太田述正コラム#10105(2018.10.2)
<木村光彦『日本統治下の朝鮮』を読む(その1)>(2019.1.17公開)
1 始めに
「井上寿一『戦争調査会–幻の政府文書を読み解く』を読む」シリーズがまだ終わっていませんが、一つには、表記の本を買ってあったのを忘れていて危うくまた買うところだったのでもう一度忘れてしまう前にシリーズに仕立てようと思ったのと、もう一つは、八幡市セミナー用PP資料作成で文十郎さんにも原案作成をお願いしているところ、彼にお願いした分野中、朝鮮論がまだ完結していないことが気になっており、日本統治時代を扱ったシリーズを書く時期が来ていると思った、ことから、並行して、表記のシリーズを立ち上げることにしたものです。
(なお、前半を何回か前のオフ会「講演」で取り上げたところの、朝鮮亜文明論・・今、初めて用いた言葉・・の後半部分を次回のオフ会「講演」で(、明治以降の日本の教育研究制度論と併せ、)取り上げる予定ですが、そちらについても、概成した段階で、文十郎さんを含む八幡メーリングリストの皆さんにだけ特別に前倒し配布するつもりにしています。)
さて、表記の本の著者の木村光彦(1951年~)は、東京生まれ、北大(経)卒、阪大博士(経)、阪大助手、名大助教授、帝塚山大教授、神戸大教授、を経て、現在、青学大国際政治経済学部国際経済学科教授で東アジア経済論専攻、という人物です。
https://researchmap.jp/read0035172/ 及び奥付
2 『日本統治下の朝鮮』を読む
「・・・私は・・・歴史は好きではあったが、深く勉強する考えはなかった。・・・歴史家として訓練を受けたわけではないし、現在も自らを歴史家とは思っていない。・・・
留学先の・・・LSE・・・で指導を受けたH・ミント<(注1)>先生・・ビルマ出身で、低開発国研究の泰斗として世界で広く知られていた。・・から、歴史を勉強しなさいと言われたときは驚いた。
(注1)Myint Hla(1920~[2017年(バンコク)])。「ビルマの経済学者。・・・ビルマのラングーン大学創設に参加。ラングーン大学教授<、同学長>、ビルマ政府経済顧問を務める。ビルマの社会主義化と相いれず、1961年以降主として英国で活動。オックスフォード大学教授を経て、’66年から<LSE>教授。国際連合のコンサルタントとして活躍し、発展途上国経済とりわけ東南アジア経済に関する世界的権威として知られる。組織論、制度論を基礎として開発途上国問題を分析した。主著に「発展途上国の経済学」(’64年)がある。また「1970年代の東南アジア経済」(’71年)のなかのミント・レポートは有名。」
https://kotobank.jp/word/H.%20%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%88-1633644
但し、[]内は209。
乗り気はしなかったが、・・・当時、成長が著しかった韓国経済について、戦前の状況を調べることにした。
レポートを書いて先生に見せると、先生は褒めて下さった(それ以前、理論めいた内容のものを書いたときはまったく不機嫌だった)。
すぐれた経済学者は、歴史にくわしい。
専門とはせずとも、また論文に書かずとも、歴史のことをよく知っている。
ミント先生がそうだったし、LSEで接した他の先生もそうだった。
歴史を知ってこそ、専門領域の研究に厚みが出る。
そのことに気づかされた。
指導を賜ったミント先生には大きな学恩を感じている。」(207~208)
⇒ミントの考えと完全に一致しているかどうかは分かりませんが、私自身は、次のように考えています。
「アングロサクソン流経済学、とりわけ、新古典派経済学は、いかにも、「理論」経済学の理念型のように見え、アングロサクソン文明、就中、アングロサクソン諸国の政治経済社会諸制度を所与のものとし、事改めて、そういったものに触れることなくして展開されるけれど、アングロサクソン文明における経済学者達や欧州文明におけるアングロサクソン流経済学者達は、そういったものに、多かれ少なかれ通じているけれど、欧米以外の文明における経済学者達は、そういったものに通じることは容易ではないので、自ずから、いわば根無し草の「理論」をでっち上げざるを得ないところ、それでは、同じ土俵で経済学界に参入し、欧米の経済学者達に伍していくのは容易ではない。
よって、自分に土地勘のあるところの、文明、に係る経済理論を、当該文明の政治経済社会諸制度を紹介しつつ展開することを心掛けるべきである。
このような、特定の「文明の政治経済社会諸制度」を把握し紹介するためには、当該文明の歴史を熟知していることが必要不可欠がある。」
木村の言うような、「歴史を知ってこそ、専門領域の研究に厚みが出る」という程度の話ではない、ということです。(太田)
(続く)