太田述正コラム#0619(2005.2.5)
<イラク暫定国民議会選挙(その4)>
しかし、この指摘を論駁するのはそうむつかしくはありません。
その後検証されたところによれば、ベトナムでの1967年の南ベトナムでの選挙の大「成功」は、まさしく南ベトナム政府と米軍が対ベトコン(北ベトナム)勝利を掌中にしつつあったことを物語っていたからです。
パリ会談が開かれ、米軍が南ベトナムから全面撤退することとなった1973年までにはベトコンはほぼ掃討され、北ベトナムの在来兵力も手も足も出せなくなっていたことは厳然たる事実であり、米国が朝鮮戦争後に韓国駐留を続けたのと同じく、1973年頃以降も南ベトナムに数万の米軍を残置して駐留を続ければ、ベトコンは根絶され、北ベトナムは抑止され、資本主義南ベトナムは平和と経済繁栄を享受しつつ、経済的に苦況にあえぐ社会主義北ベトナムと対峙したまま現在に至っていた可能性が高いのです。
分水嶺になったのは、ベトコンによる1968年のテト大攻勢(Tet Offensive)です。
これは、追いつめられたベトコン(北ベトナム)による自殺攻撃であり、軍事的には大失敗に終わり、ベトコンは回復不可能な大打撃を受けてしまったため、以後北ベトナムは正規軍の投入を余儀なくされたところ、北の正規軍は、非正規軍(ゲリラ)であったベトコンに比べて米軍にとってははるかに戦いやすく、米軍のカモにされ続ける状況に陥ってしまったのです。
ところが米国市民の間では、テト大攻勢において南ベトナム一帯でベトコンの襲撃を受けてサイゴンの米大使館にまでベトコンの侵入を許したことで、1965年の米軍の本格介入から既に3年も経過し、派兵した米軍も逐次増えて40万人以上に達し、米軍の死者も何万人のオーダーに達していただけに、厭戦気分が一挙に充ち満ちてしまうのです。こうしてあに図らんや、テト大攻勢は、政治的にはベトコン(北ベトナム)側の大勝利に終わったのでした。
ですから、ベトナム戦争時の1967年の選挙の頃よりはイラクの現況はより厳しいけれど、イラクの不穏分子鎮圧に向けて、大いに希望が持てる状況だと言っていいのです(注4)(注5)。
(以上、特に断っていない限りhttp://carlisle-www.army.mil/usawc/parameters/96winter/record.htm(2月4日アクセス)による。)
(注4)後智恵で考えれば、米国はベトナムに介入する必要はなかった。共産主義勢力が一枚岩ではないことにようやく思い至った米ニクソン政権は1971年に米中国交回復を目指してキッシンジャーを訪中させ、対ソ包囲網の構築を図るわけだが、同じ発想でベトナム全土を北ベトナム(=ベトナム共産党(ベトナム労働党に改称))が統一するのにまかせ、統一後のベトナムと友好関係を樹立して中国やソ連を牽制することだってできたかもしれないからだ。また仮に、それが果たせなかったとしても、南ベトナムを失ったところで、タイやマレーシアまで次々に赤化する可能性は殆どなかったからだ。それにそもそも、西側陣営にとって、東南アジアの戦略的価値はそう高いものではなかった。
いずれにせよ、拙劣な形での介入を続けた挙げ句、やっと勝利に漕ぎつけたというのに、その勝利をドブに投げ捨て、熨斗を付けて南ベトナムを敗北した北ベトナムに贈呈する、という愚行を演じた米国にはただただ呆れ果てるほかない。
他方ベトナム共産党が、フランス相手の第一次インドシナ戦争(1946??54年)が終了してベトナムが南北に分断された後、南の併合を目指して執拗に戦争を継続したことも厳しく咎められるべきだろう。
彼らが南ベトナム併合に成功した1975年までの間に、(南ベトナム軍と米軍を「共犯者」として)北ベトナムと南ベトナムで引き起こした人的被害(物的被害は捨象する)・・民間人の死者が北で200万人、南で200万人、ベトコン・北ベトナム軍の死者が110万人、合わせて死者510万人は、当時のベトナム総人口3,800万人の13%強に及ぶ(http://www.rjsmith.com/kia_tbl.html#press。2月5日アクセス)・・は天文学的な数だ。
この数は、ポルポト派によるカンボディアにおける大虐殺事件・・虐殺数は当時のカンボディアの総人口の20%・・にこそ及ばないものの、自「民族」を「殺害」した数の人口比としては、スターリン時代のソ連や毛沢東時代の中国に匹敵するレベルであり、20世紀において共産主義が引き起こした一連の人類に対する罪の一環に位置づけられる、との見方もできよう。
(注5)NYタイムスが、ベトナム戦争の帰趨と対イラク戦・戦後イラク「統治」全般を比較し、今次選挙の「成功」を楽観視できない旨の論説(http://www.nytimes.com/2005/01/29/politics/29viet.html?oref=login&pagewanted=print&position=。2月1日アクセス)を掲載し、それに対し、スレート誌の論説(http://slate.msn.com/id/2112895/。2月1日アクセス)がかみついており、興味ある読者はご参照いただきたいが、どっちもどっち、いずれ劣らぬピンボケの議論だ。特に後者が、ベトナム共産党が先の大戦中、仏領インドシナに進駐した日本(米国の敵)に抵抗したことを指摘し、ベトナム共産党が現在のイラクの不穏分子より道徳的に優れた存在である理由の一つとしていることは、論外だ。
(続く)