太田述正コラム#0658(2005.3.13)
<モンゴルの遺産(その8)>
・・特別篇:トルコ・・
(1)問題意識
慧眼の読者はお気づきになっているかと思いますが、この「モンゴルの遺産」(コラム#626、633??637、643。未完)シリーズは、日本の国際情勢オタクの中に散見されるところの、地政学「理論」を援用した、「ランドパワー=非自由・民主主義」論が誤りであることを指摘するねらいももっています(注14)。
(注14)「ランドパワー」たる支那が未来永劫自由・民主主義国にはなれない、という思いこみもまた、誤りだ(コラム#567、570、及び#657参照)。私が自由・民主主義化の面において、支那はロシアを追い抜く可能性がある、と考えている理由については、別の機会に譲る。
さて、この際、紛れもない「ランドパワー」であったトルコが、なにゆえイスラム世界の中で、自由・民主主義の先駆けになりえたのか、を押さえておきたいと思います。
トルコについては、かつて詳しく取り上げたことがあります(コラム#163??167)。その時、いわゆるケマリズムがイスラムに代わる、一種の国家宗教となることによって、トルコは表見的に世俗国家になりえた、という趣旨の指摘をしました(コラム#163)。
確かに、ケマリズムの下で、1920年代に新生トルコが「世俗化」していたことが、トルコの1950年の民主化(複数政党による選挙の実施)を可能にしたのです。
しかし、それだけが、トルコが1950年以降、まがりなりにも自由・民主主義国家であり続けることができた理由なのでしょうか。そもそも、ケマリズムがなぜトルコで生まれたのでしょうか。
(2)モンゴルの遺産の第一:アレヴィス
第一の理由は、アレヴィス(Alevis)の存在です。
トルコ系民族は、かつてシベリア地方にモンゴル系民族と踵を接して住んでいましたが、8世紀から11世紀にかけて、モンゴル系民族等に追われ、遊牧地を求めて中央アジアからアナトリア半島に広がって行きます。
彼らは、モンゴル系民族同様、アニミズム(animism)ないしシャーマニズム(shamanism)的な習俗を持っていました。
この習俗は、トルコ系民族が、中央アジアでイスラム教の影響を受け、アナトリア半島ではキリスト教の影響を受けた結果、アレヴィスという「宗教」(イスラム教シーア派の一派ということになっている)が生誕します。ただし、この「宗教」は、アニミズム的/シャーマニズム的要素を色濃く残しています。
すなわち、自然を敬い、人を愛しいたわり、堅苦しい教義を排し、経典もないのが特徴であり、神道にそっくりです。
ですから、神道「信徒」たるわれわれ日本人同様、アレヴィス「信徒」もまことに世俗的な人々であり、宗教原理主義が大嫌いです。
アレヴィス「信徒」は、オスマントルコが成立し、やがてオスマントルコがイスラム教(スンニ派)の守護者(スルタンはカリフと聖地メッカの守護者を兼ねた)となると、弾圧されるようになります。しかし、アレヴィス「信徒」は隠れキリシタン的にその「宗教」を守り続けるのです。
アレヴィス「信徒」はトルコのクルド人の中にも多いのですが、しめて現在トルコに1000??2000万人おり、総人口の15??30%を占めると推定され、ドイツを中心として海外に居住しているトルコ人300万人中には「信徒」が多いと言われています。
このようなアレヴィス「信徒」が、新生トルコ(共和国)が発足し、ケマリズムが掲げられるや否や、その有力な支持母体となったのは当然のことでした。
例えば、1925年にクルド人がクルド民族主義を掲げて蜂起すると、同族たるクルド人のアレヴィス「信徒」は、政府軍の先鋒となって戦いました。蜂起した側が、イスラム原理主義を信奉していた(ケマル・アタチュルクによって廃止されたばかりのカリフ制の復活を唱えていた)からです。
(以上、http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A25555-2005Mar10?language=printer、http://www.goldenhorn.com/display.php4?content=records&page=ghp010.html、http://en.wikipedia.org/wiki/Alevi、及びhttp://www.religioscope.com/info/notes/2002_023_alevis.htm(いずれも3月13日アクセス)による。)
(続く)