太田述正コラム#690(2005.4.13)
<風雲急を告げる北東アジア情勢(その3)> 
 (3)反日行動の背景
 まず挙げなければならないのは、中共の経済成長に伴うひずみです。
 実際、経済成長に伴い、役人の腐敗・環境問題・貧富の差の拡大など中共社会が抱えるひずみが増大してきており、これらのひずみに係る鬱憤を晴らすための民衆による街頭行動が頻発しています。民衆の街頭行動は、2004年には前年に比して15%増加して5万8000件に達し、参加人数も300万人に登った、と中共政府自身が認めています(http://www.guardian.co.uk/china/story/0,7369,1457448,00.html。4月13日アクセス)。
 このことが、今回の反日行動・・これも鬱憤晴らしになる・・において、最高で1万人にも達する参加人員を「確保」できた背景にあることは間違いないでしょう。
 もう一つ、江沢民政権以来の反日教育・・歴史教育における日本断罪・愛国主義教育基地の建設・メディアによる反日の刷り込み・・により、反日感情が青年層を中心に蔓延していることが盛んに指摘されています。
 しかし、反日感情は、日本の高度な商品やアニメ・ゲーム・文学等の文化の流入(コラム#557)、更には人的交流の活発化に伴い、急速に親日感情によってとって代わられつつあり(注3)、今回の反日行動と無縁とは言い切れないものの、それほど気にする必要はない、と私は思います。
 (以上、事実関係についてはhttp://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050412/mng_____tokuho__000.shtml(4月12日アクセス)及びコラム#557による。)

 (4)中共政府の意向
 今回の反日行動に中共政府はいかなる形で関わったのでしょうか。
 在ユーゴスラビア中国大使館誤爆事件(1999年5月)を引き金に起きたNATO加盟国の在中国公館への1999年の抗議行動との比較を通じて検証してみましょう。
 1999年当時の抗議行動の際には、北京の米英両国などの大使館が激しい投石や火炎瓶で施設が壊されたほか、地方の領事館では施設乱入や放火事件も起きましたが、中国の治安当局は、投石に関してはまったく制止しませんでした。外国公館への投石が制止されなかったという点では今回の反日行動も同じです。
 しかし、今回は火炎瓶の投げ込みや放火、あるいは施設乱入がなかった一方、デモ相手国たる日本のスーパーやレストランがデモや投石の対象になった、という点、及び誤爆事件のような明確な原因がないにのに起きたという点、で今回の反日行動は異なっています。
 中共では、いかなる街頭行動も原則許されていない以上、1999年の抗議行動も今回の反日行動も政府の意向が働いている、と言って良いでしょう。
 だからこそ、(反米教育が行われていたわけではなく、従って一般的な反米感情が高まっていたわけでもないのに)1999年には誤爆事件に抗議して多額の賠償金を獲得する、という中共政府の意向に基づき、今回よりはるかに過激な狼藉が、連日長期にわたって、しかし米国等の外国公館「だけ」に対して行われたのです。
 今回は、様々なスローガンをデモ隊に掲げさせることによって、これといった原因がないのに反日行動が起きたということで、日本国民に漠然とした対中恐怖心を植え付けることが中共政府の意向だったということになるのではないでしょうか。意向がそんなものであったがゆえに、狼藉は外国公館以外に対しても行われる一方、「抑制」のきいたものになった、というわけです。それに、1999年とは違って、街頭行動は学生等の負担にならない週末だけしか行われていません。
 (以上、事実関係は基本的にhttp://www.sankei.co.jp/news/morning/12pol003.htm(4月12日アクセス)による。)
 1999年には中共国内での報道が盛んに行われた(典拠失念)のに、今回は国内で報道管制が敷かれた、(外国プレスの取材規制まで敷かれた!(前述))というのも「抑制」政策の一環でしょう。しかも、今回は火をつけた有力インターネットサイトで、狼藉はもう止めよう、という呼びかけがなされる(http://www.sankei.co.jp/news/050411/kok130.htm。4月12日アクセス)、という念の入れ方です。

 (5)謎解き・・胡錦涛政権の台湾政策
  ア 始めに
 そろそろ、今回の反日行動と反国家分裂法採択とが関係しているゆえんの説明に入りましょう。

  イ これまでの予想
 私は以前(コラム#353で)、中共が賢明であれば、非平和的手段で台湾の「奪還」を図るのではなく、中共自身が自由・民主主義化への歩みを加速させることによって、既に自由・民主主義化している台湾を中共との合邦へと誘う、という方法を選ぶのではないかという趣旨の予想を申し上げたことがあります。
 その後私は(コラム#559、560で)、共産主義からファシズムに転換し、開発独裁体制をとってきた中共は、緊急避難的に反日ナショナリズムというイデオロギーを掲げてきたところ、このイデオロギーはそろそろ廃棄すべき時期に来ているものの、イデオロギー抜きの裸の開発独裁体制というわけにもいかないので、胡錦涛政権は、啓蒙専制イデオロギー、すなわち漸進的な自由・民主主義化を独裁権力が民衆から付託されているというイデオロギー、を採択するのではないか、と予想したこともあります。

  ウ 胡錦涛政権の新イデオロギーと台湾政策
 しかしこれらの予想ははずれ、結局胡錦涛政権は、啓蒙専制イデオロギーは採用せず、つまり、当面自由・民主主義化への歩みは凍結しつつ、反日ナショナリズムの代わりに(漢人)民族主義的イデオロギーを掲げ、台湾の非平和的手段による「奪還」を追求する方針を固めたようです。
 この結論が正しいとすると、私が、反国家分裂法の採択について、中共が、台湾の非平和的手段による「奪還」は諦め、事実上の「独立」を認めるからせめて中共政府の面子が丸つぶれになる形式的「独立」決行だけは止めてくれと台湾の朝野に訴えた、と受け止めた(コラム#585)のは、誤りでした。同法の採択は、中共がこれまで口頭で何度も表明してきた台湾の非平和的「奪還」方針を、法律に書き込むことによって公式化した、一種のエスカレーションだ、と受け止めるべきだったのです。
 私が上記結論に至った理由は五つあります。中共の、対日新政策・対台湾企業工作・少数民族政策・表現の自由規制強化・軍事戦略の軌跡、の五つです。