太田述正コラム#9931(2018.7.7)
<松本直樹『神話で読みとく古代日本–古事記・日本書紀・風土記』を読む(その18)>(2018.10.21公開)

 「・・・タカミムスヒ<は>天照や皇祖・天皇と関わる場合が多く、カミムスヒはスサノヲやオホクニヌシとの関わりが強い。
 タカミムスヒはもともと皇室系、カミムスヒは出雲神話圏の神であったためかと思われる。・・・
 大和王権主導の祭祀(律令祭祀<(注44)>)における皇祖天照の至上性を確保す<べく、>・・・古事記が採<ったのが>、「別天つ神」を使うだけ使った上で、いつとはなしにそっと「隠」し、神の世界、人々の信仰の対象から穏やかに消し去る方法だったのではないだろうか。・・・

 (注44)「律令に定める統治機構は、祭祀を所管する神祇官と、政務一般を統括する太政官の二官に大きく分けられていた。<支那の>律令では、祭祀所管庁が通常の官庁と同列に置かれていたが、日本<の>律令は、神祇官を置くことで祭祀と政務を明確に分離した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8B%E4%BB%A4%E5%88%B6
 「(律令祭祀制)7世紀末〜8世紀初頭の天武朝〜大宝年間にかけて形成され、神祇令を中心とした<のに対し、> (平安祭祀制)9世紀〜10世紀にかけて新たに形成された。この二つは時代的な推移の中でしばらくは共存・並行しながらも、やがて前者から後者へと移行した・・・
 「律令祭祀制」<は、>・・・神祇官による運営<だったが、>・・・ 「平安祭祀制」<は、>・・・国家祭祀と天皇祭祀とが重なり合い、やがて天皇祭祀の性格が濃厚となる。」
https://blog.goo.ne.jp/cuckoo-cuckoo10/e/b1b6ef40f6a0664ed932d34fe3603bd7

⇒「注44」は、日本に邪馬台国における例を見ても、権威と権力とを分離する伝統がかねてよりあること、それが、世界で初めて君臨すれども統治せぬ君主制を樹立せしめたこと、を改めて想起させますね。(太田)

 <それにしても、>アマテラス<と>・・・歴代皇祖神・・・<のこと>だけ言えば、古事記の<神話>はよさそうなのに、なぜスサノヲやオホクニヌシの話が必要だったのか。
 <また、>なぜ、オホクニヌシに国作りをさせ、その後に国譲り<(注45)>をさせるという大きな迂回路を通らなければならなかったのか。

 (注45)「天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先だち、高天原から国土の支配権委譲を求める使者が派遣され、大国主命(おおくにぬしのみこと)がこれを承認し、出雲の多芸志(たぎし)の小浜に祀られる(出雲大社)話である。『古事記』によれば、第一の使者、天穂日神(あめのほひのかみ)は大国主命に媚びて命を伝えず、第二の使者、天若日子(あめのわかひこ)も命を伝えず、問責使の雉を射たために神意によって矢に当たって死ぬ。最後の使者、建御雷神(たけみかづちのかみ)に対し、大国主命の子、事代主神(ことしろぬしのかみ)は委譲すべきと答え、建御名方神(たけみなかたのかみ)は力くらべを挑むが敗れて諏訪湖に逃げ降伏し、かくして国譲りが決定する。
 各異伝を参照してみると、第一の使者、天穂日神は出雲臣(おみ)の祖神であり、「出雲国造神賀詞(くにのみやつこのかむよごと)」では大国主命を鎮め祀る重要な記事があり、本来、出雲臣が出雲大社の祭祀権を掌握した伝承の主人公であった。第二の天若日子もその伝承の内容の検討から、本来は聖器の弓矢を持って降臨し、地上で再生する神であったと考えられる。第三の使者も、『古事記』では物部氏の剣神、経津主神(ふつぬしのかみ)を全部抹消し、他の異伝では経津主神を主とし、またこの神だけを報告者とするので、物部氏の平定戦を反映した経津主神の伝承の利用から建御雷神への改変のあったことがわかる。この改変の裏には、建御雷神を守護神とした藤原氏の関与が考えられる。事代主神は出雲の言代(ことしろ)(託宣)を反映するとしても、著名な大和の葛城の神であり、建御名方神は諏訪湖の新しい神である。この2柱の神が、大国主神の祭祀と武力の両面を代表して国譲りを語っていることは、国譲り神話が出雲の服属神話ではなく、国津神の天津神への随順を語った神話、葦原中国(あしはらのなかつくに)奉献の神話であるととらえるべきであろう。」
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD%E8%AD%B2%E3%82%8A%E7%A5%9E%E8%A9%B1-1161111
 建御雷神は、「元々は常陸の多氏(おおのうじ)が信仰していた鹿島の土着神(国つ神)<だったが、>・・・中臣氏が鹿島を含む常総地方の出で、・・・<多氏を>氏神ごと乗っ取<っ>てしまった・・・
 さらに後世の神武東征においては、建御雷の剣が熊野で手こずっていた神武天皇を助けている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B1%E3%83%9F%E3%82%AB%E3%83%85%E3%83%81

⇒「注45」に転載した解説は吉井巖(前出)執筆ですが、このような、「国譲り神話が出雲の服属神話ではな」いことの説明を松本がしていないのは甚だしい片手落ちです。
 但し、吉井の解説も、字数不足だったのかもしれませんが、出雲にこだわり、出雲だけは名前を出してまでして、その服属を記紀が描く必要があったはどうしてなのか、を説明してくれていません。(太田)

 それら地方の神々の存在を容認しながら、新しい<神話>を作らないと、<神話>が誰にも信用されないからである。
 その際に、皇祖アマテラスでもなく、出雲の神々の祖に位置付けられたスサノヲでもない、いわば中立神にして絶対神である「別天つ神」を有効に使ったのだ。」(106、117~118)

(続く)