太田述正コラム#9953(2018.7.18)
<松本直樹『神話で読みとく古代日本–古事記・日本書紀・風土記』を読む(その29)>(2018.11.1公開)
「日本書記一書の国譲りは、オホナムチが天孫に葦原中国の「顕露(あらは)の事」つまり現実世界の政治を譲り、オホナムチは「神事」を担当するというのであり、いわば祭政の分掌に近い形で行われていた。
これは出雲側にとって最も有利な形での国譲りであると言えるだろう。
だから出雲国風土記が採用したのだと思う。
ただし、日本書記と出雲国風土記とでは決定的に違う点がある。
それは、杵築大社建造の司令神である。
日本書記ではタカミムスヒであるのに、出雲国風土記ではカミムスヒになっているのだ。
ここには出雲国風土記の意図があるはずだ。
タカミムスヒは皇室系のムスヒ神(造化神)で、出雲国風土記には一度も登場しない。
それを出雲ゆかりの祖神に換えた上で、<建国神話>を受け止めたものと推察される。
タカミムスヒ・カミムスヒという両ムスヒ神についても・・・出雲系のカミムスヒ<(注70)>も、古事記・日本書紀の編纂当時には、既に〈建国神話〉の中に定着していたと思われる。
(注70)「『古事記』で語られる神産巣日<(カミムスビ)>は高天原に座して出雲系の神々を援助する祖神的存在であ<る。>・・・<なお、>『日本書紀』では出雲系の神々が語られないため、カミムスビはタカミムスビの対偶神として存在するのみで特にエピソードは無い。・・・
大国主が兄神らによって殺されたとき、大国主の母が神産巣日に願い出て、遣わされた蚶貝姫と蛤貝姫が「母の乳汁」を塗って治癒したことから女神であるともされる。・・・キサガイヒメ・ウムギヒメなど<出雲の>土地神たちの多くは女性神であり、母系社会の系譜上の母神として存在したと考えられる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%93 前掲
とりわけ古事記では、タカミムスヒ<(注71)>と並んで高天原に成った「別天(ことあま)つ神(かみ)」である。・・・ 」(231)
(注71)「女神的要素を持つ神皇産霊神<(カミムスビ)>と対になり、男女の「むすび」を象徴する神とする説がある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%93 前掲
前出の溝口睦子のタカミムスヒ至上神説をハンドルネーム天語人氏が、溝口の『アマテラスの誕生』(2009年)から要約しているので、ここで紹介しておく。→ 「
一、タカミムスヒは,朝鮮半島を通じて波及した文化の波の1 つ(8頁)。タカミムスヒが日本に侵入し,アマテラスと交わった(20頁)。
二、タカミムスヒは,天孫降臨神話とともに朝鮮半島からやって来た,外来の神である(94頁)。
三、古事記ではなく,日本書紀を見ると,日本神話のもととなった「原資料」の姿がよくわかる(102頁)。
四、アマテラスには海洋的性格があり,「トコヨの国」がなによりも慕わしい国だったに違いない(115頁,212頁)。
五、「天岩屋神話」を読んでみると,アマテラスは,なす術を知らない女神であり,秩序の頂点に立つ絶対神では決してない(121頁)。
六、「ウケヒ神話」,「天岩屋神話」の真の主役はスサノヲである(122頁)。
七、アマテラスに焦点があるのではなく,むしろ,イザナキ・イザナミの国生みから,スサノヲ,オオクニヌシが,「話の中心のライン」だった(125頁)。
八、日本の古い時代における神々の王といえば,オオクニヌシをおいて他にはなかった(129頁)。
九、オオクニヌシについては,大八洲国や葦原中国など,「日本全域を支配領域として視野においた伝承が少なくない」(133頁)。
十、日本書紀第6段第1の一書,第3の一書にみえる宗像三神は,現実の歴史的事実を踏まえて,その起源を語っている(159頁)。」
http://www3.point.ne.jp/~ama/
⇒私は、溝口睦子説を大いに参考にしつつ、カミムスヒを縄文人由来の女神、タカミムスヒを弥生人由来の男神、と考えてみたいのですが、どんなものでしょうか。
溝口と大きく違うのは、タカミムスヒの「誕生」を、彼女のように5世紀ととる(前出)ことなく、弥生人が日本列島に到来した紀元前10世紀
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3
ととる、という点です。
では、アマテラスとは何か?
被治者の大部分を占める縄文人系の人々に、自分達の祖神としても受け入れられ易いように、男神であったアマテラスを、それが男神のタカミムスヒ系の男神であったにもかかわらず、女神に「性転換」させて、記紀で再デビューさせた、と解するわけです。(注72)
(注72)「記紀においては、天照大神が女神として把握され、そういう性格で描写されてい<るが、>・・・史実原型<に関しては、>・・・津田左右吉博士や最近でも松前健氏、楠戸義昭氏、武光誠氏などに男神説が見られる」
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/kodaisi/amateru1.htm
また、私としては、オホクニヌシの国譲り「神話」は、直接的には、大和王権による日本の統一を説明しようとしているのでしょうが、間接的には、弥生人渡来に伴う縄文人の支配をも説明しようとしている、と解したいのです。
後者は比較的平和裏に行われた形跡があるところ、前者についても、少なくとも最終段階は比較的平和裏に行われたと想像されるけれど、それは、後者の記憶があった賜物であった、といった「史実」を私としては想像してみたいのです。
なお、オホクニヌシが男神であるのは、彼の祖神で女神であるカミムスヒの他の子供達・・オホクニヌシの姉妹達・・にして女神たる地神達・・縄文系人たる被治者達の象徴・・を束ねていたところの、治者たる弥生系人の象徴としてである、と受け止めてみたらいかがでしょうかね。(太田)
(続く)