太田述正コラム#0668(2005.3.23)
<モンゴルの遺産(その10)>
(これは、モンゴルの遺産シリーズ(コラム#626、633??637、643、658、659)の完結編であると同時に、このうちのコラム#643の後編です。)
2月27日と3月13日の二回(二回目は50%以上を得票した候補者がいなかった41選挙区での上位二人の決選投票)にわたって行われたキルギスタンでの総選挙の結果は、野党が全75議席中のわずか6議席しかとれず、惨敗しました。
アカエフ大統領の娘も息子も当選を果たしました。
しかし、選挙監視を行った全欧安保協力機構(The Organization for Security and Cooperation in Europe=OSCE)の代表は、「メディアが偏向しており、ささいな理由で候補者登録が拒否され・・有権者リストが不正確でありきちんと加除訂正が行われていない」と辛い点をつけた一方で、「よかった点は、二回の投票の間での集会の自由は、前に比べてより十分に尊重されたことだ」と述べました。
(以上、http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A33983-2005Mar14?language=printer(3月15日アクセス)及び(http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-kyrgyzstan15mar15,1,1913680,print.story?coll=la-headlines-world(3月16日アクセス)による。)
キルギスタンの選挙もこの程度か、と思ってはいけません。中央アジア的標準、広くは第三世界的標準に照らせば、比較的公明正大な選挙が行われた、と受け止めるべきなのです。
選挙後、野党勢力の強いキルギスタン南部のフェルガナ(Fergana)盆地(注14)の都市ジャララバード(Jalal-Abad)で、民衆蜂起が起こりました。
(注14)この盆地は、中央アジアで最も人工稠密で貧しい地域であり、キルギスタン・ウズベキスタン・タジキスタン三カ国にまたがり、キルギス・ウズベク・タジク人が住んでいるほか、主として中共の新疆ウィグル地区に住むウィグル人も住んでいる。また、イスラム原理主義の巣窟であるとともに、アフガニスタンで栽培された麻薬の密輸ルート上に位置する。
アフガニスタンをタリバンが支配していた頃、オサマビンラティンの息の掛かったウズベク人頭目の率いる一団がキルギスタン領フェルガナを攻撃したことがあり、そのシンパが今でもこの盆地にいる。
キルギスタン領フェルガナにはウズベク人も住んでおり、キルギス人と反目しているが、今回の民衆蜂起には両者がともに参加している。
(以上、http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4368837.stm(3月22日アクセス)による。)
選挙不正を追及する民衆によって3月初めから占拠されていた地方庁舎を特殊警官隊が奪い返したところ、1??2万人もの民衆がこの庁舎を再び占拠した上で警察署を襲い、捕らえられていた人々を解放し、この警察署に放火したのです。また、彼らは一時空港も占拠し、滑走路に土砂をぶちまけ、治安要員がキルギスタンの北端に位置する首都ビシュケク(Bishkek)から送り込まれないようにしました。
また、やはりフェルガナ盆地に位置するキルギスタン第二の都市オシュ(Osh)でも1000人の民衆が地方庁舎を占拠しました。
この蜂起は、直接的には選挙の不公正さへの怒りが引き起こしたものですが、その背後には政府の経済政策への不満と政府の腐敗への怒りがあります。彼らはアカエフ大統領の辞任と大統領選挙の実施、そして総選挙のやり直し、更に捕らえられた人々全員の解放を要求しています。
キルギスタン政府は死者は出ていないと言っていますが、ロシアのインターファックス通信社は10名の死者が出た可能性があると報じ、ロイター通信は、4名の警官が撲殺されたと報じました。
警察は火器の使用を禁じられており、民衆側も棍棒しか使っていない模様です。アカエフ大統領は交渉の用意があると言っていますし、問題になっている選挙区での選挙結果の見直しを行うとも言っています。他方、蜂起した民衆の方は、明らかにグルジアやウクライナでの平和的かつ民主的なビロード革命、就中ウクライナでのオレンジ革命の例に倣おうとしています(注15)。
(注15)ウクライナ等のケースと違うのは、かねてから政府側がメディアを独占しており、今のところ寝返ったメディアもないことから、現時点では蜂起側が広報宣伝面で圧倒的に不利な点だ(http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4369139.stm。3月22日アクセス)。
また、フェルガナ盆地がイスラム原理主義の巣窟であることや多民族地帯であることから、この民衆蜂起が宗派や民族間の武力紛争に転化する恐れは排除できない。
以上のような政府側及び民衆側の自制が、これまた中央アジア的標準、広くは第三世界的標準に照らせば、驚異なのです。
ちなみに、米国政府は今次選挙についてOSCEと同様の見方をしていますし、政府側と蜂起側に対話を呼びかけていますが、ロシア政府は、選挙が公正に行われたとし、蜂起側を非難しています。
(以上、特に断っていない限りhttp://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-kyrgyz21mar21,1,1185834,print.story?coll=la-headlines-world、http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A52233-2005Mar20?language=printer、http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4369065.stm、http://www.csmonitor.com/2005/0322/p07s02-wosc.html(いずれも3月22日アクセス)による。)
一体どうして、キルギスタンはこんなに自由・民主主義的に「進んで」いるのでしょうか。
キルギスタンは「遊牧民的伝統と女性の権利や宗教的多様性に寛容な特異なイスラム教によって、より専制的な周辺諸国に比べて明確に異なった政治的様相を持っている」からだ(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A56486-2005Feb26?language=printer前掲)というのです。
そこまでくれば後一声ですね。
キルギス人の「遊牧民的文化の核心部分に個人の自由があり、イスラム教が中央アジアのほかの地域に比べて深く根を下ろしておらず、キルギス人はイスラム教徒のウズベク人やタジク人よりも仏教徒たるモンゴル人に近いからだ」(http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4368837.stm上掲)。
どうです。英国人の中にも私の「モンゴルの遺産」説と同じ説を説く人がいるでしょう。
(完)