による無差別攻撃に対する、いささか均衡を失した復仇だという言い方ができるかもしれません。しかも、当時の英国指導部は良心の呵責に苛まれながらこれを行ったとされています。(コラム#423)
 先の大戦中の英国の植民地統治についても、インドを例にとれば、イギリス人植民地官僚のかねてよりのインド統治への献身的努力に対する現在のインド亜大陸の人々の敬意の声の前に、1943年に400万人もの餓死者を出したベンガル大飢饉(注2)に対する英植民地当局非難の声はかき消されがちです(コラム#27)。

 (注2)19世紀には、英国は統治下のインド亜大陸で、飢饉の時にも穀物輸出を続けたため、最大3000万人の餓死者を出しているほか、自国の綿製品の販路を確保すべくベンガル地方を中心とした綿織物工業を壊滅させている。(かつては豊かだった現在のバングラデシュの貧しさの遠因はここにある。)20世紀初頭にはアンダマン諸島にインド亜大陸の8万人の政治犯が収容され、定期的に英国人医師の人体実験の対象とされた。(http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,5673,1399536,00.html

 大英帝国の存続がかかっていたというのに、このように英国は先の大戦において、「おおむね」紳士的に行動した、ということになっています。
 しかも、戦後の英国は、フランス等とは違って、「おおむね」平和裏に旧植民地を次々に独立させることによって自ら輝かしい大英帝国の歴史に幕を下ろした、ということになっています。
 すなわち、20世紀初頭までの英国は、過酷なアイルランド統治やインド亜大陸統治、あるいは大義のないアヘン戦争やボーア戦争等、悪行を重ねたかもしれないけれど、少なくとも先の大戦以降の英国の立ち振る舞いは、「おおむね」天に恥じるところのない立派なものとされてきたのです。
 しかし、21世紀に入り、独立前夜のケニアおける英国の蛮行を暴く本が二冊最近上梓され(注3)、以上ご紹介してきたような見方は根本的な修正を迫られつつあります。

 (注3)Caroline Elkins, BRITAIN’S GULAG: The Brutal End of Empire in Kenya, Cape 及び、David Anderson, HISTORIES OF THE HANGED: Britain’s Dirty War in Kenya and the End of Empire, Weidenfeld 。Elkinshaハーバード大学歴史学助教授、Andersonはオックスフォード大学アフリカ学講師。

2 独立前夜のケニア

 メリル・ストリープ主演の、実話を踏まえた映画Out of Africa(コラム#484)は、1920年代のケニアの美しい田園地帯でデンマーク人農業主が、黒人労働者達を慈しみながらコーヒー園を営み、そこに彼女の恋愛がからむ、というストーリーです。
 ところが、先の大戦が終わると、このような牧歌的なケニアはすっかり様変わりしていまいます。
 この映画の原作者のデンマーク貴族の女性は、ケニアの黒人達を慈しむべき従順な動物のように見なしていましたが、その黒人達が人間として主張を始めたのです。
 (以上、この映画及びその原作者については、http://www.imdb.com/title/tt0089755/#commenthttp://www.english.emory.edu/Bahri/Blixen.htmlhttp://www.museums.or.ke/backgrounds/Karen.htmlhttp://www.museums.or.ke/regkbm.html(いずれも1月27日アクセス。以下同じ)による。)
 ケニアの主要部族は、遊牧系のマサイ(Maasai)族と農耕系のキクユ(KikuyuまたはGikuyu)族ですが、この二大部族を含むケニアの全ての部族は、白人入植者によって遊牧や農耕のための土地を次々に奪われてきたことに不満を持っていました。
 第一次世界大戦に引き続き、先の大戦においても宗主国の英国のために兵士あるいは労働者として奉仕させられたその彼らが、ついに目覚めたのです。
 とりわけ被害者意識の強かったキクユ族を中心として設立されたKenya African Union (KAU)は、ケニヤッタ(Jomo Kenyatta。1889??1978年。ただし当時の名前は異なる。後に独立ケニアの初代大統領)を指導者として、積極的に植民地当局や英本国政府に対し、黒人としての権利回復要求をぶつけ始めます。そこへ、1947年頃、やはりキクユ族を中心としてマウマウ団(Mau Mau)が設立され、力で白人入植者達を追い出すという誓いをたてるのです。
 1952年、騒然としてきたケニアの情勢に危機意識を持った植民地当局は、ケニアに戒厳令を敷きます。惨劇が始まるのはこれからです。
 (以上、http://www.lonelyplanet.com/destinations/africa/kenya/history.htm及びhttp://www.kenyaweb.com/history/struggle/index.htmlによる。また、以下、上記二冊に係るhttp://www.timesonline.co.uk/article/0,,2102-1426736,00.htmlhttp://www.henryholt.com/holt/imperialreckoning.htmhttp://enjoyment.independent.co.uk/low_res/story.jsp?story=602876&host=5&dir=207http://www.historybookshop.com/book-template.asp?isbn=022407363Xhttp://www.powells.com/cgi-bin/biblio?inkey=1-0805076530-2http://www.royalafricansociety.org/what_we_do/recent_meetings/histories_maumauhttp://books.guardian.co.uk/reviews/history/0,6121,1391255,00.htmlhttp://btobsearch.barnesandnoble.com/booksearch/isbninquiry.asp?sourceid=00395996645644787198&btob=Y&cds2Pid=164&isbn=0393059863http://www.orionbooks.co.uk/item-details.aspx?ID=29651&T=HBhttp://www.amazon.com/gp/product/product-description/0393059863/ref=dp_proddesc_0/103-2652922-6215831?%5Fencoding=UTF8&n=283155による。)

(続く)