太田述正コラム#10069(2018.9.14)
<井上寿一『戦争調査会–幻の政府文書を読み解く』を読む(その49)>(2018.12.30公開)

「「合法派」にとって、首相に就任後の林は、期待外れだった。
 このことを示すエピソードがある。
 「合法派」のひとりで宇垣打倒、矢橋擁立を画策した片倉衷<(コラム#10042)>陸軍軍務局課員(満州事変の首謀者)の談話速記録の一節は言う。
 「林さんのほうはね、やっぱりこれまた、あれですね、早めにちゃんともうね、シルクハット、燕尾服を用意してるんだね。
 たまげたもんですね」。
 シルクハットと燕尾服は、自由主義陣営への接近によって政権を維持しようとする林の意思を象徴している。・・・

⇒片倉は、林に対して無理筋の難癖をつけており、井上もそれに乗っかっている感がありますが、いかがなものでしょうか。
 参謀総長や陸軍大臣等の軍の要職に就いた者は、退役後も、(首相を含む)閣僚や朝鮮総督や枢密顧問官等の公の諸要職に任ぜられることが通常であったところ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B7%8F%E7%9D%A3%E5%BA%9C
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%A2%E5%AF%86%E9%99%A2_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
、その場合、軍服を着用することが認められてはいましたが、文官の服を着用してももちろんさし使えない(注73)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%80%E5%BD%B9%E8%BB%8D%E4%BA%BA
のであり、林が、退役と同時に、その時に備え、燕尾服等を誂えたとしても、何らおかしいことではないからです。

 (注73)例えば、第四代朝鮮総督で陸相をやったことがある山梨半造は、総督として、背広(礼服?)の写真が使われているが、軍服を用いなかったのではないか、と思われる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B7%8F%E7%9D%A3%E5%BA%9C 前掲

 現に、林の前任の陸軍大臣をやった荒木貞夫だって、林が首相をやった後ですが、近衛内閣の時に文部大臣に任ぜられているところです。(太田)
 
 <実際、>林はどこまでいっても軍人出身の首相でしかなかった。
 「合法派」の期待に応えることができなかっただけでなく、政党政治家の真似をすることもできなかった。・・・」(177)

⇒ここも、井上は、甚だしく筆が滑っています。
 戦前、林より前に、首相を務めた「軍人出身」者達中、林同様、ほぼ軍人としてのキャリアしかなかった者に、桂太郎、山本権兵衛、寺内正毅、加藤友三郎、田中義一、岡田啓介、がいます
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7 (及び、それぞれのウィキペディア)
が、彼らに「軍人出身」であることに由来する、共通の問題点があったとでも井上は言うのでしょうか。
 また、田中義一は政友会総裁まで務めています
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%BE%A9%E4%B8%80
が、戦前の有力諸政党の田中以外の平均的党首達に比べて、田中は政党人として遜色があったとでも井上は言うのでしょうか。
 (ちなみに、田中は、首相当時外相を兼務しており、彼自ら、吉田茂を次官に登用した、という人物でもあります。(上掲))

(続く)