太田述正コラム#10116(2018.10.8)
<皆さんとディスカッション(続x3854)>

<太田>(ツイッターより)

 「南シナ海問題、日本の関与に期待 ベトナム首相が会見…」
https://news.infoseek.co.jp/article/kyodo_kd-newspack-2018100601002068/
 「自衛隊、米比海兵隊の合同訓練に参加 水陸両用車で上陸…」
https://news.infoseek.co.jp/article/afpbb_3192426/
 今頃、密かに祝い酒を傾けていても不思議じゃない習ちゃん。
 過去の綱渡り的な対日挑発努力がささやかな成果をあげてよかったね。

<HH>

 <関西オフ会の件での太田さんのコメント(コラム#10114)、>承知しました。
 懇親会は昼食ですね。

⇒博多まで行くわけじゃないので、前日の土曜の夜に懇親会をしたっていいって言えばいいんですがね・・。(太田)

 お酒を飲むわけではないですが、落ち着いて話せるようなところを探してみます。

 ところで、丁度、今週、私も、<同じコラム#10114の中で言及されている>「経済学者たちの日米開戦」を購入し読み始めたところです。
 資料的な部分にはとても興味がありますが、島津斉彬コンセンサス、またそれに近い発想をしない限り結論がトンチンカンな方向になるのはやむを得ないですね。
 ただこの研究書の結論は別にして、最近の太田説である杉山が日米戦敗北を当初から織り込んで開戦に進んだというのは違和感があります。
 私は米国とは開戦してもフィリピンさえ落としてしまえば、あとは太平洋を挟んでにらみ合い、その間に、対英戦争を片付けて日米間では休戦による講和を目論んでいたんではないかと考えています。
 戦争という形で一度ガス抜きが行われれば、対英とは異なりアジア地域では政治的にあまり対立する要素のないのが日米関係ですので、日米同盟によるソ連対決という考え方も杉山や板垣の脳裏にあったのではないか、島津斉彬コンセンサスの実現後にもう一つの課題である横井小楠コンセンサスの実現を構想していた、というのはどうでしょうか。

<太田>

 それじゃあ、陸軍上層部も海軍上層部並みの知力だった、ということになっちまいますね。
 超絶的天才達・・しかも、それが飛び切りの人間主義者達であればなおさらですが・・は、我々凡才達の想像を超える発想をするものです。
 日米戦争になったら確実に日本は敗けるし、相手もそう思ってる以上、途中で休戦なんてしてくれない、と、ぎりぎりまで対米交渉もやった岩畔なら、従ってまた、岩畔からも情報を得ていた杉山もですが、考えたはずです。
 それを回避したかったのなら、対英のみ開戦をすればよかった・・アジア解放だけならそれで実現できた・・のに、そうはしなかった。
 ということは、対米戦争に関しては敗けて日本列島まで米軍をやってこさせてソ連と対峙させるのが杉山らの狙いだったからだ、と私は、凡才ながら、軍事官庁勤務というユニークな経験を踏まえて、見るに至っているわけです。
 ついでながら、陸軍はどうして、(東條が首相当時に一貫して戦争継続に全力をあげたこともさることながら、)8月15日時点でさえ、降伏に反対したのか、です。
 それは、ソ連が参戦までしてくれ、戦局がまさに予定通りに進行していたからだ、後は米軍を日本本土に上陸させさえすれば、極東で米ソ直接対峙・・米国による対ソ抑止・・が始まり、日本が戦争目的をことごとく達成したことを、杉山らは自分達自身の目で確かめることができるのに、その寸前で降伏してしまうのでは、一抹の不安が残るからだ、とね。

<太田>

 それでは、その他の記事の紹介です。

 おや?↓

 「ノーベル経済学賞、マクロ受賞に注目 バーナンキ氏ら・・・
 日本人では米プリンストン大教授の清滝信宏氏が、金融危機の理論を確立した貢献により受賞が期待されている。」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36150790U8A001C1I00000/
 <東大文IIIから経済学部へ、とは面白い。↓>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%BB%9D%E4%BF%A1%E5%AE%8F

 こりゃ、アカンわ。↓

 「慰安婦財団「年内に解散」…韓国が9月に通告・・・」
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20181007-OYT1T50134.html?from=ytop_main6
 「國村隼さんの「旭日旗発言」が騒動に=釜山国際映画祭・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/10/08/2018100800503.html

 当然だろうな。↓

 「フランスでブームの兆し!ワイン大国で日本酒大人気・・・」
http://news.livedoor.com/article/detail/15411113/

 やっぱそうだったか。↓

 Koreans Drink Most in Asia・・・
http://english.chosun.com/site/data/html_dir/2018/10/05/2018100502158.html

 中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓

 <こいつぁいいや。↓>
 「・・・中国メディア・東方網は・・・日本人が教えるリュックサックが軽くなる荷物の詰め方が非常に役に立つとする記事を掲載した。
 記事は、自然災害が多発する日本では非常時の持ち出し袋が各家庭の必須アイテムになっており、実際に災害が発生した際にはそれが「全財産」になると紹介。持ち出し袋のリュックサックの中には、避難生活の最初の3-5日を無事に過ごせるだけの基本的な生活用品を詰め込むとした。
 そして、具体的には、水、乾パン、充電器、マスク、トイレットペーパー、歯ブラシ、タオル、電池、ホイッスル、ろうそく、ライター、懐中電灯、輪ゴム、ウエットティッシュ、手袋、毛布、寝袋、地図、ラジオ、ゴミ袋などであるとする一方で、「これらを全部入れると10キロ近い重さになり、これを背負って運ぶのは実際大変である」と指摘。そこで、日本の警察がレクチャーする「比較的楽に背負うことができる荷物の詰め方」が、われわれにとっても勉強になると伝えた。
 その詰め方のポイントは2つあり、まずは「重いものを上半分に入れること」だとした。こうすることで、リュックサックの重心が上に移動することで背負っても重さを感じにくくなるという。2つめは、食糧や水を一番上に詰め、使用頻度の低いものを一番下に入れることだと紹介している。
 記事によれば、日本と中国では地震発生時の「避難」に対する考え方が根本的に違うという。記事は「地震発生後、大事なのは命を守ることで、服を着て財布と携帯電話だけ持って逃げればいいだろうと言う中国人がいるだろう。しかし、小さいころから地震への対処法を学び、建築物の耐震基準も厳しい日本における『避難』は、建物の崩壊から身を守るためではなく、災害発生後の生活に主眼が置かれているのだ」と説明した。」
http://news.searchina.net/id/1668650?page=1
 <これもだ。↓>
 「・・・中国メディアの捜狐は・・・「18年で18人! 日本のノーベル賞受賞者はなぜこんなに多いのか」と題する記事を掲載した。日本の教育に理由があるとして中国も見習うように勧めている。
 記事は、日本人のノーベル賞受賞について、米国国籍を取得した人を含めると26人目となると紹介。今世紀に入ってからの18年で日本人の受賞は18人、つまり1年で1人という非常に速いペースであると伝えた。2001年に日本は「今後50年で30のノーベル賞」を目標としてきたが、このままでいけば現実のものとなりそうだとしている。
 一方の中国人受賞者は非常に少ないが、日本とは何が違うのだろうか。記事によると、中国メディアは科学者個人の努力にとどまらず、日本には「長期的に安定した基礎研究を行える環境」が整っていることにあると報じたという。特に、日本のノーベル賞受賞者は多くの中国人学者と違い、「良い子ども時代を過ごしている」と指摘している。
 例えば、彼らの多くが子ども時代自然に親しむ環境に恵まれ、好奇心が旺盛だったという。2008年にノーベル化学賞を受賞した下村脩氏も、最初はオワンクラゲという生物の発光の不思議を明らかにしたいという一心だったそうだ。記事は、「研究というのは苦しむものではなく、好奇心を持ち勇気をもって挑戦することから始まる」と感心している。
 ほかには、本をよく読むこと、家庭での教育で子どもの自立を重視していること、小中学校の教師は教え方の面で自由の幅があること、大学での研究も功利を急ぐモデルの影響をあまり受けていないこと、国際交流によって視野を広げていること、独立した研究環境で余計な邪魔が入らないこと、基礎研究が大学での研究のなかでも人気があることを理由として挙げた。」
http://news.searchina.net/id/1668654?page=1
 <これもまたそうだ。↓>
 「中国メディア・東方網は・・・日本にある古代の天皇陵が1000年以上の長きにわたり完全な形で保存され、盗掘にも遭っていない理由を考察する記事を掲載した。
 記事は、古代中国の皇帝たちが国力の大きさに合わせて大きなサイズの陵墓を作ってきたとし、その最たる例が「外側の兵馬俑坑を合わせて世界最大規模を誇る秦の始皇帝陵だ」と紹介した。
 そのうえで、国土が狭い日本でも始皇帝陵に匹敵するほどの規模を持つ天皇の陵墓が造られたことがあるとし、大阪府堺市にある仁徳天皇陵(大仙陵古墳)を挙げた。そして「16代の天皇である仁徳天皇の統治期間は中国の晋の時期とされているが、ゆうに1000年以上の歴史を持つこの陵墓はこれまでいかなる破壊にも見舞われていないのである」とし、その理由について解説している。
 まず1つめの理由として、仁徳天皇が日本を1つにまとめた天皇として日本人から非常に崇拝されており、どんな盗賊であっても仁徳天皇の陵墓の前では崇敬の心理が働いて盗掘する気を起こさなかったからだと説明した。
 そして、もう1つの理由として「例え帝王の陵墓内に副葬品がたくさん存在したとしても、人的な損害行為から全力で陵墓の完全性を守るという、古代の歴史文化に対して然るべきリスペクトが存在した」と伝えている。」
http://news.searchina.net/id/1668668?page=1
 <日中技術協力への期待で締めくくる、新しい、最近の定番。↓>
 「日本人のノーベル賞受賞に思う、わが国は日本に比べるとまだまだ「稚拙」・・・」http://news.searchina.net/id/1668651?page=1
 <定番。↓>
 「日本では街中にごみ箱がない! どこに捨てれば良いのかと当惑する中国人・・・今日頭条・・・」
http://news.searchina.net/id/1668656?page=1
 <ご心配戴いているということにておこう。↓>
 「・・・中国メディアの網易・・・記事は、日本の製造業は依然として世界をリードする立場にあり、企業も成長していると分析している。さらに、中国のハイエンド製品でも重要な部品は日本製を使用しているものがたくさんあるため、日本の製造業は中国企業にとっても必要な存在であるとし、「日本の製造業は元気がないように見えるだけで本当の姿はそうではない」と主張。日本企業は高い技術を持つのは事実であり、単に経営とマーケティングが下手なだけであると伝えている。」
http://news.searchina.net/id/1668652?page=1
 <新観点も盛り込んだ、日本へ行けキャンペーン。↓>
 「中国メディアの捜狐は・・・国慶節の大型連休中に中国人旅行客が大量に訪れることを見込んだ日本の観光業界が行った準備について紹介する記事を掲載し、「日本中が国慶節ムードになっていて、まるで中国に戻ってきたかのような錯覚すら抱く」と驚きを示す記事を掲載した。
 中国では2018年の国慶節に出国する旅行者が過去最高の700万人に達すると予想されており、特に日本は渡航先ランキングで人気第1位となった。記事は、こうした予測を受けて、日本では国慶節に来日する中国人旅行客に対応する準備がなされたことを伝えた。
 続けて、日本を訪れた中国人旅行客は駅の構内やデパートなど至る場所で、中国語で書かれた「慶祝国慶」という国慶節をお祝いする文字を目にし、「まるで中国に帰国したかのような感覚になった」と驚きを示すと紹介。賑やかなお祝いムードを好む中国人は、中国でもこの時期に赤い提灯の飾り付けをしたり、国慶節を祝うポスターを至る所に大きく掲げるゆえ、日本の飾り付けを見て驚きを感じると同時に「日本人が中国の建国記念日を歓迎しているようにも見える」と指摘した。
 他にも、日本で買い物をする際の支払い方法にも変化が見られるとし、過去は現金の他にデビットカードでの支払い方法しか選択できなかったのが、近年ではコンビニエンスストアでも中国で普及しているモバイル決済が使えるようになったと指摘し、日本は中国人旅行客の消費を取り込もうと躍起になっていると論じた。
 一方で記事は国慶節の日本の祝い方について、「販売促進効果を狙った宣伝であり、2月11日の日本の建国記念日はこうした祝い方はしない」と指摘した。また、日中両国にはお互いを快く思わない人が一部いることを認めつつも、偏見を持たずに見ると「日本人が中国の祝日、国慶節を歓迎しているというのは意義深いことだ」と伝えている。」
http://news.searchina.net/id/1668653?page=1
 <新観点も盛り込んだ、日本に長期滞在せよキャンペーン。↓>
 「・・・中国メディアの捜狐・・・記事が紹介した中国人は、日本での生活が3年過ぎたころに東日本大震災が発生し、他の多くの中国人たちと同じように中国へ帰国する道を選んだという。そして、「日本で生活していた時は、あれほど母国の暮らしが恋しかったのに、今となっては帰国したことに後悔を感じている」と吐露した。
 恐らく日本へ渡ったころは、中国で仕事をするより日本で働くほうが稼ぎも良く、生活水準も高かったのだろう。しかし、近年の急激な経済成長が中国人の生活にも大きな変化を及ぼしたことに帰国してから気づいたという。
 たとえば、「日本で600円ほどで食べられる昼食と同じ質の昼食を中国で食べようとしたら倍の値段はする」のだという。しかし、中国での給料は日本の時の半分にも満たないと指摘し、物価が上がっているのに、給料はそれほど上がっていないと主張した。また、不動産価格についても「日本では7ー8年分の給料で広さ100平米のマンションの購入を考えられたのに、今の給料では7ー8年分でトイレほどの広さしか買えない」と嘆いた。
 ほかには、「日本のサービスや生活環境が非常に快適」であったため、中国に帰国して7年も経つのに、どうしても日本と比較してしまい、中国の生活を快適と思えないと主張した。そして、「自分も日本で生活しなければ、日本と中国にこれほどの差があることを知らずに過ごせただろうが、日本での生活で身に付いてしまった習慣もあり、中国の生活で戸惑いを感じる」と主張し、さらに後悔の念が強くなってることを伝えた。家族のいる故郷は居心地が良いようだが、母国に帰っても3年過ごしただけの日本の生活を恋しく想うことに戸惑いも見せている。」
http://news.searchina.net/id/1668655?page=1
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 休日の臨時一人題名のない音楽会です。
 フランシス・ゴヤ(Francis Goya)(注a)の小特集をお送りします。

(注a)1946年~。ベルギーのクラシック・ギター奏者。
https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Goya ※

Nostalgia(注b)(1975年)
https://www.youtube.com/watch?v=D1Uip8KbReU

(注b)本人と父親との共作。(※)

Daddy’s Bolero(注c)(1976年)
https://www.youtube.com/watch?v=H7HPteEOndA

(注c)本人作曲。Maria Padilha(※)

Natacha(注d)(2005年)
https://www.youtube.com/watch?v=9Kd0SrCPmII

(注d)https://www.google.co.jp/search?sa=X&hl=ja&rlz=1T4GGHP_jaJP774JP774&q=%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%A4+natacha&stick=H4sIAAAAAAAAAONgFuLSz9U3MMwpM0urUuLRT9c3LDTNqiowMC7UEvQtLc5MdiwqySwuCckPzs9LBwBI7mbhLwAAAA&ved=2ahUKEwjj8c73uvTdAhVD62EKHWZbA_4Qri4wGHoECAYQOA&biw=1624&bih=851 

Gipsy Café(注e)(?年)
https://www.youtube.com/watch?v=c-NXJfZPOPM

(注e)Francis Weyer作曲?
https://www.youtube.com/watch?v=asVt4dJzW9U

Amor De Mis Amores(注f) (1999年?)
https://www.youtube.com/watch?v=KLlCe9YSbeg

(注f)本人作曲?

Johnny Guitar(注g)(1964年)
https://www.youtube.com/watch?v=qXBVypnwzSg

(注g)Victor Young, Peggy Lee作詞・作曲
https://www.youtube.com/watch?v=6XxVKVBYRMc
大砂塵(Johnny Guitar)の主題歌。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A0%82%E5%A1%B5

La Playa(注h)(1964年)
https://www.youtube.com/watch?v=LNqADaWGBnA

(注h)クロード・チアリ(Claude Ciari)作曲。日本名「夜霧のしのび逢い」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%81%E3%82%A2%E3%83%AA

Rann na mona
https://www.youtube.com/watch?v=fYksiWxVSPo (注i)

(注i)Youtube動画のコメント欄に、3年前のものだが、
The origin is a Chinese song named 情人的關懷 (Lover’s Care), performed by 鄧麗君 (Teresa Teng – Đặng Lệ Quân) then transcrired for guitar by Francis Goya. This song was originally made famous in Asia by the talented, multi-linguistic, Chinese pop singer from Taiwan, Teresa Teng (1953-1995).
とあったので、下掲のコメントをアップしておいた。
Wrong. This is a Japanese song named 空港(Airport), lyrics by Michio Yamagami and composed by Kosho Inomata, released in 1974. This song was then released with Chinese lyrics next year.
 世界のテレサテンのファン達、とりわけ、日本のファン達で、クラシックギターというだけで、この間、誰もこのギター編曲動画を鑑賞した人がいなかったとみえる。
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太田述正コラム#10117(2018.10.8)
<井上寿一『戦争調査会–幻の政府文書を読み解く』を読む(その69)>

→非公開