太田述正コラム#9927(2018.7.5)
<松本直樹『神話で読みとく古代日本–古事記・日本書紀・風土記』を読む(その16)>(2018.10.19公開)

 「「天つ神」<、すなわち、>・・・「別天つ神五柱」<は、>・・・イザナキ・イザナミに、漂っている国を「修理(つく)り固成(かた)めよ」・・・と命じ、国生みを指令する・・・
 この場合、<指令された側は、>まだ誰も国の完成体を見たことがない点に注意が必要だ。・・・
 だから、国作りの要所要所に「別天つ神」・・・<実際には>タカミムスヒとカミムスヒ<だけ>・・・が登場して、「〇〇の神は–せよ」また「△△の命(みこと)はXXせよ」と具体的な指令を出し続ける必要があるのだ。・・・(神野志隆光<(注39)>・・・)・・・

 (注39)こうのしたかみつ(1946年~)。「『古事記』など上代文学を専門とするが、左翼系の立場から天皇制を相対化し捉えている。「記紀神話」と一括して呼ばれる『古事記』と『日本書紀』との間にある相違性を多く論じている。・・・1970年東京大学文学部国文科卒、1974年同大学大学院博士課程中退。1984年『古事記の達成』の業績により、第一回上代文学会賞を受賞。名古屋大学助教授、1986年に東大教養学部助教授、91年教授。94年「柿本人麻呂研究」で東大文学博士。2001年三島海雲財団記念学術奨励金を授与される。2010年定年退任、明治大学特任教授。第3回日本古典文学会賞受賞。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%87%8E%E5%BF%97%E9%9A%86%E5%85%89

 イザナキ・イザナミはまず「漂へる国」を「生み直す」ことから「修理」を開始した・・・。(中川ゆかり<(注40)>・・・)

 (注40)羽衣国際大学人間生活学部教授。文学博士。「上代の散文(古事記や日本書紀、風土記)の表現<を>研究」
https://www.hagoromo.ac.jp/guide/teacher_list/living_professor/teacher_nakagawa_yu

 続いて二神は、大八嶋国<(注40)>(おおやしまぐに)(列島の島々)を生み、次いで自然・文化・農耕に関わる神々を生みながら国の完成を目指したが、イザナミの死によって中断される。

 (注40)「八島(やしま)<は>・・・日本の呼称(雅称)の一つ。大八洲国、略で大八洲とも呼ばれる。『古事記』では、本州・九州・四国・淡路・壱岐・対馬・隠岐・佐渡などの「八つの島」の総称とされている。しかし、日本神話においては八は聖数とされ、また漠然と数が大きいことを示すことにも用いられた。よって本来の意味は、「多くの島からなる国」である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B3%B6

⇒小学生時代に子供向けの日本神話の本で国生みの部分を読んだ頃から、既にエジプト滞在時代初期に知ることとなっていたところの、エジプト神話
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E7%A5%9E%E8%A9%B1
やギリシャ神話
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1#.E7.A5.9E.E8.A9.B11.EF.BC.9A.E4.B8.96.E7.95.8C.E3.81.AE.E5.A7.8B.E3.81.BE.E3.82.8A
や旧約聖書(天地創造)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9C%B0%E5%89%B5%E9%80%A0
とは違って、どうして、日本神話は、世界ではなく、日本だけの生誕を叙述しているのかが、不思議でなりませんでした。
 その後、支那神話における天地開闢が、支那の地形を念頭に置いた内容になっていること
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9C%B0%E9%96%8B%E9%97%A2_(%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E8%A9%B1)
を知ったのですが、この神話が形成された頃には、支那以外の存在が支那の人々には知られていなかった可能性があるのに対し、日本の場合、(密接な交流のあった)朝鮮半島はもとより、恐らくは支那の存在も(少なくとも弥生時代からは)知られていたはずであることから、その後も、日本神話の国生みについての上記疑問が拭えないまま現在に至っています。(太田)

 そして国作りは、以後、オホクニヌシの出現と、統治者としての天皇の誕生を待って完遂されことになるのである。」(96~97)

(続く)