太田述正コラム#9981(2018.8.1)
<井上寿一『戦争調査会–幻の政府文書を読み解く』を読む(その9)>(2018.11.16公開)

 「・・・対する幣原は渡辺や馬場の意見に対して異論を展開する。
 「実は単に戦争の始まった当時でなくして、もう少し前に遡って研究しなければならぬと私は思います」。

⇒この限りにおいては間違っていませんが、幕末に遡る、という(私(わたくし)的な)発想など、武士的バックグランウンド皆無で拡大島津家とも全く無縁の幣原(注14)には、髪の毛一筋もなかったことでしょうね。(太田)

 (注14)1872~1951年。「大阪府門真一番村(現・門真市)の豪農の家に生まれた。兄・坦は教育行政官、台北帝国大学初代総長。大阪城そばにあった官立大阪中学校から、第三高等中学校(首席卒業)を経て、1895年(明治28年) 東京帝国大学法科大学卒業。浜口雄幸とは、第三高等中学校、帝国大学法科大学時代を通じての同級生であり2人の成績は常に1、2位を争ったという。外務省入省」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%A3%E5%8E%9F%E5%96%9C%E9%87%8D%E9%83%8E 前掲

 幣原は理由を述べる。
 「軍部の人たちが何時も開戦論者であると思うのは私は間違いではないかと思います」。
 幣原は例を挙げる。
 第一次世界大戦時、イギリスが日本に参戦を求めた。
 しかし、陸軍は断った。

⇒井上は著しく説明不足です。
 「<1914年>8月23日・・・大隈重信首相は御前会議を招集せず、議会承認も軍統帥部との折衝も行わないで緊急閣議において・・・参戦を決定した。大隈の前例無視と軍部軽視は後に政府と軍部との関係悪化を招くことになった」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC
という手続き的問題こそあったけれど、別段、陸軍を含む軍部が、参戦に反対していたわけではないからです。
 参戦後、海軍より先に陸軍が動いた・・青島の戦い(1914年10月~11月)・・こと(同上)も付言しておきましょう。
 幣原は、海軍は欧州に派遣されたが陸軍は派遣されなかったことを言っているのでしょうが、これは、大隈内閣の判断です。(同上)
 なお、当時の大隈首相(肥後藩出身)も加藤高明(尾張藩出身)も、拡大島津家の一員として行動した、と私が見ていること(コラム#省略)を、この際、思い出してください。(太田)

 第一次世界大戦後、軍縮の時代が到来する。
 「軍隊なんてものは余計なものだ」。
 世の中の風潮は激変する。
 このことが軍部の「非常に神経を刺激して、不穏の情勢」を生んだ。

⇒幣原が具体的にどういう発言をしたのかが分かりませんが、当時の、山梨軍縮(1922、1923年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E8%BB%8D%E7%B8%AE
や宇垣軍縮(1925年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%9E%A3%E8%BB%8D%E7%B8%AE
は、「陸軍が盛んに口にしてきたロシアの脅威にしても、革命で帝政ロシアが倒れ、当面大きな軍備を持つ理由がなくなって<しまっ>た」
https://nagahara.jimdo.com/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E7%AC%AC%EF%BC%91%EF%BC%97%E5%9B%9E-%E9%99%B8%E8%BB%8D%E3%81%AE%E8%BB%8D%E7%B8%AE%E3%81%A8%E8%BB%8D%E5%9B%BD%E5%8C%96%E3%81%B8%E3%81%AE%E9%81%93/
こと、つまりは、顕教たる(私の言葉の)横井小楠コンセンサスに照らすと、軍縮せざるをえなくなったということであり、陸軍上層部は、密教たる(やはり私の言葉の)島津斉彬コンセンサスを信奉していたことから軍縮する理由がないので苦慮していた、というのが実態・・次回のオフ会「講演」参照・・なのであり、この部分については、幣原か、幣原の言を要約した井上は、陸軍(軍部)の当時の本心を正しく把握していない、と指摘せざるをえません。(太田)

 幣原はここに満州事変勃発の起源を見出す。
 別の言い方をすれば、第一次世界大戦が遠因となって、満州事変は勃発した。
 幣原はそう考えた。」(45)

⇒ここも、幣原が具体的にどういう発言をしたのかが分かりませんが、この部分については、満州事変当時、既にロシアの脅威が再び高まりつつあった(典拠省略)こと一つとっても、幣原か、幣原の言を要約した井上の、完全な事実誤認である、と断定できます。(太田)

(続く)