太田述正コラム#0674(2005.3.29)
<選挙後のイラク(その4)>

 (4)選挙は平穏に実施される
結局1月30日の選挙は、自爆テロ等で40名弱の死者をだした「だけで」比較的平穏に実施されたわけですが、これは、不穏分子が制圧されたからではなく、暫定政府側が、国境を閉鎖し、車の使用を禁止し、移動規制を行い、不審者は射殺する、という戒厳状態に当日イラク全土を置いたおかげでした(http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4220551.stm。1月31日アクセ)。

(5)選挙後も暫定政府が事実上継続する
  ア はずれ?
 この分析は、そもそも暫定政府のシーア派の世俗派であるアラウィ首相も、スンニ派の世俗派であるヤワル大統領も、(イラン出身であり選挙権のない)シスタニ師の息の掛かったシーア派を中心とするリスト(United Iraqi Alliance=UIA)に参加せず、それぞれ独自のリストを率いて選挙に参加することになったことではずれてしまいました。
 その選挙の結果は、UIAが総得票数の47.6%(140議席。148議席説もある)で第一位、クルド・リストが26%(75議席)で第二位、そしてアラウイ・リストが13.8%(40議席)で第三位となり、ヤワル大統領も当選を果たしました。
 獲得議席数ではUIAが過半数をかろうじて超えたものの、少なくともクルド・リストの当選者と連携しないと、重要な意志決定をするために必要とされる三分の二の議席数を確保できないため、以来、新政権の基本政策やポスト配分をめぐって各派間の話し合いが水面下で続いており、選挙から二ヶ月も経った現在、なお議会は開店休業状態が続いています。
 最重要ポストである首相についても、二月中旬に、同じUIA中の有力候補の三人、イスラム至上主義の気があるジャファリ(Ibrahim al-Jaafari)副大統領、世俗派を装うマーディ(Adel Abdul Mahdi)財務大臣、そしてかつての米CIAの手先で何でもありのチャラビ(Ahmad Chalabi)氏の中で、ジャファリ氏が本命視されるようになり、二月中旬にはジャファリ氏にほぼ決まったと報じられたものの、いまだに確定するに至っていません(注6)。
(以上、特に断っていない限り、http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-elections10dec10,1,2980583,print.story?coll=la-headlines-world(2004年12月11日アクセス)、http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1412294,00.html(2月15日アクセス)、http://www.csmonitor.com/2005/0217/p06s01-woiq.html(2月17日アクセス)、http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A43464-2005Feb22?language=printer(2月23日アクセス)による。)

(注6)米国としては、イラクがイスラム国家化したりイランの強い影響に置かれたりすると困るわけであり、その意中の人物としては、まずもってアラウィ氏であり、それがだめならマーディ氏であろうと考えられている(http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1411350,00.html。2月13日アクセス)。マーディ氏は、イエズス会が経営する、当時イラクで最も著名であったBagdad Collegeでアラウィ氏、チャラビ氏とほぼ同期であり、(前出のジャファリ氏もそうだが)この三人ともフセイン時代には海外に亡命していた。マーディ氏は、シスタニ・リスト中最も多くの議員を抱え、従って議会の最大政党でもあるSupreme Council for the Islamic Revolution in Iraqを率いている(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A21745-2005Feb13?language=printer。2月14日アクセス)。

 蓋を開けてみれば、暫定政府と似た陣容の新政府が樹立され、結果的に私の分析が当たる可能性は残っています。
 当たるも八卦当たらぬも八卦。そのあたりをさぐってみましょう。

  イ シーア派対クルド人
最初のうちはシーア派とクルド人の話し合いばかりが報道されていました。
3月上旬には両者の間で合意がほぼ成立したと報じられました。UIAはまず、東西クルド人地区のうち東部(Patriotic Union of Kurdista=PUK)の指導者であるタラバニ(Jalal Talabani)氏を大統領に据えることに同意し、引き続き、キルクークへのクルド人の帰還と更にはキルクークのクルド人地区への編入にも同意したというのです。(http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1434947,00.html。3月11日アクセス)。
これでようやく、ジャフリ首相を中心とした新政府が発足すると思われました。
ところが、クルド人側がそのほか様々な要求をつきつけたために、なかなか最終的な合意に至らないとその数日後報じられました(http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-frustrated13mar13,1,3181831,print.story?coll=la-headlines-world。3月14日アクセス)。
それどころか、UIAとクルド人の合意だけで議会を壟断できるような状況ではないことが次第に明らかになってきたのです。

  ウ シーア派対世俗派
アラウィ一派がUIA内の世俗派と手を組んで、ジャフリのようなイスラム主義者の首相就任に猛烈な異議申し立てをしているというのです。
その背景には、米国の意向もさることながら、頭を布で覆っていない女子学生へのいやがらせや、酒屋や髭を剃る理髪店への襲撃が絶えない状況への、世俗派イラク一般市民の嫌悪感があります。
しかも、これにUIA内の「隠れ」サドル派の24名の議員達も連携をしているというのですから驚きです。
(以上、http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1447184,00.html(3月29日アクセス)による。)

  エ シーア派対スンニ派
これに加えて、危害を加えられることを恐れ、或いは確信犯的に選挙に参加せず、従って当選者も少ないスンニ派が院外での新体制参画に向けての動きと呼応して、新政府内での十分な処遇を要求し始めています。
このような背景の下、暫定政府大統領のヤワル氏は、UIAがもちかけていた議会議長就任要請を断りました。それでは不足だ、というのです。
UIAにせよクルド人にせよ、スンニ不穏分子を手なづけるため、更には今後のイラクの政治の安定を図るためにはスンニ派の協力を得る必要があり、スンニ派議員らの要求を無下に退けるわけにはいきません。
(以上、http://www.latimes.com/news/nationworld/iraq/la-fg-sunnis28mar28,0,5989487,print.story?coll=la-home-headlines(3月29日アクセス)による。)

 いずれにせよ、新政府の発足は目前に迫っています。
 どのような陣容になるのか、興味が尽きないところです。

(完)