太田述正コラム#10210(2018.11.24)
<皆さんとディスカッション(続x3901)>

<太田>(ツイッターより)

 「…社外取締役3人<の>委員会(…長:豊田正和氏)が…現取締役の中から…会長…を提案する…」
https://news.infoseek.co.jp/article/23reutersJAPAN_KCN1NS08F/
 「…井原慶子…レースクイーン…レーサー…から…5か月<…前に>日産…社外…取締役に…」
https://news.infoseek.co.jp/article/20181123jcast20182344449/
 井原さんと経産省出身の旧知の豊田君は西川社長の切り札か。

<FM>

 太田様、毎々ご指導に与り有難く厚くお礼申し上げます。
 日産自動車の件ですが
(1)仕事の関係で金銭に潔癖でないと指弾された者が社会的に抹殺されるのは時空を超えた経験則ではないでしょうか。
(2)保有株数の多寡といった静態的な条件は、事業内容という動態的条件の前では・・・理論的にはともかく実際的には・・・霞んでしまうのではないでしょうか。
(3)日産の社外取締役として経済産業省出身の方が加わっておられること。しかも08年から10年まで内閣官房参与の経歴がお有りで、取締役選任(就任)は18年の6月であること。
 以上3点からの合理的推論の赴く処は、 既に将棋でいう「詰み」というか、一切合切、着地点は見えているということではないでしょうか。
 この期に及んで フランス乃至ルノー周辺で「陰謀論」がでているのは寧ろ、詰んでいること、彼らに他の言葉がないことの証左でしょうし、そこまで彼らの知的な体力が落ちていることの表れではないでしょうか。
 さらに、メディアであれこれ論じている「専門家」もいい気なものです。着地点を見切っていなければ、カルロス・ゴーンほどの人を逮捕などする訳ないと何故考えないのか、私の理解を越えたことです。
 今後ともご指導のほど宜しくお願い申し上げます。
 向寒の砌一層のご自愛を。

<太田>

 豊田君の社外取締役就任は今年の6月だったのですね。
 安倍内閣が経産省黒幕内閣であることを知っていたら、ルノーと日産の統合を至上命題としていたらしいゴーンは、(井原さんの方はともかく、)豊田君の選任は拒否すべきだったのに、そうしなかったところを見ると、彼は、もはや、無能な裸の王様化していた、ということでしょう。

<太田>(ツイッターより)

 「2025年万博、大阪開催決定 決選投票でロシア下す…」
http://news.livedoor.com/article/detail/15640289/
 慶祝!
 1970年の大阪万博
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%87%E5%9B%BD%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A
に行った時のことを思い出すが、市長じゃなく府知事が推進していること、勝った相手がエカテリンブルクじゃなくロシアであること等、都市の開催である五倫とは違うんだね。

<太田>

 その他の記事の紹介は、明日に回します。
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      明治維新150年を文明論的観点から考える(八幡市講座レク原稿)

[スライド1]<スライドは省略(以下、同じ。太田)

 太田述正です。
 本日お集りの皆さんの中には、3年前に、私の話をお聴きになった方もおられると思います。
 その後、自分で言うのもなんですが、私の、中国認識や、とりわけ日本認識、等が更に深まっており、今年は明治維新150年にあたるところ、5回お話しした3年前に比べて、今回は明治維新論を軸にしてよりコンパクトに、3回でもって、私の世界観をご披露したいと思っています。
 前回と違ってお配りした資料が箇条書きスタイルからお話スタイルに変わっているほか、いちいち調べるのが大変なこともあり、私の過去コラムを典拠として挙げていません。
 但し、まだ公開していないコラムが典拠であったり、まだコラムに書いていない内容については、例外的に、直接の典拠を挙げています。
 各回、終了前に若干の時間を設け、質疑にあてたいと思っています。
 
[スライド2]

 「日本文明は古今東西の諸文明中最も普遍的で高度な人間主義の文明である」、というのが私の現在の世界観の核心です。
 どうしてそんな大それたことが言えるのか、とお思いでしょう。
 和辻哲郎の本、『人間の学としての倫理学』に由来する私の造語なのですが、それが、人間主義・・ですから「にんげんしゅぎ」ではなく、「じんかんしゅぎ」と読みます・・の文明だからです。
 「人間主義とは、人は他の人々(等)との関係性において初めて人たりうるのであって、常に他の(過去から未来に至るありとあらゆる)人々(を含む生きとし生けるもの)の気持ちを汲んで言動を律するのが人としての本来のありかたである、という考え方」です。
 日本が、人間主義の文明を維持してくることができたのは奇跡に近いということも含め、【第2回】の時に詳しくご説明しますが、【第1回】、及び、【第2回】の中国、朝鮮半島の話は、こういったことを御理解いただくことにも役立つだろう、と私は考えています。
 「その文明は天皇制を基軸として文武両面が互いに支え合うことで奇跡的に維持されてきた」については、取敢えずはそういうものだ、と受け止めておいてください。
 皆さんの大部分は八幡市民でいらっしゃるのでしょうが、この市の名前の由来であるところの、石清水八幡宮の存在そのものが、日本文明が維持されてきた秘密が奈辺にあったかを示唆している、ということも、頭の片隅に入れておいてください。
 「日本はかつて中国から中国文化とインド文化とを継受して、「文」を強化した」、そして、「150年前からは、日本の安全の確保と非欧米世界の解放を目的として欧米からアングロサクソン文化を主、欧州文化を従として継受して、「武」を強化した」、についての説明は今はしませんが、日本は、この二つの時代に限らず、常に、取り入れられる最良のものを日本の外から輸入する、・・私は「継受」という言葉を使っているので、継受する、と言い直しますが・・継受することによって、日本文明をより強靭で豊かなものにしてきたのです。
 (なお、単に「継受」と言った場合は、「部分継受」を指しており、「総体継受」ではないことをお断りしておきます。)
 「150年前から・・・」の方の「その目的は、欧米勢力の日本侵略を抑止するとともに、欧米勢力が既に侵略したアジア等の地域を解放して、よりよい世界を実現することだった。そして、先の大戦に日本は「勝利」することでこの目的を達成した」「この戦略を生み出したのは島津斉彬であり、完結させたのは杉山元だった」「日本が中国共産党に権力を掌握させた中国では、爾来、日本文明の総体の継受に逐次務めるとともに、最近では、米国の属国に自発的になったままの日本に覚醒を促しつつ、日本によって解放された非欧米世界の復興の旗手を務めようとしている」については、それぞれ読んで字の如しです。
 皆さんの多くにとって、杉山元(げん)、という人はあまり馴染みがないかもしれませんが、島津斉彬の方は、前から結構有名ですし、今年のNHK大河ドラマの『西郷どん』でも、最初の頃、渡辺謙が演じて大活躍してましたよね。
 このスライド2に書いてあることの意味は分かるけどにわかには信じられない、とりわけ、「先の大戦に日本は「勝利」」しただなんて、気でも触れたか、ですって?
 それはそうでしょうね。
 今のところは、それで結構です。
 さて、3回に分けて行われる今年度の私のお話は次のような構成です。

【第1回】 平成30年11月24日(土) 「北東アジアを取り巻く世界」
 日本文明と関係の薄い有力な現在の諸文明のそれぞれの特徴を説明する。
【第2回】 平成31年1月26日(土) 「北東アジア(中国・朝鮮・日本)」
 日本文明とは何か、そして、朝鮮は日本文明を捨て、中国は日本文明を継受中、ということを説明する。
【第3回】 平成31年3月23日(土) 「明治維新の世界史的意味」
 島津斉彬が立ちあげ杉山元が完結した未曾有の戦略、を説明し、最後に日本と世界の今後を展望する。

 第1回から第3回まで、できれば通して私の話を聴いていただき、その上で、ひょっとして私の言っている様々なことは正しいのかもしれない、と思っていただければうれしいですね。

[スライド3]

 最初に、アングロサクソン文明についてです。
 私は、長い間、どちらも、近現代に適合的な高度な文明であるところの、アングロサクソン文明と日本文明の、どちらの方がより普遍的で高度な文明であるかを決めあぐねていたのですが、それは、アングロサクソン文明の歴史・・要はイギリス(イングランド)史ですが・・の初期に出現した、この文明の精華とも言うべき二人の偉人に、かねてより、強い敬意を抱いていたからです。
 イギリスを統一したアルフレッド大王は、仁政を心掛けた君主であったわけですが、そういう君主がいたのは、古今東西、様々な文明があったけれど、日本文明以外では、アングロサクソン文明だけです。
 もっとも、この点では、日本文明とアングロサクソン文明の間で、一見、優劣は付けられませんよね。
 しかし、グロステストの方はそうはいきません。
 イギリス人のグロステストは、経験論の考え方を最初に書き物にした人物ですが、古典ギリシャ文明にも経験論(帰納論)の萌芽は見られたものの、その本領は合理論(演繹論)にあったのに対し、アングロサクソン文明は人類史上初めて経験論を基軸に据えた文明なのであり、この文明なかりせば、近代科学は生まれなかったと言っても過言ではないでしょう。
 これは、合理論的発想はあっても合理論科学は生み出せなかったことはもとより、経験論的発想はあってもそれを理論化できず、従って経験論科学もまた当然生み出せなかったところの、日本文明が逆立ちしてもかなわない点です。
 今でも、世界の大学のランキングで、オックスフォード大学とケンブリッジ大学が世界1、2位の座を維持している
https://japanuniversityrankings.jp/topics/00073/
のは、その名残だと言っていいと思います。
 でも、私は、今では、日本文明の方がアングロサクソン文明よりも更に普遍的で高度である、と思うようになりました。
 一つには、アングロサクソン文明における仁政は、同じ文明内の地域だけが対象であるのに対し、日本文明における仁政は、文明外地域も対象にしているからです。
 人間主義的文明と人間主義文明の違いと申しますか・・。
 これは、何百万人単位の餓死者を出し続けたところの、イギリスの(欧州文明に属す)アイルランドや(インド文明とイスラム文明に属す)インド亜大陸の植民地統治と、一人の餓死者も出さなかったところの、日本の(中国文明に属す)台湾や(朝鮮亜文明に属す)朝鮮半島の植民地統治、の違いに端的に現れています。
 もう一つには、 「日本は21世紀以降、自然科学部門で米国に続いて世界第2位の・・・ノーベル賞・・・受賞者数を誇」っており、英国(3位)を上回っている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%88%A5%E3%81%AE%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E8%B3%9E%E5%8F%97%E8%B3%9E%E8%80%85
ことが示すように、日本文明は、アングロサクソン文明からの経験論文化の継受に完全に成功しており、この文化を生み出したアングロサクソン文明への敬意は決して忘れてはならないけれど、もはやこの点で、アングロサクソン文明に劣等感を抱く必要はないからです。
 なお、グロステストが、キリスト教の教義について、これまた経験論的に、原典主義を採るよう主張したことは、法王の権威、ひいてはカトリシズムの権威を否定したに等しいわけであり、キリスト教における最初の宗教改革である、アングロサクソンのジョン・ウィクリフ(1320?~1384年)による主張の萌芽をここに見出すことができますし、論理的には、原典主義は、原典の経験論的検証の可能性を示唆しており、これは、神や神による奇跡の否定等を通じて、究極的には、キリスト教の、いや、あらゆる教義宗教の否定につながりうる革命的主張であったと言うべきでしょう。
 ついでに申し上げれば、この主張の背景には、アングロサクソンの自然宗教志向性、ということもあったところ、この自然宗教志向性に関しても、アングロサクソン文明と日本文明には相通ずるものがあるのです。

[スライド4]

 欧州文明による世界への画期的貢献は欧州音楽のみと言っても過言ではありません。
 (但し、これだけで、欧州文明は鼻高々であり続ける権利があります。欧州音楽が世界を覆いつくし、世界中の人々を日々楽しませ、鼓舞し、慰めているのですからね。)
 すなわち、メロディ(旋律)とリズム(律動)の2要素は古今東西全ての音楽に共通していますが、欧州において、16世紀にハーモニー(和声)を要素に加えたこと、そしてまた、楽音に係る、平均律、就中12平均律の理論こそ中国やインド亜大陸にもありましたが、欧州において、実際に12平均律を用いた楽曲を、同じく16世紀に作り始めたこと、は画期的なことなのです。
 欧州文明が、その黎明期・・プロト欧州文明から欧州文明への移行期・・に、かかる音楽を生み出したのは、同文明が、ローマ文明の継承を通じて古典ギリシャ文明の合理論を継承していたこと、及び、ローマ文明から継承したキリスト教が礼拝(奉神礼・典礼)において聖歌を含め、音楽を重要視していたことからプロト欧州文明時代にキリスト教音楽が大いに発展してきていたこと、を背景に、音楽に対して合理論(演繹)科学的な取り組みがなされたからである、と考えられます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E5%A3%B0
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%BE%8B
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E9%9F%B3%E6%A5%BD

 この欧州文明によるところの、同じく世界への画期的貢献である、と誤解されているものに、例えば憲法(硬性憲法)があります。
 でも、特定の国家にとって基本的な法規群を列記したものについて、普通の法律よりも改正要件を加重する、という発想は、有権者達、ないし、国民代表たる国会議員達、に対する不信感から彼らの手を、それ以外の誰か・・誰だ?・・が縛ろうというものであり、そのような国は不幸な国であると思いませんか?
 そんな国は、いくら憲法を制定したとて、不幸な国であることは変らないでしょう。
 ですから、憲法などというものが世界への画期的貢献であるわけがないのです。
 えっ、アングロサクソン文明には憲法がなかったのか、と今更ながら驚かれる方がひょっとしていらっしゃるかもしれませんが、そうなんです。
 ですから、アングロサクソン文明国中、英国はもとより、ニュージーランド等にも憲法はありませんし、連邦国家であるカナダとオーストラリアには(鍵括弧付きの)「憲法」・・意味はすぐ後で・・しかありません。
 アングロサクソン文明国ではありませんが、イスラエルにも憲法はありません。
 日本は幸せな国である、なんとなれば、日本は実は憲法は継受していないのであって、その証拠に、明治憲法も現行憲法もどちらも一度も改正されたことがないではないか、それは憲法に規範性がないからだ、ということも頭の片隅に入れておいてください。
 (ちなみに、米国の(鍵括弧付きの)「憲法」・・後に人権規定を加えたことによって現在の(鍵括弧が取れた)憲法になった・・は、(私の考えでは)独立時の各州が締結したところの多州間条約的なものであって、1788年6月21日に発効した
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95
ところ、フランス憲法・・現在の憲法ではありません・・の制定・発効の1791年9月3日
https://ja.wikipedia.org/wiki/1791%E5%B9%B4%E6%86%B2%E6%B3%95
より形の上では早いのですが、米国「憲法」が、統治機構に関する規定に加えて、現在の世界の諸憲法において不可欠とみなされているところの、人権規定を備えたところの憲法
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B2%E6%B3%95
になったのは、1791年12月15日であり、
https://billofrightsinstitute.org/founding-documents/bill-of-rights/
フランス憲法より後です。
 また、そもそも、仏米両憲法に盛り込まれた、三権分立や人権といったものは、欧州の啓蒙主義に基づくものです。)

 プロト欧州文明のローマ法継受と大陸法の形成、アングロサクソン文明の判例法との違い、日本が大陸法を継受するしかなかった理由、等、も重要なのですが、端折ります。

[スライド5]

 次のスライド「欧米の近現代史を貫く最大のテーマ」をご覧ください。
 欧米世界は単一の文明なのではなく、水と油の関係にあるアングロサクソン文明と欧州文明、及び、この両文明が合体したいわばキメラである米国文明、の三つが、その世界に併存している、ということを理解しないと、つい最近までの世界の近現代史をまともな形で理解することはできません。
 で、基本となるアングロサクソン文明と欧州文明についてですが、このどちらの文明も、支配者層はゲルマン人であるというのに、両者が文明を異にするに至ったのは、基本的にはローマ文明の影響を受けた度合いの大きな違いによる、とお考えください。
 ゲルマン人である、アングル族、サクソン族らが大ブリテン島侵攻を開始した頃は、全般的国力の低下を痛感したローマ帝国が同島から既に完全に撤退した後であり、原住民のブリトン人にはローマ文明を継承する能力がなく、ローマ文明的なものは払拭されてしまっていたため、アングロサクソンは、欧州の人々とは違って、ローマ文明の影響を殆ど受けなかったのです。
 スライド左下の両文明対比表をご覧ください。
 一番上の行に注目してください。
 ローマ人のタキトゥス(55?~120?年)の『ゲルマニア』を読むと、ゲルマン人は戦争を生業(せいぎょう=なりわい)にしていて、戦争の際の指揮官を戦士たりうる成人男子達による選挙で選んでいたことが分かります。
 ローマ文明の影響を殆ど受けなかったことから、このゲルマン文化をほぼそのまま受け継いでいるのがアングロサクソン文明なのです。
 ですから、アングロサクソンは、本来的には戦争を生業にし、戦争に行っていない間は戦利品の山に囲まれて豊かにして怠惰な生活を満喫する、という、変わった人々であり続けたわけです。
 ここで大事なことは、それが生業なんですから、彼らは、経済合理性に徹した、戦争のプロ中のプロチックな、相手方の人命損失の最小化を含め、費用便益的に優れた戦い方をすることを心掛ける、という点です。
 アングロサクソン文明のイギリスが人類史上初の全球的覇権国となり、この、できそこないのアングロサクソン文明である米国文明の米国が二番目の全球的覇権国となって現在に至っているのは、話を思い切って単純化すれば、アングロサクソンも米国も、戦争のプロ集団であって腕っぷしが頗る強かったおかげなのです。
 こんな恐るべきアングロサクソン文明の脅威に世界でいの一番に晒されたのが(私の命名である)プロト欧州文明です。
 これが、アングロサクソン文明、対、欧州文明、のザ・グレートゲームの起源なのです。
 すなわち、プロト欧州文明の識者達と権力者達は、アングロサクソン文明の中から、アングロサクソンの卓越した戦争遂行能力に関わると彼らが見なした、ありとあらゆるものの継受にこれ努めるようになり、その結果として、プロト欧州文明は、徐々に欧州文明へと変貌を遂げていくことになります。
 (彼らは、この営みを美化して「啓蒙主義」と称したのですが、これが、その後、世界中で見られることになる、いわゆる「近代化」、の原型になったのです。
 何ということはない、「近代化」の実態は、軍事を念頭に置いた、つまみ食い的「アングロサクソン化」だったというわけです。)
 しかし、狭義の軍事の面だけとっても、何でもかんでもアングロサクソンと同じものを目指す、というわけにもいきませんでした、
 デーン(デンマーク)人やノルマン人といったヴァイキング勢力も取り込んで強力な海軍力を擁するアングロサクソンに海軍力で対抗するのは困難なので、上陸侵攻してくるアングロサクソンに陸上で対抗すべく、欧州は常備兵等による陸軍力の強化を図ることとなり、これは、欧州における、諸国やドイツの諸領邦の分立とそれら相互の戦争が続いたことによって助長され、この金食い虫的な大きな陸軍力の維持・整備の必要性から、アングロサクソンとは違って、欧州の諸政府は肥大化していきます。
 付言しますが、逆に、アングロサクソン側は、アングロサクソン文明をつまみ食い的に継受した、人口と面積において勝る欧州が統一されて、量の力で自分達への脅威になるという事態を回避するため、欧州諸国や諸領邦が互いに角突き合わせる状況のままにしておくために、欧州に対して謀略と間歇的戦争を仕掛け続け、それに常に成功して現在に至っています。
 欧州統一を目指すEUに、戦後、落ちぶれて弱気になったアングロサクソンが加わったものの、欧州統一を助長するようなことをしてしまった自分達を反省し、また、自分達が欧州とは水と油の文明に属することを思い出し、「正気」を取り戻し、勇気を奮い起こした結果が、現在進行中の、アングロサクソンのEU離脱・・ブレグジット・・なのです。
 他方、欧州文明が、うっかり勘違いしてアングロサクソン文明から(鍵括弧付きの)「継受」をしたものもあります。
 基本的な事例を2つあげましょう。
 その一つが、政治システムです。
 スライド左下の両文明対比表の一番上に「議会主権」という言葉で出てきますが、アングロサクソン文明では、議会に君主任免権を含む主権が存するのであって国民中の有権者達は議員を選ぶことができるだけで、君主に主権がないのはもちろんのこと、有権者達にだって、ひいては国民にだって、主権があるわけではなく、議会に主権があるのです。
 しかも、議会が三権全てを握っています。
 議会が議員達の中から首相を選出し、その首相の罷免権だって議会にはあるんですから、議会が行政権を持っているということ・・議院内閣制というのはそういうもの・・ですし、それどころか、議会の上院(貴族院)が最高裁判所を兼ねていて、議会が司法権まで持っていたのですからね。
 (ちなみに、つい最近の2009年になって、ようやく最高裁判所ができて上院から最高裁機能が分離しました。
 なお、その時に、英本国ならぬ英連邦諸国や海外領土にとっての最高裁判所を兼ねていた枢密院(Privy Council)からも、その最高裁機能が分離し、新しくできた最高裁判所に吸収されています。
 蛇足ながら、こんな、統治機構の大改編だって、もちろん普通の法律で行われたところです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E7%8E%8B%E5%9B%BD%E6%9C%80%E9%AB%98%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80 )
 ところが、欧州(フランス)の識者モンテスキュー(1789~1855年)は、英国政府が三権からなっていて、その三権が独立している、と誤解して紹介したことから、三権分立という観念が独り歩きし始め、それが、手続き的正義法制抜きという形で、これまた勘違い継受をしてしまったところの、人権思想等とともに啓蒙主義の肝の一つとされるに至り、ついには、フランス憲法や米国憲法の基本骨格になってしまった、というわけなのです。
 欧州文明が勘違いしてアングロサクソン文明から「継受」してしまったもう一つの基本的なものが、経済システムに係る自由放任主義思想です。
 (経済システムそれ自体ではないことに注意。
 自由放任主義思想に基づく経済システムが形成されたのは米国においてです。)
 欧州の識者達は、アングロサクソンの諸市場が政府等による外からの干渉を余り受けていないからこそ、欧州の諸市場に比べて、より効率的、効果的に機能しているのである、と単純に受け止めがちであり、アングロサクソン以上にアングロサクソン的なスコットランド人であったアダム・スミス(1723~90年)の、利己主義に立脚した『国富論』が描くアングロサクソンの市場が『道徳感情論』が描くアングロサクソンにおける人間主義的なものと相互補完的な関係にあることに目を向けないまま、フランスの識者ジャン=バティスト・セイ(1767~1832年)は、経済における自由放任主義(laissez-faire)思想を唱え、この考え方が、その後の欧州の経済学の主流を形成するのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%90%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%A4
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%82%B9 
 で、話を戻しますが、このグレートゲームは、両文明が、地理的意味での欧州にとどまっていることを不可能にし、両文明は、互いに競い合いながら、世界のそれ以外の地域に進出していくことになります。
 いわゆる、帝国主義の時代は、こうして到来したのです。
 スライド左下の両文明対比表の残りの部分を大急ぎで説明しておきましょう。
 欧州文明の「搾取」というのは、アングロサクソン文明では、侵攻したゲルマン人が原住民達とともに、本拠地から外に戦利品目当てで外征することを旨としたのに対し、欧州文明では、西欧に侵攻ないし「移民」したゲルマン人が、原住民達からみかじめ料をせしめたり原住民達を農奴化したりして搾取した、ことから始まり、市民(ブルジョア)革命ではこの貴族からブルジョアや農奴改め農民が「搾取」し返し、更にその後には、農民改め労働者がプロレタリア革命でブルジョアから露骨な「搾取」をしたり、プロレタリア革命を恐れたブルジョアから所得移転(社会保障)の形でこっそり「搾取」をしたりしたことです。
 欧州文明は、この「搾取」ごっこの後遺症に現在もなお悩まされています。
 「個人」に対するに「階級/全体」というのは、社会構造の最重要要素が、アングロサクソン文明は「個人」である、のに対して欧州文明は「階級」である、という趣旨です。
 アングロサクソンでは、個人がせめぎ合う歴史が一貫して続いて来ています。
 (このアングロサクソンにおいては、相互移動が頻繁に行われるところの、「階層」こそ存在するものの、固定的な階級はありませんでした。)
 他方、欧州では、自分達の階級こそ「全体」を代表すると僭称しつつ、先ほど申し上げたように、(ゲルマン人たる)貴族階級、(原住民中の都市住民たる)ブルジョワ階級、そして、(原住民中の農村住民たる)農奴、改め農民、更に改め(農村出身の)労働者の階級、が互いに角突き合わせてきた歴史を背負っているのです。
 ところで、アングロサクソン文明で「個人」が社会構造の最重要要素である・・これを「個人主義」と呼ぶことができます・・、というのは、考えてみれば極めて異常な話なのであって、それは、端的に言えば、個々人が、何のしがらみもなく、自由に財産を処分し結婚ができる、ということなのであり、こういったことは、現在でこそ、非アングロサクソン文明の諸「先進国」でも、この文化を継受した結果、当たり前になっているけれど、それでも、なお大部分の「先進国」では個人の遺言の自由が制限されていて、日本の場合は、遺族たる近親者は遺留分をほぼ無条件でもらう権利があるけれど、アングロサクソン文明では遺留分制度なんてものは、原理的にありえないのです。
 さて、ここが重要なのですが、この個人主義と資本主義とは、ほぼコインの裏表の関係にあると言っていいのです。
 つまり、資本主義もまた、アングロサクソン文明固有の文化だ、ということです。
 古今東西を問わず、個人主義文化などというものは、アングロサクソン文明の専売特許であるところ、これは、アングロサクソン文明以外の文明、すなわち、個人主義文化を持たない諸文明が資本主義を継受しても、それを機能させることは容易ではない、ということを意味します。
 我々の日本は、もちろん、基本的には資本主義社会ではありません。
 ちなみに、表の中で、「資本主義」に対置されている「社会主義」は、後の共産主義や社会民主主義のそれではなく、「自由、平等、友愛」の語を普及させた、フランス人のピエール・ルルー(1797~1871年)が、1832年に、「個人主義」の対置概念として造語したところの、本来の意味の「社会主義」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9
です。
 この関連で、覚えておいていただきたいことが二つあります。
 その一は、アングロサクソン文明の個人主義文化は、人間主義的文化によって補完されていることです。(前に述べた、スミスの『国富論』と『道徳感情論』のことを思い出してください。)
 そのニは、この個人主義文化(及び、人間主義的文化)は、組織においては上意下達の集団主義文化に切り替わることです。
 これは、アングロサクソン文明における組織の原型が軍隊組織だからです。
 つまり、アングロサクソン文明における個人主義文化(及び、人間主義的文化)は、平時、しかも集団外、においてだけの文化だ、ということです。 

 なお、このスライド中の、ロシア、中南米、イスラム・・イスラム世界全体ではなく、中東イスラム世界が念頭にあります・・との関係が括弧書内で解説されているところ、前2者は何となくお分かりいただけるでしょうが、イスラムの括弧書内は、更なる解説が必要かもしれません。
 かつて欧州と中東・北アフリカがローマ文明下で一体をなしていた、という記憶・・ローマ時代(古典ギリシャ時代も含む)の遺跡が、一帯の随所に残っている、という現実に裏付けられている記憶・・が、中東イスラム世界の人々に、欧州の動向に際立って強い関心を抱かせ続けている、ということです。 

[スライド6]

 スライド6をご覧ください。
 この左上に記されている、アングロサクソン(イギリス)とスコットランドのあぶれ者達が、後に独立することになる英領北米植民地の原型を形作るのですが、そのうちの敬虔なキリスト教徒たるプロテスタント達がキリスト教文明である欧州文明に強い共感を抱いていたこともあり、その後、欧州文明のプロテスタントを中心とする人々の移民が増えてくるとともに、独立の頃までに、英領北米植民地において、アングロサクソン文明と欧州文明のキメラ的な文明が成立するのです。
 それは、アングロサクソン文明が欧州文明のキリスト教性で染め上げられ、かつ、この欧州文明の、政治に係る啓蒙主義と経済に係る自由放任主義を継受した文明です。
 この米国文明の恥部とも言うべきものが、ありとあらゆる有色人種に対する差別、迫害です。
 これは、英領北米植民地において最初から北米のアメリカ原住民の迫害とアフリカ黒人の奴隷としての使用が行われていたところ、彼らに対する差別、迫害が、メキシコのアメリカ原住民系の人々、次いで、全中南米のアメリカ原住民系の人々、或いはまた、中国人や日本人等のアジア出身者、へと拡大して行ったものです。
 そして、イエスも、また、実質的なキリスト教の教祖であるパウロも、ユダヤ人男性であるところ、白人至上主義を唱えた、欧州(フランス)の識者、アルテュール・ド・ゴビノー(1816~82年)が、ユダヤ人を白人の中に入れた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%93%E3%83%8E%E3%83%BC
ことが、タテマエは政教分離でホンネはキリスト教国家、という変則的な形で建国されたところの、米国において、人々に、この有色人種差別・迫害の(鍵括弧付きの)「正当化理論」を提供したのです。
 なお、米国の独立は、英本国の北米駐留軍の経費の一部を負担することを拒否するとの名目で、アパラチア山脈以西のアメリカ原住民地へ侵入して土地を強奪することを禁じる英本国の方針を覆すこと、及び、英本国が禁止を図りつつあったところの奴隷制を維持すること、を真の目的として行われたものです。
 その後の途中経過は端折りますが、その米国は、現在、「この恥部から目を背けたままの原理主義的キリスト教徒勢力」、及び、「マイノリティー」と「この恥部を正視し反省している姿勢を見せている(キリスト教の基本的論理には依然羈束されているものの表見的には無神論的な)リベラルキリスト教徒」の連合勢力、へと内部分裂状態にあります。
 言うまでもなく、トランプは、前者を支持基盤にしているわけです。
 スライド6に関して、後二点だけ。
 一つは、米国の統治機構は機能不全を内包している、とありますが、これは、米国が実はアングロサクソン同様反民主主義であることが背景にあります。
 アングロサクソンでは、国会議員(下院議員)の選挙に係る普通選挙の導入が何と1948年
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%80%9A%E9%81%B8%E6%8C%99
という点にその反民主主義性が端的に現れていますが、米国の場合は、建国後、初期においては、大統領選は間接選挙制を採用し、上下両院の議員の選挙権を、金持ちだけに与え(、しかもそのうちの黒人所有者達を下院選等において優遇す)る一方で女性や黒人には与えず、その上、以下は現在でもそうですが、連邦制を採用することで中央政府の力を弱くし、三権分立制を採用することで三権を相互に牽制させ、上院の議員構成は人口の少ない州を優遇し、上下両院に異なった権限を与えることで相互に牽制をさせることで事実上の四権制を採用する、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95
ことによって、その時々の民意のストレートな反映を回避しまくる、という念の入れようです。
 こんな統治機構を持った米国は、孤立主義が許された時代や、孤立主義を捨てた後の隔絶した国力を背景に全球的覇権国たりえた時代ならいざ知らず、その国力の相対的な衰えが顕著になってきた昨今においては、米国のアキレス腱になりつつあります。
 とまれ、こんな米国について、『アメリカにおける民主主義』(1835~40年)を書いてその民主主義性を賛美してのけた、フランス人識者のトクヴィル(1805~1859年)
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9-27506
や、この本がお気に入りの米国識者達には呆れるほかありません。
 ここで、機微に触れるお話を付け加えておきますが、データの得られる諸国の双極性障害の生涯有病率の中央値は1.5%なのに、米国の生涯有病率は3.9%(2005年)で、異常に高いと言わざるをえません。
 ちなみに、日本は、わずか0.6%(2002~2006年)に過ぎません。
https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1110060631.pdf
 キリスト教は実践することが極めて困難であるところの利他主義の教義を掲げていることから、大部分が利己主義者であるところのキリスト教徒達の内心に強い葛藤を引き起こすところ、私は、この米国の高い双極性障害有病率は、同国民のキリスト教敬虔度の高さに由来する、と見ているわけです。 

[スライド7]

 このスライドは、米国が、有色人種に対して、アジアにおいて、20世紀だけをとっても、どれほどの蛮行を行ったか、を表にしたものです。
 米比戦争は19世紀末から20世紀初頭にかけての戦争だったので外出しにしましたが、これを含めれば、米国は、20世紀に、1400万人ものアジア人を殺害したことになります。
 もとより、この中には、米国人自身の死者数は入れていません。
 死者数が少ないので、入れても、余り変わりませんが・・。
 日本だって、20世紀に、2000万人近くの(日本人自身を含む)アジア人を死に至らしめた、という、やや過大と思われる推計もある(吉田裕『日本軍兵士』24頁)わけですが、米国がもたらした惨禍は、露骨な侵略戦争であった米比戦争、実は敗北に終わったとみなしうる大東亜戦争、防止することができた朝鮮戦争、行う必要がなく、しかも文字通り敗北したベトナム戦争、と、米国にとって、無意味な諸戦争によるものであり、あえて厳しい言葉を使えば、有色人種を恣意的になぶり殺ししたに等しかったのに対し、日本は、その諸戦争を通じ、目指した欧米勢力のアジア侵略阻止と既に侵略されてしまっていたアジア解放に成功するという世界史的大偉業をほぼ達成した、という決定的な違いがあります。

[スライド8]

 ロシアは欧州の延長的な存在でしかないのに、どうして、欧州文明と区別される、ロシア文明などというものを、我々は考える必要があるのでしょうか。
 それは、ロシアの人々が、欧州文明のどの国の人々にも見られないことですが、強力な指導者の下で、安全保障のために、領土・勢力圏の拡大にひたすら勤しまなければならない、という強迫観念に憑りつかれていて、この強迫観念でもって、近現代のロシアのほとんどの内外政策を説明することができるからです。
 このよってきたるところは、モンゴル(タタール)の侵攻を受けてからの、2世紀半にも及ぶ、いわゆるタタールの軛の時代に遡ります。
 それは、ロシアの分裂状態の下、多くのロシア人達にとって、いつ何時、奴隷狩りの対象にされてイスラム圏に売り飛ばされてしまうかもしれないという恐怖に日々苛まれるとともに、この奴隷狩りに積極的に協力しながら、タタールによる課税の徴収を独自課税を上乗せをする形で請負っていた、ロシア内のタタールの第五列的勢力への憎悪に身もだえする、悪夢のような時代だったのです。
 ついに、タタール勢力が弱体化し、ロシアが再統一を果たすと、ロシアの人々にとって、タタールの軛的な時代の再来を防止することが至上命題となったというわけであり、同情の余地はあるものの、ロシア人以外の人々、とりわけ、その領土・勢力圏拡大の対象となる、ロシア周辺の国や地域の人々にからすれば迷惑千万な話であり、この脅威にどう対処するかが、とりわけロシアが強大化した近現代において、(事実上ロシアと接壌することとなった、日本、や、インド亜大陸を植民地化したアングロサクソン、等にとって)大きな課題になったのです。
 
[スライド9]

 インド文明はヒンドゥー教文明と言ってもいいわけですが、この文明の前史が、我々にとっては重要なのです。
 それは、インド亜大陸のインダス川流域にかつて栄えたインダス文明が、どうやら、農業時代以降の文明としては、唯一、日本文明以外の人間主義文明であった可能性が大だからです。
 この文明が自然に滅びた後、アーリア人のインド亜大陸侵攻があったわけですが、同大陸北東部に生まれた釈迦が、試行錯誤の末に、ヴィパサナー瞑想という人間主義者化方法論を(恐らくはインダス文明当時のものを復活する形で)確立します。
 これは、非人間主義化している人間を、本来の、人間主義的存在へと立ち戻らせる、画期的な方法論であり、釈迦の後継者達は、この方法論を核とする宗教である仏教を創り出す・・但し、いわゆる大乗仏教は、基本的に、人間主義的言動を重視するところの、しかし、ヴィパサナー瞑想抜きの仏教宗派です・・のですが、どんどん信徒を増やしていったこの宗教は、その後、インド亜大陸では衰退に向かい、現在では見る影もありません。
 どうしてそんなことになってしまったのでしょうか。
 インド亜大陸で、統治者が、アショーカ王やカニシカ王のような敬虔な仏教徒だったり、ミランダ王のような仏教シンパだったりしたところの、被治者に仏教徒が多かった諸国があっけなく滅亡してしまう、ということが繰り返しあったことから、仏教離れが起こったのです。
 これは、人間主義者達だけでは、国が維持できないことを示しています。
 このアポリアを巧まずして解決しているのが、(かつてのインダス文明と並ぶ?)人間主義文明である、我々の日本文明であり、そのおかげで、日本文明は、奇跡的に、滅びることなく、現在まで存続することができたのです。

[スライド10]

 イスラム教は、その外形性から、極めて単純明快な宗教であることもあって、今なお信徒が増え続けており、長く最大の信徒数を誇ってきた宗教であるキリスト教を信徒数で上回る日も近いと見られています。
 問題は、このイスラム教の創始者であるムハンマドが軍事を含む政治の指導者でもあったところ、敬虔なイスラム教徒は、イスラム世界のあるべき姿を、ムハンマド時代(622~632年)とそれに引き続いた正統カリフ時代(632~661年)に求める、という点です。
 サウディアラビアは、まさに、そのような国として建国されたのです。
 しかし、それでも、まだ、充分にムハンマド時代に回帰していないとして、このサウディアラビアにさえ反旗を翻したのが、アルカーイダであり、イスラム国(IS)なのです。