太田述正コラム#693(2005.4.16)
<風雲急を告げる北東アジア情勢(その6)> 
  カ 少数民族政策
 第三は、少数民族、特にウィグル族に対する弾圧の強化です。
 チベット地区及び新疆ウイグル地区に対しては、中共政府はかねてより、経済振興策と漢人の移住政策によって、チベット族やウィグル族の分離主義の芽を摘むよう努めてきました(注7)。

  • (注7)今では、チベット地区(チベット亡命政府の定義による。チベット自治区より広い)の総人口1350万人のうちチベット族は600万人(http://www.tibethouse.jp/situation/。4月15日アクセス)、新疆ウイグル地区の総人口1900万人のうちウィグル族は800万人でありhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4435135.stm(4月14日アクセス)、それぞれ少数派に転落している。

 この両少数民族は、もはや中共政府に対して組織的抵抗を行うことは不可能な状況です。
 チベット族に対する弾圧については、別の機会に譲ります(注8)。

  • (注8)今回の中共における反日行動と4月8日のダライラマ訪日との関係を取り沙汰する意見が読者の間から出ている。チベット族の1989年の大暴動を、チベット自治区党委員会書記として戒厳令を敷いて鎮圧し、党中央政治局員に抜てきされたのが今の胡錦濤国家主席だから、というわけだ。
    しかし、ダライラマ訪日は、乗り継ぎでの短い滞在を含めれば実に14回目であって、今回の訪日に際しても従前同様、日本政府は政治活動をしないことを条件に入国を許可しており、直接の関係はあるまい。しかも、先月ダライ・ラマは「私がチベット問題の責任者である限り、チベットの独立を求めない・・ことを約束する」、「中国がチベット文化を保証するなら、チベットが中国の一部であることを受け入れる」と中共政府に対し和解の表明を行ったばかりだ。
    (以上、事実関係はhttp://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050410/mng_____tokuho__000.shtml(4月15日アクセス)による。)

 イスラム教徒のウイグル族は、ラマ教徒のチベット族とは違って、亡命政府を設けているわけではなく、また、ダライラマのような有力な指導者もおらず、1959年や1989年に起こったようなような大規模な暴動を引き起こしたこともありません。
 それにもかかわらず中共政府は、2001年の9.11同時多発テロが勃発した時、亡命ウィグル族を中心としたアルカーイダ系テロリスト団体(East Turkistan Islamic Movement)が存在していることに藉口し、中共国内のウィグル族に対する弾圧の強化について、米国の事実上の同意の取り付けに成功します。
 このほど米国の二つの人権団体が、中共政府の内部文書等から明らかになった、最近のウイグル族弾圧の手法を公表し、批判しました。
 その手法とは、宗教指導者の調査・モスク内の監視・小説や詩の検閲等を通じ、どんなささいな不平不満も見過ごさず摘発して、モスクを閉鎖したり、ウイグル人を思想改造キャンプ送りにしたり、牢獄にぶちこんだり処刑したりする、というものです。
 これは反分離主義・反テロリズム・反宗教的過激主義の域を完全に超えています。中共政府は、ウイグル族の宗教と文化を破壊することによって、ウイグル族のアイデンティティーを奪い、漢人に同化させようとしているのです。
 (以上、http://www.nytimes.com/2005/04/12/international/asia/12china.html?pagewanted=print&position=(4月13日アクセス)、及びhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4435135.stm上掲による。)
 つまり中共政府は、漢人民族主義イデオロギー(コラム#690)を新疆ウイグル地区に押しつけることで、中共の既存領域の保全をより万全なものにしている、ということです。
 他方、台湾に対しては、漢人民族主義イデオロギーの下で合邦させることによって、中共の領域を拡大しようとしていることになります。
 更に、以前(コラム#141、142で)話題にした、中共政府による高句麗史の改竄は、高句麗史を中華世界の歴史(漢人史)の中に繰り入れることによって、漢人民族主義イデオロギーの下で、北朝鮮崩壊時に北朝鮮を併合することを目論んだものである、と理解すべきでしょう。