太田述正コラム#9885(2018.6.14)
<『岡正雄論文集 異人その他 他十二篇』を読む(その2)>(2018.9.28公開)

 「天照が主神として語られる神話は、天(あめ)の岩戸隠れ神話と素戔嗚との争いの話である。
 ここに日神(ひのかみ)としての性格が顕著に現れている。
 しかも高天原神話ないし中津国平定神話との間に、必然的な関係があるとも思えない。
 したがって、高皇産霊<(注3)(たかみむすび)>を中心とする神話と天照のそれとは、元来二つの独立した異系神話と考えざるをえないのである。

 (注3)『日本書紀』での表記であり、高皇産霊尊と書かれる。『古事記』では高御産巣日神(たかみむすびのかみ)。葦原中津国平定・天孫降臨の際には、『日本書紀』では高皇産霊尊のままだが、『古事記』では高木神(たかぎのかみ)という名で登場する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%93
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%A6%E5%8E%9F%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%B9%B3%E5%AE%9A

 このことは、神話の内容と類似神話の分布系統からも証明することができる。
 第一に、高皇産霊を主神とする高天原神話の主要素の一つは、天神高皇産霊が孫を山の峰に降下させて地上を統治させるということである。
 この種族祖神の山上降下をモチーフとする神話は、古朝鮮の檀君<(注4)>(だんくん)神話や六伽耶(かや)国の祖が亀旨峰<(注5)>(きしほう)に天くだったという開国神話、その他、朝鮮古代国家の起源神話にみられる。」(7)

 (注4)「13世紀末に書かれた『三国遺事』に初めて登場する、伝説上の古朝鮮の王。・・・天神桓因の子桓雄と熊との間に生まれたと伝えられる。・・・
 「〜君」というのは道教の比較的階級の低い神の称であり「檀の神」であることを表す。・・・檀は本来インドや東南アジアなど熱帯系の植物で朝鮮には自生しないが、妙香山は今でも香木で覆われた山で有名であり、高麗時代に檀と称して解熱薬とされたのはこちらであった。・・・
 檀君神話の元になった伝承があったことは夫余の建国神話、及びツングース系の諸民族に伝わる獣祖神話から察知できる。だが、物語の冒頭の構造は夫余神話からの借り物であって、それにツングース系の獣祖神話を繋ぎ合わせ、物語の結末に檀君・・・という名を嵌め込んだもので、相互に関連のなかった三系統の話を素材にした創作である。・・・
 <しかし、>李氏朝鮮末期の19世紀末には、<支那>由来や<欧米>由来の宗教でなく朝鮮独自の宗教を振興して民族主義のよりどころとしようという動きが現れ、檀君を朝鮮民族の始祖として崇拝する民族宗教が多く登場した。・・・
 大韓民国の国定教科書では韓国の歴史が非常に長いことを示すための作り話を「史実」として教育するように指導されている。また・・・北朝鮮・・・では、1993年の発掘調査で檀君のものらしき骨が発見され、「電子スピン共鳴法」による解析で5011年前のものと分かったため、檀君は実在人物であったと主張されている。しかし、・・・信憑性は低いと見られる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%80%E5%90%9B
 「『三国遺事』(さんごくいじ)は、13世紀末に高麗の高僧一然(1206年~1289年)によって書かれた私撰の史書。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E9%81%BA%E4%BA%8B
 「妙香山(ミョヒャンさん、みょうこうさん・・・)は、<現在の>北朝鮮中部にある山並の総称<だが、>・・・檀君の<父>で天帝桓因の庶子・桓雄が天下った太伯山のこととされている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E9%A6%99%E5%B1%B1
 (注5)現在の亀旨峰の様子が紹介されている。↓
http://achikochitazusaete.web.fc2.com/tabiachikochi/korea/kime/kijiho.html
 
⇒重箱の隅をつつくようだと言われることを厭わず、一点。
 いくら、「昔」にこの論文を書いたとはいえ、朝鮮半島人たる学者ではないのですから、13世紀末に突然登場した檀君物語を「神話」と表現していることだけをとっても、岡の学者としての信頼性に疑問符をつけざるをえません。
 経済史専攻・・恐らく・・から民族学専攻へと切り替えたとは思えない、非実証的な「学風」です。
 それにしても、北朝鮮は仕方ないとしても、檀君を、岡流の「神話」どころか「歴史」であるとこじつける「国策」に、徹底抗戦している人がいると聞いたことがない、韓国の人文社会科学界の不甲斐なさには、元宗主国の一国民として、心を痛めざるをえません。(太田)

(続く)