太田述正コラム#0633(2005.2.19)
<モンゴルの遺産(その2)>

3 モンゴル・イスラム・民主主義

 (1)イスラム
 ここで、モンゴルとイスラムとの違いを民主主義の観点から押さえておきましょう。
 イスラムにもシューラ(Shura)という民主主義の萌芽形態があって、イスラムと民主主義は両立できる、という指摘(注2)がないわけではありません。
 (以下、カーン(Muqtedar Khan)の論考(http://www.ijtihad.org/shura.htm。2月18日アクセス)による。)

 (注2)例えば、Sadek Jawad Sulaiman(1996年。http://www.alhewar.com/SadekDemAndShura.htm)やJohn Esposito and John Voll(やはり1996年。Ijtihad上掲)。

 コーランには、「ことにあたっては、皆と協議せよ」(3:159)という一節と、「ことにあたって協議をする者は」(43:38)誉められるべきだ、という一節があり、これらがシューラの根拠になっています。
 前者はアッラーが直接ムハンマドに語ったことであるのに対し、後者は一般論の形をとっています。また、前者では協議(シューラ)はやらなければならないとしているのに対し、後者では協議(シューラ)はやった方がよいとしています。
 伝統的なイスラム法学者の大部分は後者を重視し、シューラは義務的なものではなく、必要に応じて意志決定を正当化する手段に過ぎない、と主張してきました。このように解釈すれば、彼らは、大衆討議にかけずにただちに法解釈を打ち出せるので好都合である、というわけです。
しかし、ムハンマド自身は、重要な意志決定の前には、必ずシューラを開きました。
ただし、ムハンマドはシューラの決定に従わなかったことが多く、シューラの決定に従って自分があらかじめ考えていた方針を改めたことは数えるほどしかありませんでした。従って、シューラの決定に拘束力がなかったことは明らかです。
 要するに、ムハンマド時代のシューラは、義務的なものだが拘束力はなかった、ということです。
 仮にシューラはそのようなものだとして、それは民主主義の萌芽形態だった、と言えるのでしょうか。
 答えは否です。
 第一に、以上申し上げたように、シューラの決定には拘束力がないのに対し、民主主義においては決定に拘束力が伴うからです。
 第二に、シューラは根本規範(コーランとスンナ)に変更を加えることができないのに対し、民主主義では根本規範(憲法)の改正を行えるからです。
 第三に、シューラは指導者が重要だと考えた議題がトップダウンで示されてこれを協議する場であり、シューラへの参加資格も明確でないのに対し、民主主義はボトムアップで大衆全体が参加して政治の仕組みを決定し、その仕組みに則って議題が設定され、意志決定がなされて行くシステムだからです。
 つまりシューラは、民主主義の萌芽であるどころか、民主主義と似て非なるものであって、(少なくともムハンマド時代の)イスラムが、民主主義と両立する余地はないのです。

 (2)モンゴル
 これに対し、モンゴルのクリルタイは、ハーンの選定以外にどんな場合に開催されるのか必ずしも明確ではなく、また、クリルタイへの参加資格もやはり明確ではないものの、(少なくともハーンの選定にあたっては)義務的に開催されるだけでなく、決定に拘束力がある、ということ(コラム#626)から、紛れもなく民主主義の萌芽形態なのです。

4 事例研究

 (1)現在のモンゴル
(以下、http://www.nytimes.com/2004/12/25/international/asia/25mongolia.html?pagewanted=print&position=(2004年12月26日アクセス)にに私見を加味した。)
 現在のモンゴルが、中国とロシアという、巨大な自由・民主主義ならざる両国に挟まれているにもかかわらず、複数の政党が参加する選挙が行われている自由・民主主義国家であることは、驚異です。
広く、中央アジア諸国を見渡しても、自由・民主主義国家は一つもありません。
そもそも、ソ連が崩壊するまでは、モンゴルはソ連の保護国であり、ソ連の一部であった中央アジア諸国同様、共産主義独裁体制の下にあったことを考えれば、これは奇跡であると言っても良いかもしれません。

(続く)