太田述正コラム#9901(2018.6.22)
<松本直樹『神話で読みとく古代日本–古事記・日本書紀・風土記』を読む(その6)>(2018.10.6公開)
「・コノハナノサクヤヒメ
次に、古事記の<神話>からコノハナノサクヤヒメ<(注9)>の一節を取り上げる。
(注9)「コノハナノサクヤビメ(ヒメ)<は、>・・・一般的には木花咲耶姫と記される。また『古事記』では木花之佐久夜毘売、『日本書紀』では木花開耶姫と表記する。コノハナサクヤビメ、コノハナサクヤヒメ、または単にサクヤビメと呼ばれることもある。『古事記』では神阿多都比売(カムアタツヒメ)、『日本書紀』では鹿葦津姫または葦津姫(カヤツヒメ)が本名で、コノハナノサクヤビメは別名としている。・・・古事記における本名である神阿多都比売(カムアタツヒメ)の「阿多」は、薩摩国阿多郡阿多郷(現在の鹿児島県南さつま市金峰地区周辺)のことであるとされている。・・・富士山本宮浅間大社<は、>・・・コノハナノサクヤビメを祭神とする」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%8E%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%A4%E3%83%93%E3%83%A1
⇒どうして、日本神話の神々
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A5%9E%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7 (←日本神話および神道の神や民俗信仰の神、その他の日本の宗教の神および日本に土着した外国の神の一覧)
に、これほど様々な表記や読み方があるのか、誰か、解明して欲しいものです。(太田)
皇祖ホノニニギが日向(ひむけ)の高千穂に降臨した後、皇祖として初めて国つ神の娘と婚姻関係を結ぶ一節である。・・・
ホノニニギは・・・<姉妹の妹の方の>コノハナノサクヤヒメ・・・との婚姻を希望したが、ヒメの父であるオホヤマツミ<(注10)>は、姉妹をそろえてホノニニギに奉ることにした。・・・
(注10)「『古事記』では、神産みにおいて伊弉諾尊<(イザナギ)>と伊弉冉尊<(イザナミ)>との間に生まれた。・・・『日本書紀』では、イザナギが軻遇突智を斬った際に生まれたとしている。・・・八岐大蛇退治において、素戔嗚尊(すさのを)の妻となる奇稲田姫(くしなだひめ)の父母、足名椎命・手名椎命(あしなづち・てなづち)はオオヤマツミの子と名乗っている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%9F
軻遇突智=カグツチは、「神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神である。火の神であったために、出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまう。その後、怒ったイザナギに十拳剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」で殺された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B0%E3%83%84%E3%83%81
ホノニニギ<は>・・・姉が甚だ「凶醜(みにく)」かったために・・・送り返し、ただ妹のコノハナノサクヤヒメだけを留めて一夜の婚姻関係を結んだ。・・・
オホヤマツミは、そのことを恥じて、姉妹をそろえて送った理由を次のように告白した。
・・・「イハナガヒメをお使いになれば、<天つ神の御子>の命は・・・永遠に移ろうことがないでしょう。
またコノハナノサクヤヒメをお使いになれば、・・・お栄になるでしょう」とうけひをして献上したのです。
こうしてイハナガヒメをお返しになり、ただコノハナノサクヤヒメだけをお留めになられたので、<天つ神>のお命は、木の花の「あまひのみ」でいらっしゃるでしょう」・・・
「天つ神の御子」とは「アマテラスの御子孫」の意味で、天皇直系の皇祖神および即位前の神武天皇を指す。
次に「うけひ」<(注11)>とは、言霊信仰に基づく呪術である。
(注11)「うけい(うけひ)は、古代日本で行われた占いである。宇気比、誓約、祈、誓などと書く。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%91%E3%81%84
言葉で神に誓約したことが、神の判断によって実現するので、これが卜占になることもある。
なお、オホヤマツミもホノニニギももちろん神なのであるが、名前を持った神々は人態神として、人のやることは基本的にすべてやるのだ。
だから、神が神に誓ったり、占いをしたり、神なのに神がかりにあったりもする。・・・
ただ、神が神に誓ったりする場合には、誓う相手の神には名前がなく、抽象的な存在になってい<る。>・・・
⇒一見もっともらしい指摘ですが、具体的な裏付けをネット上で見つけることができませんでした。(太田)
<とまれ、>そういう訳で、今に至るまで天皇たちのお命が長くないのだ。」(38、40~42)
(続く)