太田述正コラム#9991(2018.8.6)
<井上寿一『戦争調査会–幻の政府文書を読み解く』を読む(その14)>(2018.11.21公開)
「<第三部会>の観点からの戦争原因は何か。
第一に日本銀行引き受けによる公債(戦後国債)の発行の結果、「経済金融の実際に調合せずして発行が可能であるから戦争を楽に考えた」。
戦費調達に対する安易な気持ちが戦争を招いた。
その結果、戦時中から戦後にかけて、インフレーションが起きた。
⇒何ということない、インフレによって国債が殆ど無価値になり、事実上償還する必要がなくなった結果、担税力ある人々から税金を取って戦費に充てたのと同じ結果になった
http://news.kyokasho.biz/archives/16019
わけで、日露戦争の時のように外資を借りる必要がないほど日本の経済力があったということであり、さほど無茶苦茶な戦費調達をやったわけじゃない、という見方だってできそうです。(太田)
第二は軍部の責任である。
「軍備の機密に藉口して軍事予算に対する査定並に審議権を無視した」。
⇒通常の査定が可能な軍事力整備・維持費とそれが困難な戦費とを一緒くたにして論じている暴論です。いずれにせよ、戦中と雖も、軍事費に関する、大蔵省の査定権と議会の承認権が本質的に損なわれることはありませんでした。(コラム#7768参照。)(太田)
その結果、安易な軍備拡張と戦争準備が可能になった。
第三は「経済上より見たる日本の膨張政策」である。
日本は人口過剰と資源不足を補う目的で戦争を始めた。
第四は資本主義の本来の「性格」である。
加えて「一部事業家の膨張政策が戦争原因になった。
⇒第三と第四は、いかにもマルクス経済学者達が口にしそうな陳腐なドグマの開陳に過ぎません。(太田)
第五は経済新体制運動が戦争につながった。
戦前昭和の政党政治への不信から、現状を打破し、国家主導で「全体主義、超国家主義」的改革を志向する官僚(新官僚)が経済新体制を作ろうとした。
その結果が戦争だった。
⇒この体制がそのまま戦後に維持され、「戦争」抜きで経済高度成長が続いたのですから、ナンセンスです。(太田)
ほかにも敗戦原因として以下の六項目が挙がっている。
官僚統制の煩瑣が生産増強を阻害したこと。
⇒そう主張する実証的根拠がきちんとあったかどうか疑問です。(太田)
生産技術の不十分な発達。
⇒日本の全般的な科学技術水準が米英やドイツに比して、まだまだ遜色があったのですから、当たり前です。(太田)
戦時即応の企業体制の整備不足。
⇒経済新体制運動(上出)が不十分だったということでしょうか。
論理が一貫していません。(太田)
生産と経営に対する軍部の干渉。
⇒軍需省の設置等のことを言っているのでしょうが、戦争中なんですから当たり前でしょう。
やや性格を異にしますが、英国にも軍需省(Ministry of Supply)がありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E9%9C%80%E7%9C%81_(%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9) (太田)
空襲に対する計画的防衛を怠ったこと。
⇒この点は必ずしも間違っていません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E9%98%B2%E7%A9%BA (太田)
経済統計と経済調査の不備。
⇒当時の日本の全般的な科学技術水準の遜色(上出)は社会科学分野においても同様であり、収集した諸データの処理・分析能力が十分なかったであろうところ、これも、無いものねだりと言うべきでしょう。(太田)
不完全かつこれらを無視した「非科学的観察」。・・・」(71~72)
⇒井上が要約し過ぎているのでしょうが、何を言っているのか不明です。(太田)
(続く)