太田述正コラム#9957(2018.7.20)
<松本直樹『神話で読みとく古代日本–古事記・日本書紀・風土記』を読む(その31)>(2018.11.3公開)
⇒ぶっちゃけ申し上げれば、お示しした太田仮説、半ば、ジョークです。
ここまで、読んできた限りにおける、松本を含む登場人物達による諸説、程度のもっともらしさのある新説(仮説)なら、新たにでっちあげるのにそう苦労はしない、ということを「証明」するための・・。
とはいえ、でっち上げた仮説、結構気に入っているので、どなたか、あら捜しをしていただけるとありがたい。
そうすれば、この新説、ぽしゃってしまう可能性が大ですが、ひょっとすると次第に補強されて・・なーんてことになるかもしれませんよ。
例えば、この新説の前段に関してですが、ナイル・・・私が自分の眼で見ている・・にせよ、チグリス・ユーフラテス・・見てはいないが想像がつく・・のように、砂漠、ないし準砂漠を滔々と流れ、それに注ぎ込む支流が見当たらないか殆ど見当たらないけれど、長江(揚子江)には支流がたくさんありそうで、その中には容易に水源が突き止められるものもあったはずで、そこから、類推が、長江の本流の水源についてもなされたのではないか、といった指摘です。
仮に、こんな指摘があったとして、さて、どう答えますかねえ。
いや、この場合、さして思い悩む必要はなさそうです。
この指摘への反論が困難だと見極めたら、長江文明の人々は、水源が山であることを知っており、天/山神話を作り、彼らのうち、日本に渡来した人々もこの神話を持参した、と、私の新説(仮説)を変更すればよさそうだからです。
(具体的には立ち入らないけれど、新たに補足的説明が必要になりそうですが・・。)
こんな感じで、何か思いつかれたら、お気軽にご指摘を。(太田)
「<今度は>国引き<(注73)です。>
(注73)「国引き神話(くにびきしんわ)は、・・・『古事記』や『日本書紀』には記載されておらず、『出雲国風土記』の冒頭、意宇郡の最初の部分に書かれている。
当初、作られた出雲国は「八束水臣津野命(やつかみず<(/づ)>おみつぬのみこと)」によれば「狭布(さの)の稚国なるかも、初国小さく作らせり、故(かれ)、作り縫はな」という失敗作であったという。「狭布」すなわち国の形は東西に細長い布のようであったという。そこで、八束水臣津野命は、遠く「志羅紀」「北門佐岐」「北門農波」「高志」の余った土地を裂き、四度、「三身の綱」で「国」を引き寄せて「狭布の稚国」に縫い合わせ、できた土地が現在の島根半島であるという。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%BC%95%E3%81%8D%E7%A5%9E%E8%A9%B1
・・・ヤツカミヅオミヅヌ<(注74)>は、出雲は狭い国だと言って、朝鮮半島の新羅や北陸の越(こし)の国など四つの国から、国の余った所を切り取って、それに綱をかけてゆっくりゆっくりと引いてきて、出雲に新たな国土を縫い足していった、という・・・のである。・・・」(234)
(注74)「古事記において須佐之男命の4世孫とされ、日本書紀には登場しない。・・・
出雲国風土記に国引きを行った八束水臣津野命の別名として意美豆怒命(おみづぬ)・伊美豆怒命(おみづぬ)とあることから、この二神は同一視される。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%A4%E7%BE%8E%E8%B1%86%E5%A5%B4%E7%A5%9E
「『出雲国風土記』によれば、「出雲の礎を築いた神」というニュアンスで冒頭に登場する神であり、「出雲」や「島根」という地名は八束水臣津野命によって名付けられたとされてい<る>。・・・
古事記ではスサノオとクシナダヒメの4世孫「淤美豆奴神(オミズヌ)」に比定される・・・
古事記にあるスサノオの系譜によれば、大国主の祖父に当たる・・・
ただし、『日本書紀』には登場せず、『出雲国風土記』にもスサノオとの関連性を示す記述はない」
http://izumonokunifudoki.blogspot.com/2015/09/blog-post_29.html
⇒国引き神話は、私の、新羅/日本列島同一文明説(コラム#省略)を補強する神話である、と言えそうですね。(太田)
(続く)