太田述正コラム#692(2005.4.15)
<風雲急を告げる北東アジア情勢(その5)>
オ 対台湾企業人工作
第二は、台湾の許文龍(Hsu Wen-lung)氏が、3月26日に、「台湾、中国は同じく一つの中国であり、・・「反国家分裂法」の採択によりよく安心した。」という文書を新聞に発表した(http://www.koryu.or.jp/Geppo.nsf/0/d47bcda9da85b4db49256fd5002daff6?OpenDocument。4月14日アクセス)ことです。
許文龍氏は、家電や自動車部品の原料であるABS(アクリロニトリル・ブタジエン・スチレン)樹脂の世界最大のメーカーを中核とする、石化、電子、冷凍食品、健康・医療器材等に及ぶ台湾の奇美(ChiMei)グループの創業者であり、昨年6月経営の第一線から退いた人物です。
同氏は、1896年から李登輝総統の国策顧問(資政)を務め、2000年の総統選挙では民進党の陳水扁候補を支援し、現在陳水扁総統の資政を務める親台湾「独立」派の人物でもあります。
(以上http://www.nikkei.co.jp/hensei/asia99/speaker/unron.html、http://www.nikkei.co.jp/china/taiwan/20040615c2m1501g15.html、及びhttp://www.iris.dti.ne.jp/~taitsu/9321.htm#ddd(いずれも4月14日アクセス)による。)
しかも、親「独立」派の人は、多かれ少なかれ親日家でもあるのであって、同氏も大の親日家です(注5)。
- (注5)許文龍氏は、日本が従軍慰安婦問題で批判された時、自ら慰安婦からの聞き取りを含む調査を行い、慰安婦問題は「日本軍による強制連行とは考え難い」という結論に達し、小林よしのり氏と会った際にこの話をしたところ、小林氏はこれを『台湾論』で取り上げた。2000年11月に日本で発売された『台湾論』の中文版が翌2001年2月に台湾で発売された後、その内容が慰安婦問題の補償を日本へ要求する台湾人グループの知るところとなり、『台湾論』論争が起こり、許文龍氏と小林よしのり氏は激しく非難された。やがてまず、台湾の内政部が、小林よしのり氏を入国禁止にした。(ただし、3週間後に解除。)次いで台湾の台北駐日経済文化代表處(事実上の大使館)が、『台湾論』問題に絡めて、元従軍慰安婦に対する「日本政府による正式謝罪及び補償金の給付」を要求する記者会見を行った。そして更に、台湾の外交部が、「『台湾論』が歴史を歪曲している」として、小林氏に抗議書簡を送った。にもかかわらず、『台湾論』は日本だけでなく、台湾でもベストセラーになった。(http://www.meiseisha.com/rensai/taidou16.htm。4月14日アクセス)
また許文龍氏は、八田與一の胸像を八田の郷里の金沢市に寄贈した人物でもある。
八田は、東大土木工学卒で24歳の時から戦前の台湾で農業近代化に向けたダム建設と水利事業に生涯を尽くした日本人技師であり、先の大戦中の1942年にフィリピンに向かう船が撃沈され、56歳で死去。八田の夫人は日本の敗戦の年、台湾を離れることを拒んでダムに身を投げ、46歳で夫の後を追った。昨年末日本を訪問した李登輝氏は、八田の生家を金沢市に訪ね「八田氏は台湾の恩人だ」と語っている。
この八田夫妻を主人公にしたTVドラマが台湾でつくられることになった。八田夫人は松田聖子が演じる予定。戦前の日本人が台湾でTVドラマ化されるのは初めて。しかも制作費の一部は台湾の行政院(内閣)新聞局や文化建設委員会が補助する。
(以上、http://www.sankei.co.jp/news/morning/13na1001.htm。4月14日アクセスによる。)
『台湾論』論争が4年前に行われてから、わずかの間に何と台湾は大きく変化したことか。
このような許文龍氏が、「転向」して中共支持表明をした、というので、台湾の朝野に衝撃を与えています。
以来、許文龍氏は沈黙していますが、氏のこの表明は中共の脅迫によるものである、と断定して良いでしょう(注6)。
- (注6)中共の『人民日報』海外版は昨年5月31日、「許文龍を代表とする緑色台湾企業を歓迎しない」と題する論評を1面に掲載した。
この論評は、中国国務院台湾事務弁公室経済局の関係者の話を引用する形で、大多数の台湾企業は祖国を愛し、経済活動に専念しており、中国としてはこうした企業の商業活動、投資を歓迎し、引き続き優遇を提供するが、一部の人が中国で金をもうけながら台湾独立を支持しているのは確かであり、中国は早くからこのような台湾企業は歓迎しないと表明してきたと指摘した。また、台湾独立を支持している台湾企業家として最初に思い浮かぶのは許文龍氏であり、その奇美グループは中国で大いに金もうけをしながら、同時に台湾企業界では公認の台湾独立派の長老だと批判した。
(当時、奇美企業グループは広東省と江蘇省鎮江に石化工場を持ち、更に上海と寧波に電子製品工場をつくろうとしていた。)
この論評はまた、許文龍氏が中国の巨大な市場と低廉なコストで利益を得ながら、「中国は台湾の経済植民地のようなものであり、中国に投資するのは台湾企業が生存するための道の1つにすぎない」などと語っていると指摘した。
そして、許文龍氏は台湾独立の政治勢力を支持し、台湾独立思想を宣伝するとともに、民進党に資金を提供しており、3月19日の総統銃撃事件で陳水扁総統が現場から離れた奇美医院に駆け込んだのは、この病院が許文龍氏のものだからだと指摘した。
(以上、http://www.iris.dti.ne.jp/~taitsu/9321.htm#ddd上掲による。)
中共当局は、中共内の奇美グループ関係先に対し、厳しい納税調査、財務調査等を行い、許文龍氏追いつめた(http://www.iris.dti.ne.jp/~taitsu/9321.htm#ddd上掲)、と想像されるのです。
これは、日中国交正常化前に中共政府が、日本の企業に対し、中共と取引したければ親中反台を誓約せよ、と政経不可分の踏み絵を踏ませ、これら日本の企業に、日本政府に対し、日中国交正常化(台湾との断交)の圧力をかけさせたことを思い起こさせます(http://www.taipeitimes.com/News/edit/archives/2005/04/11/2003250051。4月13日アクセス)。
許文龍氏がねらいうちされたのは、同氏が親台湾「独立」派としても親日家としても著名な企業人であったからでしょう。
4月4日に、親「独立」派の最右翼の政党、台湾団結連盟が決行した靖国神社参拝(コラム#687)は、このような文脈の中で理解すべきでしょう。
このように見てくると、中共の対日新政策の中で提案の一つとして出てきた、「歴史の残した問題を妥当に処理する」の「歴史の残した問題」(コラム#691)とは、台湾問題のことであり、今回の中共における反日行動は、台湾団結連盟の靖国神社参拝に象徴されているところの台湾の親日への傾斜と、これと相呼応した日本の台湾への関心の深まり、への警告である、と言えそうです。
(続く)