太田述正コラム#0632(2005.2.18)
<アイルランドの奇跡>
1 始めに
色々な国家の盛衰を見ていると、ここ2??300年の趨勢に反する椿事が、この四半世紀に頻発していることに気が付きます。
誰でも知っているのは、中国の経済大国化です。
もう一つの顕著な例が、ビスマルクによって統一がなって以来、ずっとドイツと英国との間で続いた経済成長率格差が解消・逆転しただけでなく、戦後一旦一人当たりGDPで英国を抜き去っていたドイツが、再び英国によって抜き返されたことです(http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4263755.stm。2月15日アクセス)。
しかし、このことを米国の現在の「繁栄」と結びつけて、アングロサクソン的経済システムの長期的優位が証明された、と英国が胸を張るわけにはいきません。
英国がかつての「植民地」アイルランドに一人当たりGDPではるか後塵を拝してしまった(注1)からです。
(注1)2003年の一人当たりGDPは英国30,420米ドル、ドイツ29,307米ドル、アイルランド37,720米ドル。ちなみに、日本は、34,120米ドル。(The Military Balance 2004/2005, IISS)
2 イギリス人のアイルランド人蔑視
私は、以前に「アイルランドは、12世紀後半から20世紀半ばでの完全独立に至るまでの800年弱にわたってイギリスの支配下にあったが、その間、イギリス人<は>アイルランド人を徹底的に侮蔑と嘲笑の対象としてきた・・。早くも12世紀末に、ジェラルド・オブ・ウェールズというイギリス人は、その著書の中で、アイルランド人は「生まれ落ちてから、両親によって食い物をあてがわれるだけで、放置され・・野蛮人そのものであって、およそ文化とは縁がない・・獣のみ食らい、獣のように生活する・・裏切りは日常茶飯事であり・・信仰心も薄い」とのご託宣を垂れている。20世紀になっても事情は変わらなかったらしい。ノーベル賞作家のイギリス人のキップリングらが執筆した1911年の教科書にも「アイルランド人は、学校にも行かず、(親に)甘やかされ(て育っ)た子供のようだ・・自分を律することができず、他人の支配に我慢できない」という記述が出てくるという。」と記したことがあります(朝雲新聞1992.3.5付)。
これだけ馬鹿にしてきたアイルランド人にしてやられたのですから、英国民、就中イギリス人が受けている衝撃はいかばかりか、想像に余りあります。
3 しかし奇跡は起こった
アイルランドが、みすぼらしい、忘れ去られた西欧の一小国であった頃、西欧における最貧国であった頃、食うためには外国に移住せざるを得なかった頃、は一世代も前のことではありません。
それが今や、世界で最も豊かな国の一つになり(注2)、昨年、英エコノミスト誌によって、クオリティ・オブ・ライフが世界一の国と褒め称えられるようになったのです。
(注2)アイルランドの一人当たりGDPは1987年にはEUの平均の70%にも達しなかったのに、2003年までには136%へと躍進した。またこの間に、失業率は17%から4%へと低下している。
どうしてそんな奇跡が起こったのでしょうか。
その理由としては、EUへの加盟と政府の開放的経済政策のほか、カトリック教会神父の少年性的虐待問題が明るみに出たことによるアイルランド社会のカトリック離れ(世俗化)、が挙げられています(注3)。
(注3)機会があれば、もっと掘り下げた分析をしてみたい。
アイルランド人が、貧乏でないアイルランドという新しい現実に直面してアイデンティティー・クライシスに陥り、アルコール依存症や自殺者が増えている、というのには苦笑するほかありません。
(以上、http://www.nytimes.com/2005/02/02/international/europe/02letter.html?8hpib=&oref=login&pagewanted=print&position=(2月3日アクセス)による。)