太田述正コラム#699(2005.4.21)
<風雲急を告げる北東アジア情勢(米英の見方)(その3)>
念のために記しておきます。
現在の日本に「戦前復古調」のナショナリズムの高まりはないかもしれないが、一般的な意味でのナショナリズムの高まりは見られるのではないか、という指摘がありえます。
しかし私は、日本は、先の大戦にかけての頃こそ、排外的・帝国主義的ナショナリズム(注7)に冒されていたかもしれないけれど、敗戦と同時に日本はこのようなナショナリズムは「卒業」したのであって、昨今の憲法改正論議の活発化や国連安保理常任理事国入りをめざす動きは、「成熟した民主主義」の当然の帰結であり(コラム#133)、ナショナリズムとは無縁だ、と考えています。(これを「成熟したナショナリズム」と以前(コラム#73で)呼んだことがあるが、混乱を招く不適切な表現だった。)
- (注7)このようなナショナリズムは、欧州文明の産物だというのが私の持論だ(コラム#61、100、127、148、254、256、258、485、400、405、410、433、457、497、503、504、621)。
(5)野蛮と野蛮の抗争
次は、中共での今回の一連の事件は、日本という野蛮と中共という野蛮との抗争が顕在化したものだ、という主旨の一見無責任極まるガーディアン論説C(http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,5673,1461893,00.html。4月18日アクセス)についてです。
しかし、この論説は、英国人(正確には、イギリス人=アングロサクソン)のホンネの世界観があからさまに語られている、という意味で画期的です。私は英国人が、その世界観をホンネで語ることは、世界中から袋だたきに遭う虞があるのでありえない、と思っていたので、びっくりしました。これも英国人の知性の衰えの表れだ、という気がしています。
この論説が言っていることは、私が累次にわたって、アングロサクソンのホンネの世界観として叙述してきたことと全く同じであり、私の叙述の的確さが裏付けられた思いです。
論説の内容の要旨は次のとおりです。
最近の、フランスとオランダにおけるEU新憲章への反対論の高まりと、中共と日本とのナショナリズムのぶつかりあいと、イスラム教テロリズムには、共通点がある。
これらはいずれも、経済や文化のグローバル化、すなわちアングロサクソンの価値観(values)と権益(interests)の普及、に抵抗すべく、非アングロサクソン的な部族的特殊性を前面に押し出して内部結束を図る動きなのだ。
米国や英国は、現在もまた、自由・民主主義、力強い経済、低失業率、等を享受している。
ところが、中共は共産党の一党独裁体制が経済成長に伴う社会的ひずみによって揺らいでいるものの、自由・民主主義化に踏み切れないでいる。また日本は、経済が15年間にもわたって停滞し、終身雇用制度等も崩れつつあるという閉塞状況の下にあるが経済体制のアングロサクソン化には躊躇している。
中共も日本も、それぞれより中共らしく、より日本らしくなろうとしており、その過程で日本は中共のスケープゴートにされ、日本はそれに反発した、というのが今起こっていることだ。
フランスは、10年以上経済が停滞しており、失業率は10%に達し、若年層の失業率はもっと高い。しかし、何とかしようと思っても、アングロサクソン的価値、すなわち自由主義・個人主義・資本主義に与するEUなる非フランス的機構がフランスに手枷足枷をはめているために、何もできない。EUも、その前身が発足した頃は、フランス主導権の下のフランス的機構だったというのに、(英国の加盟等を経て)いつの間にか、フランスは主導権を失い、EUは非フランス的機構へと変貌してしまった。
EUの新憲章は、EUを更に強化するものであり、このままではフランスの集団主義は息の根を止められてしまう。というわけで、新憲章反対の声が高まっているのだ。
仮にフランスの国民投票で新憲章が否決され、オランダ等でも同じことになれば、次は、EUからの自由主義英国の追放とイスラム教トルコの加盟拒否が現実性を帯びてくる。
中共・日本・フランス・オランダ等の諸国は無駄な抵抗を止めて、アングロサクソンの経済・社会モデルの全面的採用を図るべきだ。そうすれば、すべての問題は解消することだろう。
(続く)