太田述正コラム#0672(2005.3.27)
<選挙後のイラク(その3)>

 「旧体制派ゲリラ」(つまりはイラク不穏分子)の戦略は以上の通りですが、彼らによる攻撃がイラク文民へとシフトせざるをえなかったのはどうしてなのでしょうか。
 その最大の理由は、イラク治安部隊が整備されてきたことです。
 現時点ではイラク治安部隊(イラク軍)の総兵力は57,000人しかなく、その士気に問題があり、しかも不穏分子の浸透を許していますが、そのうち精鋭の特殊部隊(Iraq Special Operation Force。旅団規模)は米軍の特殊部隊の能力水準に近づきつつあり、米側の指揮統制を受けずに独立作戦能力を遂行できるまであと一歩の段階です。
 この特殊部隊は、都市戦闘を行う部隊と対テロ戦闘を行う部隊に分かれており、それぞれ軍服を着用せずに諜報任務に従事することもあります。彼らの諜報能力は、軍服を着ている場合はイラク人の心を開かせ、着ていない場合は気付かれにくい、という点で米軍と比較して優れています。
 (特殊部隊の兵士はシーア派が大部分で、狙撃手の大部分は戦闘慣れをしたペシュメルガ(注4)出身のクルド人であり、スンニ派がわずかしかいない点が、懸念されている点ですが、贅沢は言っておられないでしょう。)
(以上、特に断っていない限りhttp://www.time.com/time/world/printout/0,8816,1039654,00.html(3月20日アクセス)による。)

(注4)Peshmerga。クルド人のゲリラないし民兵を指す。イラクのクルド人自治地域の民兵は10万人に達すると見られている。2003年の対イラク戦において、彼らは米軍と手を携えて戦った。この民兵組織を新生イラクにおいても残すのかどうかも、シーア派とクルド人の間の論点の一つ。(http://en.wikipedia.org/wiki/Peshmerga。3月27日アクセス)

最近の活躍例は、米軍の助けを殆ど借りずに行った、22日のバグダッド北西の湖の畔の不穏分子の訓練基地の強襲作戦の成功です。不穏分子を84名殺害したという特殊部隊の主張はオーバーですが、異例にも不穏分子側が11名死亡したと認めており、相当の戦果があったことは間違いないようです(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A59040-2005Mar23?language=printer。3月24日アクセス)、(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A64206-2005Mar24?language=printer(3月26日アクセス))。
この結果、不穏分子は「戦力」が低下し、攻撃を(警察官等を含む)イラク文民へとシフトせざるをえなくなったと考えられます。
 このようなイラク治安部隊の整備を踏まえ、3月中旬に米国防省は、在イラク米軍兵力を来年初めまでに現行の150,000人から105,000人に削減すると発表しましたところです(タイム誌前掲)。

 1月30日の総選挙後は更に明るい材料が続出しています。
 選挙が「成功」し、憲法制定を行う新体制が発足しようとしている今、第一に、スンニ派の間でもバスに乗り遅れまいとする気運が高まっていることです。
 おかげで、スンニ派からの、不穏分子に関するタレコミが一挙に増えています。
 米軍の方でも、スンニ派地区で集会を開催し、逮捕しないは写真は撮るという前提でこの集会への不穏分子シンパの参加を促す作戦に出ており、揺れ動く心理状態にある人々の取り込みに務めています。
(以上、http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-intel22mar22,1,6602284,print.story?coll=la-headlines-world(3月23日アクセス)による。)
この関連で、3月中旬に、これまで多国籍軍の撤退を要求し、選挙の実施に反対してきたスンニ派の諸団体や諸グループの有力者達がバグダッドで一堂に会し、免責を受けて武器を捨て、発足しようとしている新体制に参画することを見返りに、スンニ派として統一要求をぶちあげた(注5)ことは画期的な出来事であると言えるでしょう。

(注5)要求の中には、明らかに無理なものも含まれている。米軍撤退期日の設定、軍における旧バース党員排除方針の撤回、確実な証拠のない被疑者全員の釈放、スンニ派の内務相への登用等々。しかし、彼らが交渉のテーブルに着く姿勢を見せたことが重要なのだ。

この会合は、旧イラク国王家筋のフセイン氏(Sherif Ali bin al-Hussein。コラム#55、56)の肝いりで開催されたものです。
フセイン氏は復辟を虎視眈々とねらっており、フセイン政権打倒後のイラクに戻り、先般の選挙にも「無所属」で立候補したものの、落選しています。氏はこのたび、スンニ派(ご本人は当然スンニ派)のフィクサーという新たな役割に乗り出したわけです。
(以上、http://www.csmonitor.com/2005/0324/p01s04-woiq.html(3月24日アクセス)及びhttp://news.ft.com/cms/s/7b2a3b4e-9d4e-11d9-a227-00000e2511c8.html(3月26日アクセスによる。ただし、この記事は、「旧体制派ゲリラ」と「アルカーイダ系「戦士」の戦略を取り違えている(コラム#670))。)
第二に、これまでシーア派の「旧体制派ゲリラ」と「アルカーイダ系「戦士」」の攻撃に耐えて隠忍自重してきたシーア派住民達の間で、自衛のために武器をとって反撃する人々が出てきたことです(http://www.nytimes.com/2005/03/22/international/middleeast/22cnd-iraq.html?ei=5094&en=db2b418ec89abb71&hp=&ex=1111554000&partner=homepage&pagewanted=print&position=。(3月23日アクセス)及びhttp://www.csmonitor.com/2005/0324/p08s03-comv.html(3月24日アクセス)。

(続く)