太田述正コラム#0624(2005.2.10)
<米国とは何か(完結編)(その5)>

4 Scots-Irish米国論

 (1)始めに
 (以下、Anderson & Caytonを離れ、特に断っていない限り、http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A43999-2004Nov11.html(2004年11月20日アクセス)、及びhttp://www.amazon.com/gp/product/product-description/0767916883/ref=dp_proddesc_0/103-1638375-0154217?%5Fencoding=UTF8&n=283155http://www.mountainstateslegal.org/summary_judgment.cfm?articleid=82http://www.ashbrook.org/publicat/oped/owens/04/webb.htmlhttp://www.voanews.com/english/AmericanLife/2004-12-22-voa59.cfm(いずれも2月9日アクセス)による。)
ところで、「南部人は、「北部人(Yankees)と英語を話すカナダ人との間の差異より、北部人と南部人(Southerners)との間の差異の方が大きい」という思いを抱いていた」というくだりにびっくりした読者の方もおられると思います。
それがどうしてなのか、解明する手がかりを与えてくれるのが、ウェッブ(James Webb)(注10)が’Born Fighting’2004)の中で打ち出した、Scots-Irish米国論です。

(注10)米海軍士官学校卒・ベトナム戦争で勲章受章・ジョージタウン大学ロースクール卒・レーガン政権の時に国防次官補と海軍長官を勤める・小説家。Born Fighting は彼が初めて書いたノンフィクションだ。私は、小説家の歴史観や小説家の書いた歴史書を信用しないことにしているが、この経歴なら例外的に信用してもよさそうだ。せいぜい若干の誇張がある程度だろう。

 Scots-Irishって何だ。聞いたことがないぞ、と思われることでしょう。
 しかし、カントリーミュージックをご存じの方や、映画ブレーブハート(Braveheart。メル・ギブソン主演)をご覧になった方はいらっしゃるでしょう。
 ブレーブハートこそScots-Irishの祖先の代表例であり、カントリーミュージックはScots-Irishが米国で生み出した音楽なのです。
 
 (2)Scots-Irish米国論
 米国が独立するまでに、北米には四波の大きな移民がありました。
 最初にイギリス東部の清教徒達がマサチューセッツに、次はイギリス南部から王党派(royalists)と騎士(Cavaliers)がバージニアに、その次はイギリス中部から平民がデラウェアに、そして最後に18世紀にスコットランドと北アイルランドからScots-Irishがアパラチャ山脈やインディアン地区に面したフロンティアにやってきたのです。
 ウェッブは、このScots-Irishの重要性がもっと注目されるべきだ、と主張したのです。

 大ブリテン島にローマが侵攻した時、先住民族のケルト人の中で、最後まで執拗に抵抗を続け、仕方なくローマがハドリアヌスの長城をつくってその反攻を防いだのが、スコットランドに住んでいたScots(他にもいたが、便宜上Scotsで代表させる)です。
 アングロサクソン時代になると、今度は、彼らはイギリスのスコットランド支配に抵抗を続けます。Braveheartは、13世紀から14世紀初頭にかけて、イギリス王エドワード1世による一時的なスコットランド支配に勇猛果敢に抵抗した(貴族の息子だけれど)庶民たるScotsであったウォレス(William Wallace。1270???1305年)という実在した英雄を描いた映画です。
 Scotsは、個人主義的で、支配されることを嫌い、平等主義的であり、勇敢で死を恐れず、名誉を重んじ、家族志向の人々でした。キリスト教化し、特にカルヴィン派が伝わってからは、スコットランド・カルヴィン派(Scottish Calvinism)(注11)と呼ばれるキリスト教原理主義がScotsの信条となります。

 (注11)イギリス国教会の浸透に抵抗し、Presbyterianismで対抗した(Presbyterianism については、http://www.pcanet.org/history/documents/wip.html参照のこと)。米国にわたったScots-IrishにはBaptistsになった者が多かった。

そして、17世紀にScotsは、イギリス人によって北部アイルランド(Ulster)のイギリス人所有のプランテーションに、原住民のカトリック系アイルランド人支配の番犬として送り込まれ、Scots-Irishと称されるようになります。しかし、イギリス人とカトリック系アイルランド人の間に入って苦しんだ彼らは、18世紀に25万人から40万人が英領北米植民地のアパラチャ山脈域という辺境に移住します。
その後彼らは、南部や西部に広がって行き、米国の軍隊、労働者、そしてポピュリスト的民主主義のエートスの担い手になります。
まずインディアンと容赦なく戦ったScots-Irish系は、先祖伝来のイギリスに対する怒りといかなる支配も嫌う気持ちから、米独立戦争にあたって(独立派の)大陸軍に続々結集し、兵士の40%を占めるのです。
更に、南北戦争にあたっては、イギリスとだぶって見えた北部の支配を嫌い、南軍兵士の大部分をScots-Irish系が占めたのです(注12)。

(注12)Scots-Irish系の5%しか奴隷を所有してはいなかったにも関わらず、である。ちなみに、南部諸州の白人の四分の三は奴隷を所有していなかった。これだけでも、南部諸州が北部と戦った最大の理由が奴隷制の維持であるはずがなかったことが分かる。

Scots-Irish系の有名人には、開拓者のブーン(Daniel Boone)やクロケット(Davy Crockett)、作家のポー(Edgar Allan)やトウェイン(Mark Twain)、軍人のグラント(Ulysses S. Grant)やパットン(George S. Patton)、大統領としては、既に挙げたグラントのほか、アンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)、セオドア・ローズベルト(Theodore Roosevelt。母系)、ウィルソン(Woodrow Wilson)、レーガン(Ronald Reagan。母系)、クリントン(Bill Clinton)、ブッシュ(Bush)父子(注13)らがいます。

(注13)ブッシュ家の先祖にScots-Irishの血が流れていることが判明したのはつい最近のことだ(http://www.guardian.co.uk/usa/story/0,12271,1399353,00.html、及びhttp://www.guardian.co.uk/usa/story/0,12271,1399347,00.html(どちらも1月28日アクセス)参照のこと)。

現在の米国には、2,700万人のScots-Irish系がいると考えられていますが、彼らは南部を中心とする米国のキリスト教原理主義地帯の中核を占めていて、Andrew Jacksonの時代からベトナム戦争時代まで民主党を支え、その後は共和党支持に転じ、ブッシュ政権を支える最有力層となっているのです。
にもかかわらず、彼らが余り目立たないのは、個人主義的であって群れないこと、彼らの多くが自分達の出自を忘れていること、更には、WASPの一員とみなされたり、逆にカトリック系アイルランド人(ケネディ大統領がその典型)と一括りにされたりしてきたためです。
そして、たまに取り上げられる場合、彼らはいつも糞味噌に言われてきました。
いわく、北アイルランドでカトリック系アイルランド人を迫害した、インディアンの土地を奪った、奴隷制維持のために戦った、全米ライフル協会の手先、狂信的キリスト教原理主義の中核、等々。
以上からすれば、米国は、キリスト教原理主義者的アングロサクソンと、根っからのキリスト教原理主義者たるScots-Irishがつくった国であり、米国は、単にキリスト教原理主義的要素によってだけでなく、そこにScots-Irish的要素が加わって初めて、イギリスとはひと味違う、できの悪い(bastard)アングロサクソンになった、ということになりそうですね。

(続く)

<読者>
Brave Heart と Patriotを見ましたが、メル・ギブソンはアングロサクソン嫌いなのでしょうか。彼はスコットランド人?