太田述正コラム#712(2005.5.4)
<日中対話用メモ(その4)>
ウ ポストネーション「的」ステートとしての戦前の日本
随分前になりますが、(コラム#28で)英国の外交官ロバート・クーパーが、国家群を、(1)ポストネーションステート群、(2)帝国主義・ネーションステート群、(3)フェイルドステート群、の三つに分けた上で、ガバナンスが確立し、かつナショナリズムや帝国主義を卒業したところのポストネーションステートたるイギリスや日本は、(1)、(2)、(3)に属する国とは、それぞれ異なった関係を取り結ぶべきである、と主張していることをご紹介したことがあります。
クーパーは、(1)に属する国の出現は比較的最近のことであると考えているようですが、私は、早くも19世紀末頃から、日本と米国の二カ国は(1)のポストネーションステートとしての属性を帯び始めていた、と考えています。
なぜなら、日本と米国は、(2)に属する「純正」帝国主義諸国と同様、(3)に属する国や地域を植民地や保護国(以下「植民地等」と言う)にしたという点では帝国主義「的」な国であったものの、これら植民地等を単なるエゴ・・経済的収奪・・の対象とはしなかったからです。その端的な現れが、日本と米国が、(2)に属する国々とは違って、植民地等の初等中等教育に力を入れた点です。
初等中等教育に力を入れても、短期的には宗主国にとって財政負担になるだけで経済的利益は全くもたらしません。しかも教育のおかげで大衆の教育水準が向上することは、中期的には植民地等の買弁勢力に代わる新興勢力の勃興をもたらし、植民地等の支配システムをゆるがす虞がありますし、長期的には、植民地等において独立への希求を醸成する虞があります。しかし、それならそれでかまわない、と当時の日本と米国の為政者達は割り切っていたのではないでしょうか(注8)(注9)。
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(注8)欧州諸国の植民地等政策についてはコラム#149、英国の植民地等政策についてはコラム#286、米国と日本の植民地等政策の比較についてはコラム#197、201参照。
なお、日本と米国を比較すれば、日本の植民地等政策の方が一層「利他的」だった。つまり、日本の方がよりポストネーション「的」ステートとして進んでいたと言えよう。(上記コラム) -
(注9)この際、私が抱いているところの、先の大戦観を申し上げておきたい。
先の大戦のアジア戦域においては、
a いずれもポストネーション「的」ステートたる日米間の戦争、
b ポストネーション「的」ステートたる日本と帝国主義・ネーションステートたる英・蘭・(仏)との戦争、
c ポストネーション「的」ステートたる日本とフェイルドステートたる中華民国との支那のコントロール権をめぐる戦争、の三つが同時並行的かつ複合的に行われた、という見方ができよう。
また、その結果については、上記参戦国がその戦略目的を達成したかどうかで評価すれば、
aに関しては、日本は、ポストネーション「的」ステートたる大国として、それまで好むと好まざるとにかかわらず担ってきたところの、東アジアにおける重責を、米国に肩代わりさせることに「成功した」ことに着目すれば、勝利したとも言え、
bに関しては、日本が、英・蘭・(仏)という帝国主義・ネーションステート群を瓦解させたという意味で勝利したことは明白であり、
cに関しては、日本も中華民国もともに支那のコントロール権を失ったという意味で敗北した、と見ることも、あながち不可能ではなかろう。
先の大戦後、米国はフィリピンという植民地を独立させることによって、そして英国は大英帝国の瓦解を甘受したことによって、ここに世界史上初めて、「純正」ポストネーションステートが二カ国生誕します。
そして、帝国主義に対しては、克服されるべき悪、という烙印が押されてしまうのです。すなわち、フランスのように引き続き帝国主義国であり続けようとした国に対しては、米英や植民地等の側から、非難の声が浴びせられ、やがて帝国主義国と、帝国主義国が経営していたところの植民地等は、地上から姿を消します。
しかし、だからといってフェイルドステートがなくなったわけではありませんし、帝国主義諸国から解き放たれた地域から、フェイルドステートが簇生することによって、フェイルドステートの数は一挙に増大します。
これらフェイルドステートにおける平和と繁栄の確保(ガバナンスの確立と貧困の解消)については、戦後、世界銀行やIMFを始めとする様々多国間の国際開発機関が助言・指導を行ってきました。
しかし最近、米ロチェスター(Rochester)大学のエンガーマン(Stanley Engerman)経済学教授やワシントンのInstitute for International Economicsのエコノミストのハフバウアー(Gary Hufbauer)らによって新帝国主義(new imperialism)論が唱えられ始めました。
新帝国主義論とは、(クーパーの用語を用いれば、)国際開発機関だけでは隔靴掻痒の観があるので、ポストネーションステート中の米国のような大国は、フェイルドステートにおける平和と繁栄の確保のために、積極的に当該フェイルドステートに軍事介入をしてその体制変革を図るべきだとする主張です。
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(注10)かつての帝国主義諸国中、英国にだけは、(奇しくも1899年の米西戦争の結果米国がフィリピンを領有することとなった際、文豪キップリング(Rudyard Kipling。コラム#356)が’Take up the White Man’s burden.’というフレーズが繰り返し出てくる詩をつくったことに象徴されているように、)宗主国にとって植民地等を獲得することは、当該植民地等の平和と繁栄を確保するという重責(burden)を担うことである、というイデオロギーがあった。ただし、英国の植民地等経営は、経済合理性が貫徹していたため欧州諸国のように残虐なものでこそなかったが、(繁栄の確保どころか)経済的収奪を目的とした点においては欧州諸国の植民地等経営と違いはなかった。
ブッシュ政権の最近の対外政策の背後にこの新帝国主義論があることは容易に想像できるところです。
(以上、特に断っていない限り、http://www.csmonitor.com/2005/0428/p17s01-cogn.html(4月28日アクセス)による。)
それはさておき、私が言いたいことは、1919年の5.4運動(コラム#896)は、フェイルドステートであった中華民国(支那)の学生達が、ポストネーション「的」ステートであった日本を主たるターゲットにして始めた運動であった、ということです。
(続)