太田述正コラム#9947(2018.7.15)
<松本直樹『神話で読みとく古代日本–古事記・日本書紀・風土記』を読む(その26)>(2018.10.29公開)

 「・・・<今度は、>風土記編纂の・・・官命の内容を・・・検討してみよう。
 一から五まで大きく五つの要求項目があげられている。
 まず、一「郡と郷の名には好<(よ)>き字を着けよ」・・・<だが、>この要求は山や川などの自然地名には及んでいない。・・・
 地名表記の統一化が図られていたことは間違いないだろう。・・・
 続く二は各地域における物産の品目を、三は土地の沃瘠(よくせき)<(注63)>をそれぞれ報告せよとの要求である。・・・

 (注63)「肥えた土壌、やせた土壌」
https://www.weblio.jp/content/%E3%83%A8%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%AD

 一~三を見る限り、風土記編纂の官命の目的が、国家経営の安定化のためであることは明らかである。
 問題は残る二つの項目である。
 官命の四「山川原野の各号の所由」は地名の起源、五「古老の相ひ伝ふる旧聞異事(旧(ふる)く聞く異(あや)しき事)」とは土地で代々語り伝えられてきた神話・伝説を含めた<歴史>のことと思われる。
 もちろん、この両者は互いに重なる部分を持っている。
 さて、これらの報告が求められたのは、いかなる理由によるのだろうか。
 古事記・日本書紀という大和王権の史書も<神話>を持っていた。
 そして風土記という地誌に<も>神話の報告が求められた。
 同時代における神話をめぐる二つの事柄が無関係であるとは思えないのである。

⇒もちろんそうでしょうが、どうして、古事記を編纂する前に、いや、少なくとも日本書記を編纂する前に、風土記群の編纂を命じることによって、風土記群中の神話に係る部分、を記紀の編纂に生かそう、という発想が、大和王権の当局者側になかったのか、を私としては知りたいわけです。(太田)

 繰り返し述べてきたが、本来の神話は、人の生死を決定し、社会を規制する力を持って伝承されていた。
 いにしえに神がとった行動や、神が発した言葉によって、人の死が確定し、社会のルールが決定されたように、神話は絶対的な力を持っていた。
 また地名起源伝承は、村落共同体の起源を語り、またそれぞれの生活圏の山や川の神のことを伝えていた。
 そして、人々は村落を取り囲む神の信仰を守り、村落を永久に存続させる義務を負って生きていた。
 だから、地方の神話や地名起源伝承は、その地方の人々がどのような価値観を持って生きているかを知るための、重要な資料であったに違いないのである。
 だからこそ、それらの把握は、土地の人々のイデオロギーを掌握し、それらを統一し、国家イデオロギーを形成させるために必要な事がらだったというわけだ。・・・
 風土記とは・・・国司<(注64)>(くにのつかさ)・・・が太政官という上級官庁に提出<させられ>た「解(げ)」であ<るところ、>・・・出雲国風土記だけは、出雲の祭祀を統括する世襲の出雲国造<(注65)>(こくぞう)が編集責任者となっている。

 (注64)「国司(こくし、くにのつかさ)は、古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)等を指す・・・
 郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの任命だったので、中央からの支配のかなめは国司にあった。任期は6年(のちに4年)であった。国司は国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司り、管内では絶大な権限を持った。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%8F%B8
 (注65)「出雲国造(いずものくにのみやつこ、いずもこくそう)は、出雲国(現在の島根県東部地方)を上古に支配した国造。その氏族の長が代々出雲大社の祭祀と出雲国造の称号を受け継いだ。・・・
 出雲国造は紀伊国造などとともに、ごく一部の例外的な氏族として国造の称号存続を許され<たもの。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%9B%BD%E9%80%A0 前掲
 「国造(くに の みやつこ、こくぞう、こくそう)は、・・・大化の改新<までの>・・・古代日本の行政機構において、地方を治める官職の一種。また、その官職に就いた人のこと。軍事権、裁判権などを持つその地方の支配者であった」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%80%A0

⇒どうして、出雲は、紀伊等に比しても、風土記編纂に関する特別扱いがなされたのか、を松本に説明して欲しかったところです。(太田)

 このことも影響してか、他国の風土記に比して、神々の物語を著しく多く載せている。
 出雲国内の地方神も多いが、中央の<神話>で活躍するような神々も登場する。」(216~219)

(続く)