太田述正コラム#9985(2018.8.3)
<井上寿一『戦争調査会–幻の政府文書を読み解く』を読む(その11)>(2018.11.18公開)
「青木はより具体的に日中戦争における駐兵問題をめぐって日中国交調整が遅延したことと、この問題をめぐる日米間の意見の不一致に開戦原因を見出している。
⇒米国が、自らの国益に反するにもかかわらず、日本による対ソ抑止の邪魔をしてきたことが対米英戦争の開戦原因であり、駐兵問題など、枝葉の問題に過ぎません。
いや、それどころか、昭和天皇が、1946年に「日本の主張した人種平等案は列国<、就中米国(太田)>、の承認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し<、更に、1924年のいわゆる排日移民法による
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%92%E6%97%A5%E7%A7%BB%E6%B0%91%E6%B3%95
>加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。・・かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がった時に、之を抑へることは容易な業ではない。」(コラム#221)と、対米英戦争の米国原因論を述べているところ、かかる観点が、青木にも、従って、青木が意を受けている幣原にもなかったことには呆れるほかありません。
よりにもよって、そんな米国が、上記「対ソ抑止の邪魔」をしてきたというのに・・。(太田)
日中戦争は始まりから終わりまで、ほぼ全期間をとおして、和平工作が試みられた。
和平条件でもっとも重要だったのが駐兵問題だった。
⇒最も重要だったのは、中国国民党政権の日本による対ソ抑止に対する姿勢であって、繰り返しますが、駐兵問題など、枝葉の問題に過ぎません。
それよりも、青木、すなわち、幣原、が、先に取り組むべきであったのは、日中戦争・・私の言う日支戦争・・の開戦原因です。
そもそも、取り組もうとしていないのですから何をかいわんやですが、今上天皇が、1928年の済南事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%8D%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6
で「支那において日本人が被害を受けたことが支那事変<・・太田の言う日支戦争・・>につながって行ったと示唆しておられる」(コラム#214、215)ところ、大蔵官僚あがり(青木)も外務官僚あがり(幣原)も、どうしようもないですね。(太田)
戦争終結後、日本は中国にどのような地理的範囲と期間において駐兵をつづけるのか。
日中間の合意形成は難航した。
和平工作は行き悩んだ。
よく知られているように、開戦回避のための日米交渉が最終段階で暗礁に乗り上げたのは、日本の中国からの撤兵問題である。
青木の指摘は適切だった。
⇒大変失礼な言い方ながら、井上のレベルも、青木、幣原両名並みかそれ以下だ、ということになります。
首相並み以下だ、は誉め言葉では、という混ぜっ返しがあれば、屁理屈ながら、麻生や安倍だって首相だが、と一応指摘しておくことにしましょう。(太田)
青木はさらに四点を指摘する。
第一に「大東亜共栄圏の理念というものが果たして正しいものであったかどうか」。
青木は「大東亜共栄圏」の理念に懐疑的だった。
青木にとって虚構の「大東亜共栄圏」こそは「敗戦の原因を批判する上において必要なる問題」にちがいなかった。
⇒大東亜共栄圏の理念のどこが問題(虚構)だったのか、青木がその説明をしたかどうかを問わず、井上は、若干なりとも解説をすべきでした。
私には、1943年の大東亜共同宣言
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%85%B1%E5%90%8C%E5%AE%A3%E8%A8%80
に、ケチをつける余地がそれほどあるように思えないのですが・・。(太田)
第二に「占領地植民地における行政は果して良く行っておったか」。
虚構の「大東亜共栄圏」の下での行政が正しく機能するはずはなかった。
⇒大東亜共同宣言のどこが虚構であるかを聞かせてもらっていないので、コメントのしようがありません。(太田)
第三に日独伊三国同盟の強化が「敗戦の原因ではあるまいか」。
青木にとって「枢軸国家に依存」したことが敗戦の原因だった。
⇒井上の要約の仕方の問題かもしれませんが、これでは同盟抜き、ないしは同盟強化なし、で、日本が開戦していたならば敗戦することはなかったということになってしまうところ、こんな主張がナンセンスであることは一目瞭然でしょう。(太田)
第四に日ソ国交調整の遅延がソ連参戦を招いたのではないか。
対枢軸国接近はソ連を遠ざけた。
その結果、避けられたはずのソ連の対日参戦が現実のものとなった。・・・」(53~54)
⇒詳しく説明する労を惜しみますが、青木も、従って、幣原も、正気の沙汰とは思えないですね。(太田)
(続く)