太田述正コラム#10107(2018.10.3)
<井上寿一『戦争調査会–幻の政府文書を読み解く』を読む(その66)>(2019.1.18公開)
「・・・岡田はガダルカナル放棄論者<でもあ>ったと自称する。
「部内でも相当議論をして憎まれ、ひどい目に遭った・・・
ガダルカナルで失った船腹は相当なもので、これが私共としては実に惜しいことをしたと思う重大なもので、ああいうことさえしなければ、生産が行詰まることももう少し延びたのではないかと思う」。<(注93)>
(注93)「海軍は積極的な侵攻作戦によって、連合国の反攻拠点である<豪州>と<米国>の分断を考えたが、日本陸軍は、あくまで日中戦争解決を重視しており・・←ここは不同意(太田)・・、東南アジアの占領地・資源地帯は現状維持とし、それ以上の太平洋方面は海軍の作戦担当地域であるという認識に立っていたため、戦線拡大には否定的であった。したがって大兵力を・・・支那派遣軍や、満州の関東軍から引き抜かなくてはならない<豪州>攻略作戦に消極的ではあったが、<豪州>を孤立させることについては海軍と見解が一致した。
この米豪分断作戦は、ニューギニア島東南岸のポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)とニューカレドニア、フィジー、サモアの攻略作戦(FS作戦)から成るものであった。ところが日本海軍はミッドウェー海戦において主力航空母艦4隻を失うこととなり、FS作戦の実施は一時中止されることとなった。・・・
<しかし、海軍>は米豪分断の目的を放棄せず、・・・ガダルカナル島に飛行場を建設してラバウル以南の前進航空基地を建設し、ソロモン諸島の制空権を拡張しようと考えた。・・・
このガダルカナル島基地建設は軍令部作戦課(大本営海軍)から参謀本部作戦課(大本営陸軍)に文書で通知されたが、陸軍では作戦課同士でのやり取りにとどまり、陸軍内部に伝達が行われなかったため、戦後「基地建設の事を陸軍は知らされていなかった」と主張するものもいる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%80%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%AB%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
⇒ガダルカナルを戦略要衝視した海軍の判断の誤りが、岡田の指摘するような、陸軍を道連れにする形での船腹量の大量喪失というバカバカしい結果を招来した、ということであり、ここでも、海軍の無能ぶりが遺憾なく発揮されています。(太田)
以上の話を受けて、青木長官は質問する。
たとえば船舶輸送力が予想どおりで、レーダーがなく、海軍が敗けなかったとしても、「必勝」は期し難かったのではないか。
岡田は答える。
「勝利」とは相手国の戦争意思を放棄させることである。
このような「勝利」は「見込がないと考えた」。
それでは軍部は何を求めていたのか。
岡田は言う。
「勝利は妥協である。
その妥協を望んでおった。
つまり妥協的平和、妥協的講和を望んでおった」。
同時に岡田はこのような妥協が「取らぬ狸の皮算用」であり、「希望的な観測」でもあったことを認めている。
戦争終結の展望を欠きながら、「今に向うも厭になるだろう。
向うが厭になるまで粘るのだ」との希望的な観測の下で、戦争はつづ<いたというのだ>。」(220~221)
⇒典拠抜きではあれ、岡田がホンネを語っているとすれば、彼には、杉山構想は開示されておらず、かつ、かかる構想の存在を想定するだけの想像力がなかった、ということでしょう。
私の見るところ、杉山構想は「戦争に敗け」て「戦争目的を達成する」というものだったのですが・・。(太田)
(続く)